8.リンダ・ウェルスの失われた日記









 今日、スコラで開かれたパートナー・ミーティングでようやく私の相手、トードー・カナンと会えた。カテドラルから予め資料をもらっていたから大体のことは知っていたけれど、本当の彼は予想よりはるかに好ましい人だった。
 彼は地味だし、少し引っ込み思案なところがあるが、とても優しい顔立ちをした知性的な人だ。声も落ち着いていて、私は気に入った。
 ただ、遺伝子伝達の方法についてはまだはっきりとした決心をしていないと言う。今までにあまりそういうことを考えてこなかったのだと言っていた。男の人は概してそういうものだろう。
 彼はあまり女性と付き合ったりしているふうではない。きっと恥ずかしがり屋で真面目なのだろうと思う。それもまた私にとっては好ましい。私はこれから時間をかけて彼と話し合い、自然出産に協力してもらわなくてはならない。
 勿論、自然出産にはたくさんの危険があることは知っているし、健康な胎児が産まれる確率が低いこともよく知っている。けれど、私は社会のためにベストを尽くしたい。自然に生誕した人間の方が抵抗力に長け、長生きすることは周知の事実だ。
 ともかく今日は私の希望を控えめに伝えるのみにして、しつこくないところで話をやめておいた。彼は正直者で、ほっとしたような顔をしていた。厚生局の性格調査は概ね当たっていると思う。「親和内向」。



 …一つだけ、今日気がかりなこともあった。後々思い出すこともあるかもしれないから書いておく。
 ミーティングが始まると、私たちは解放ラウンジで二人用のテーブルに腰掛けて話をしたのだが、隣の席にヌクテ・ロイスダールがずっと一人で座っていた。いかにも退屈そうに両足を投げ出して。
 見かねてカナンが彼にパートナーはどうしたのかと尋ねると、彼は「さあ?」と適当な受け答えをして、次に私を見て、何だか不愉快な感じに笑った。
 その上、誰か来たら呼び出してくれなんて勝手なことを言って、どこかへぶらりと居なくなってしまった。
「何だか変な人」と私が言うと、カナンはそうかな。と答えた。私は彼に派手な遊びの噂があることを話して、そのせいで相手に嫌がられたのだろうと言った。彼はまたそうかな、と言って独りラウンジから出て行く彼の背中に目をやった。
 ヌクテ・ロイスダールはスコラでは有名人だ。色んな女性と噂があるし、時々は男性とも噂になる。十三、十四から女遊びを知っていたなんて下らない話もある上、学業の方は極めて優秀だそうだ。
 だけど、どうも私は彼のことが生理的に好きになれない。なんだかへらへらして、傲慢で、少し馬鹿にしたような目で私を見る。それだけに、カナンが彼に注意を向けることが少し気になった。カナンは素直で「他人に巻き込まれやすい傾向がある」。子供が悪いことをする大人に憧れるように、私のカナンが彼に引きずられないように気をつけなくてはならない。
 30分程して、私たちがテーブルを立とうとしたその時、ラウンジのリフトから厚生局のカリーナとコウヨウが入ってきた。後ろに女の子を一人連れてきている。その図を見て、やっとヌクテが例外的なパートナーを持ったため待たされていたことがわかった。
 親切なカナンが探して来ましょう、と言ってコウヨウと歩いていった。私は仕方が無いんでその場に立って、カリーナの連れてきた子と目を合わせたりしていた。
 その子は十三歳くらいの子で、見たことのない子だった。それに何だか落ち着きが無い。おどおどしている。
 どうかしたのかしら、と思っていたら、つと顔を伏せ、いきなり「帰る」と言う。子供にしてもすごく幼稚な言い方で驚いてしまった。
「もう少しがんばりましょうね、すぐあなたの優しい人が来るからね」
 カリーナが優しい声で宥めたのだが、私が茫然としている間に、その目がみるみる涙で一杯になった。後は、爆発。
 とにかく赤ん坊みたいに駄々をこねて、全身をがくがく痙攣させて帰る、帰ると泣き喚く。カリーナが抱きとめようとするのだが、そうすればそうするほど手足を滅茶苦茶に振り回して暴れる。それはもう理屈ではなく、神経のままに転げ回っているという感じだ。
 こんな人間見たことがない。勿論ラウンジにいた他の人たちも驚いて、あたりはシーンとしてしまった。暴れるのをやめて今度は泣き出した少女を見て、私は薄気味悪くなり、鎮静剤を打った方がいいんじゃないかと思った。
 そこにカナンがヌクテを連れて戻ってきた。二人ともさすがにこの状況にはびっくりしたみたいだった。中でもヌクテは今まで見たこともないような表情を浮かべて呆気にとられ、いつまでもいつまでも床で泣きじゃくる少女を見つめていた。










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