** 彼が泣く **





 フェイは一緒に何か見に行くと必ず泣く。
映画だろうが演劇だろうが歌だろうがそれは変わらず、とにかく少しでもエモーショナルな内容だと、見事に泣かされてしまうのだ。
 さらに、フェイは涙もろいくせに、静かに忍び泣きをする質である。「ぐす」とも音を立てず、極めて静かに、ひっそりと涙を流すのだ。
 それが極めて印象的で、俺は一年くらい昔、スクリーンを見る振りしてその様子をこっそり窺うという、暇なことをしたことがある。






 黒い劇場の闇の中で、フェイの頬骨が青白く光っていた。映画は正に心を揺さぶるクライマックスだ。
 既にしばらく前からフェイの黒いまつげは規則正しい瞬きをやめ、時々寝返りでもうつみたいに、ぴくっ、と動くだけになっていた。


………
『君に出会ったことが僕の人生で最大の奇跡だった』
ハンサムな男優が言う。
『僕はその喜びを胸に、何年でも君を待っている』
彼はベッドに横たわる瀕死の女優の手を握る。
『また君に会える日を、何十年でも待っている』
 それでも恋人の手はゆっくりと落ちる。
『ママ! ママ!』
子どもが甲高い声で叫んだが、俺は今だとばかりにフェイの横顔へ視線を走らせた。


 黒い瞳の表面に、ふーっと銀色の幕がかかった。
それは思いがけないなめらかさだった。俺は咄嗟に瞬きをして、唾を飲み込みそうになるのをこらえる。
 そして濃く、黒いまつげが躊躇いがちに、しかしやがてぱちりと一度下ろされたとき、魔法のように涙がこぼれた。
 つ――っと、痩せた頬を落ちていった。
音もなく喉元まですべり込み、後には一本の、光の線が引かれた。




 俺は映画のことなんかほとんど忘れてその光景に見入っていたのだが、フェイがハンカチを顔に押しあてた時、ようやく我に返って、金縛りから逃れた。
 慌てたように足を組み替えて、小さくため息をついた俺は、周りからは映画に感動して照れ隠しをしている人間みたいに見えただろう。



 そんなわけで映画館を出るとき、フェイの顔はもうぐしゃぐしゃだった。
 細い飾り気のない東洋系の下まぶたが、花びらの付け根みたいなほんのりとした赤に染まっていて、俺と目が合うと、彼はひどく恥ずかしそうに苦笑して見せた。
「本当によく泣くやつだなあ」
 卑怯者の俺は、からかいの口調でそう笑い飛ばしたものだ。
「ジダンだって感動したくせに」
さすがにばれていたが、俺のはまた別物だ。






 最近よく分からなくなっているのだが、俺は映画のために映画館に行くのか、それとも、泣きはらしたフェイの顔を見るために行くのだろうか?


 …で、時々新聞の映画欄に、泣けそうなのをわざわざ探している自分に、ちょっとだけ同性愛の可能性を感じるわけだ。
 ま、そういうこともあるわな。



Fin.


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