L'inutile
ジダンのお休み









 怖いんだよ。


 石油のような黒さで光る波間に、声が滑って行った。


 俺は人を失望させるのが怖いんだ。
ひどい恥をかかされたような気分になる。
 でも一方では、全てがいっそ俺を見棄ててくれないかとも願ってる。
そうしたら、――解放される。


 静かな風が吹く。ぴかぴか光る船が上ってきて、二人の前の波を蹴立てて川上へ遡って行った。
「……」
 ヨシプは珍しく、真剣に彼に伝えねばならないことがあると思った。それで
「ジダン」
と、彼を呼ぶ。
「ん?」
「寒い」


 パリで十一月の夜、戸外で風ざらしは確かに自殺行為である。
 苦笑しながら起き上がる彼の背後から「まあなんてこと…!」という年配女性の難詰が降った。
 瞬間、ジダンの苦笑が微妙な深みを刻む。
 それを見た時、あ。これが彼の求めていたものだとヨシプは思った。





うちのばあちゃん厳しい人で
なんにもしてないときでさえ
平手打ちの雨あられ
残るは奇妙な被虐癖(マゾヒズム)
これは生涯の 病でござる








 残りの瓶はアパルトマンに持ち帰られた。手当たり次第買ってきた冷凍食品やら果物やらチーズやらで、手当たり次第に料理を作って食い散らかす。
 DVDをかける。モーツァルトの歌劇ばかり次々に、公演を髣髴とさせる音量でかける。
 普段ならこんなことは絶対にしない。掌大のものを落としたときでさえ、下の階の人に悪かった、という顔をする男だ。
 ヨシプも酔っ払った。役者である。演出家ジダンが彼に酔っ払うことを要求していることを察して従った。よしよし、とジダンは言った。
 そういえばもうこの居間のカーテンはいらねえな、ということになった。ジダンはそれを取り外すと、腰に巻いて『もし伯爵様が踊るなら』に合わせて踊った。
 それからヨシプと一緒に画面の映像の真似をして三重奏を歌ってみた。
 けっこういけた。







 二人の馬鹿騒ぎは夜通し続き、駆除してもし切れないジダンの理性がようやくステレオの電源を切ったのは、午前四時すぎだった。








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