L'inutile
はじめの話








「お名前を」
「ジダン・レスコー」
「ご住所を」
「]T区。ロケット通り115」
「ご職業は」
「舞台演出家です」


「それではレスコーさん。今年の9月12日の日中起きた犯罪事件について、あなたにお尋ねします。
 あなたはその日の午後3時ごろ、第6大学病院に行かれましたね」
「ええ。友人の見舞いで」
「一人でしたか?」
「同居人と一緒でした」
「駐車場で何があったか教えてください」
「駐車場に車を止めたんですが、連れがぐずぐずしていたので、車の中で少し時間を食いました」
「――すいません、ぐずぐずと言うと?」
「あー……、世話になった人間への見舞いだったので、一応ちゃんとした衣服でと思ったんですが、同居人がネクタイやらをあまり締めたことがない男で……。
 まったく格好になってなかったので、外に出る前に色々直したりしてたんです。車の外が小雨だったので」
「なるほど、それで」
「誰かが運転席のガラスを叩くので見ると――知らない青年が立ってました」
「その時、青年の状態はどうでした?」
「雨に濡れてるし、鼻血が出てました。それで驚いて窓を少し開いて、『どうしたんだ』と聞きました。
 彼は、自分は強盗でも詐欺師でもないし、たいしたことは起きていないんですよとでも言いたいような様子で、気弱に笑いながら『すいませんが100ユーロ(※約一万五千円)貸してくれないでしょうか。もちろん、後でお返しします』と言うんです。
 私にとってはそれなりに大金なので、事情も知らないで出せないと伝えました。そうしたら『女に別れ話を持ち出したら、別れてやるが慰謝料を寄越せと言われた。100ユーロで勘弁してやると言われたのだが、持ちあわせがない』と」
「信じましたか?」
「……いや、なんだそりゃあと思ったんですが、ひょいとその肩の向こうを見たら、眼鏡の女性がものすごい顔で立っていたもので」
「それは、被告席のあの女性ですね?」
「ええ。そうです」
「突然の話を信用せざるを得なくなるほどすごい形相でしたか?」
「すごいというか……、エジプト美術みたいに目が据わってました。それに彼のほうも、ここがママの家だとでもいうようにドアの前に立って動こうとしないので、私は外に出られなかったんです。
 それで財布を調べました。でも見舞い品を買った直後だったので、70ユーロくらいしか持ち合わせがなかった。それで50ユーロ札を渡して、これで勘弁しろといいました」
「ずいぶんご親切ですね」
「まあ私も貧乏な時、行きずりの人に一杯おごってもらったりした分が、それくらいは軽くたまってますから」
「男性はどうしましたか?」
「『ありがとう!』と優しい声でお礼を言って、名刺をくれました。やっと彼がどいてくれたので、私達は車から出て病棟へ向かいました。
 私はなるたけ後ろを見ないようにしてたんですが、連れが振り返って『殴られてるよ』と言いました」
「あなたはなんと?」
「『そうか』と」
「それで、お見舞いをなさった?」
「ええ。でもあまり相手の様子がよくなかったので20分ほどで引き揚げました。それから病院内でカフェを飲んで、駐車場に戻りましたら、連れが『倒れてるよ』と言いました」
「あなたはなんと?」
「『病院の中で救急車を呼ぶってわけにもいかないだろうなあ』」
「女性はいましたか?」
「ええ。倒れた男性に馬乗りになって頭をわしづかみにし、額をコンクリートに連打してました。
 そのまま車に乗って逃げようかと思ったんですけど、うっかり彼女と目が合ってしまって――」


……何してんの?
――この男、100ユーロぽっちものお金も渡さないのよ!



「それで、財布から残りの10ユーロ札を渡して――」


もう許してやれよ。


「彼女はなんと?」
「彼を叩きながら……」


ぴったり100ユーロなくちゃだめよ! それ以上でも、それ以下でもだめ! 絶対だめ!


「どうして別れることになったのか聞いたら、男性が『どうも君は、僕が当初思っていたような女性とは違ったみたいだ』と言って、一方的に別れると決めてしまったんだそうで。それで、慰謝料をと」


……せめて、ATMに行かせてあげたら?
――いいえ! 手を離したら、この男、私から逃げ出すに決まっているわ! 100ユーロよ! 100ユーロ! 100ユーロ! 100ユーロ!!



「しょーがないんでカード類を全部抜いて、財布ごと彼女にやりました。そうしたら男にまたがったままわんわん泣き出したんで、彼女と、流血して目を回してる男を車の後ろに乗せて、それぞれの家へ送り届けました。
 ――で、二週間後に、警察から連絡が」
「お金は返してもらえましたか?」
「ええ。ちょうどここからの召喚状が届いた頃、青年が母親と一緒に家にやって来て払ってくれました。財布は、返ってきてないですけど……」
「まことにご苦労さまでした、レスコーさん。お席へお戻り下さい」




「続いてもう一人証人を召喚いたします。宣誓を行い、お名前をお願いします」
「ピエール・リヴィエールです。第五大学で心理学の講師をしています」
「被告の女性、被害者の男性共に、あなたの学生ですね?」
「はあまあ……。二人とも、ゼミナールの学生です」
「被告は普段、どういう学生ですか」
「まあその、きわめて真面目といいますか真面目すぎるといいますか。学業的にはきわめて優秀なのですが、少し情緒的に不安定なところが……。ことに自分を攻撃しようとする対象に対しては凶暴な態度を見せる傾向が見られ――」









 ろくな学歴のない同居人のヨシプにとってはこれも社会勉強だろうと、一通り裁判を聞いて家へ戻ってきた。
 家でパスタを茹でて、適当なトマトソースで食べ、ワインを飲んで、いつもどおり無口に過ごした。
 晩飯が終わると、もう示し合わせて一緒にする行動はない。ヨシプはいつもどおり無気力な顔でふうーっと部屋へ漂っていった。
 だが、ジダンが食器を洗っているとうろうろと舞い戻って来て横に立ち、どうも合点が行かないという顔でこう言った。
「あのさあ、ずっと気になっているんだけど……。つまり心理学を学んでも、特に性格が落ち着くってことはないっていう……」


 ジダンは失笑してヨシプの黒髪をつついた。
「勉強になったろ?」





(了)





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