電波




 Yは気持ちの悪い男だった。
その頃にはそういう言葉はなかったが、いわゆる「キモい」人だった。
 ちょっと濡れたような重いまぶたがいけないのか、だらしない口元がいけないのか、顎がはっきりしていないのがダメなのか、もはや理屈じゃないのか、分からないが。とにかく「さわやか」という形容詞からは程遠い男だった。
 女子どもは結託してYを嫌っていて、いないところで散々悪口を言っては根拠のない優越感に浸っていた。
 僕はそういう女の意地悪さが虫唾が走るほど嫌いだったから、それに対抗するように一応彼とは仲良くしようとした。
 しかし、そういう良識をあざ笑うかのように、彼は気持ちが悪いのだった。なるだけ親切にしようと心がけていた僕でさえ、うっとなることが度々だった。
 ある日のことだ。彼は体操着を弟のと間違えて持ってきた。弟というのが、随分背の低い痩せた子で、反対にYは頑健なほうだったから、同年代でもサイズがかなり違ったようだ。
 Yは、見ているこっちの息が詰まりそうな小さな体操パンツを履いて、その日の体育をやり過ごした。
 更衣室に戻ってくる頃には大半の生徒が本当に青い顔をしていた。長く骨太な体に、明らかにサイズ違いの短パンを無理やり履いている。
 それが走る、それが飛ぶ、それが打つ(ボールを)ということが、これほど人にダメージを与えるものだとは知らなかった。
 かく言う僕も彼が動物のような所作でやっとそのパンツを脱いだ時には、まるで自分の首輪が解けたような安堵感にため息をついたものだ。
 彼自身も僕が心情的な味方だと言うことは知っていて、まあ大抵のクラスメイトよりは気を許してくれていたと思う。
 大学ノートに書きなぐった自作マンガを見せてくれたことでもそれは分かる。それは「北斗の○」と「X Jap○n」の世界観が融合したような代物で、やっぱり読んでるとガツンと来た。
 極め点けがこれだった。彼は言ったのだ。
「僕は、ラジオの短波を受信できるんだ」
 僕はそうか。と言っておいた。ラジオを聴かない僕には、その特技に何の薬効があるのかいまいち分からなかったのだ。


 ある日、授業が終わった時、彼が言った。
「株価が全面安になったって」
 僕は何のことだか分からずぽかんとしていた。
「悪い時代が来る」
 それはバブル景気が弾け、東証の株価に値がつかずに新聞の株式欄が真っ白になった、あの夕方のことだった。




 二週間前、同窓会があって何十年ぶりかで彼に会った。
 彼はほんの数歩落ち着きを見せたものの、やっぱり得体の知れない人間で、とても的確だがどうしたらいいか分からないような情報をたくさん持っているらしかった。
 今、長野の山奥で共同生活をしているんだと言っていた。だが皆で集まって、共同で何をしているのかについては、ついに教えてくれなかった。




(EOF)




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