楽器
我が唯一の身寄りにして、心より敬愛する叔父上様! あなたはこの一週間ばかりの間に、なんとたくさんのお手紙をお送りくださったことでしょう! あなたからお便りを頂くのは、これ以上はないほど嬉しいことですが、それにしてもいささか量が多すぎます! たとえ好物の鴨とは言っても、六羽も七羽も食べられるものではないではありませんか。 先だってお知らせしました、巴里の親切な案内人、クロードにも笑われてしまいました。 「君の田舎住まいの叔父上は、君を天使みたいに愛するあまり、巴里は地獄の釜がひっくり返ったような魔窟で、毒の沼に悪魔や犯罪人がぷかぷか浮いているとでも思っておいでのようだね!」 どうぞお怒りにならないで下さい、叔父上様! クロードはいつもこうした物言いをして、僕らを死ぬほど笑わせるのです。 巴里の人士は弁舌巧みだとは聞いておりましたが、まさかここまでとは思っておりませんでした。 彼にかかれば黒い猫も白猫に、白い猫も黒猫になり、さらには人にないものをあると認めさせたり、あるものをないと言わせてしまったりすることも可能に違いありません! いいえ、彼は友情に厚く、誠実な、信頼できる男です。叔父上様がご心配になっているような、いかがわしい男などでは絶対ありません。何しろ大変さっぱりした気性の持ち主で、僕らはとても馬が合うのです! 十日前に賭場で会って以来、もう十年来の親友のように親しく行き来しているのですから(言ってはなんですが、叔父上様のお知り合いであるところの、あの窮屈な神父様とは大違いです…)。 第一、彼が叔父上様の危惧なさるようなろくでなしの詐欺師なら、彼の回りにあれほど才能豊かで、気持ちのいい連中が集っているのは何故でしょう? 僕らが二人でカフェやレストランにいると、自然と人々が集まってくるのは何故でしょう? 僕はいつも彼らの勘定をもってやります。大した額ではありませんし、田舎者で無骨な僕をこれほど歓迎してくれる彼らに対し、何らかの形で感謝の意を表したいではありませんか! …ああ叔父上様。クロードは心配をかけるから秘密にしておけと言いましたが、どうしてもあなたには書かずにはおれません! 僕は恋をしたのです! 生まれてはじめての恋です。(城におりました頃、またいとこのシャルロットとキスをし合ったりしましたが、あんなものは所詮おままごとでした!) 相手の女性のことは、仮にO嬢としておきます。女流の演奏家なのです。その美貌は、サロメもかくやと思われるものです。 独奏会で、彼女は自分の体と同じくらいの大きさのチェロを、体の真ん中に抱きこんで座ります。 恐ろしく細く白い左手が、チェロの首のところを抱き、反対の手が弓を持ってその下部を右から左、左から右へと滑らかに往復します…。 何より、その時の彼女の、首をのけぞらし陶然とした、熱を帯びた表情を一度でも目にしたなら、男は誰だって正気でおれないに違いありません。 一部には彼女をあしざまにいう人があるようですが、そんなものは彼女の才能と美貌を妬んだ中傷にすぎません(それにしても、どうして教会の方々というのは、あのように底意地が悪いのでしょうか?)。 彼女に会って以来、どこに出かけても塞いでいる僕の様子を見て、クロードはすぐになにが起きたか気付きました。そして僕に素晴らしい知恵を授けてくれたのです。 というのも、彼は僕が長々しい愛の言葉や、洒落た言い回しを使って女性を口説くことなど出来ないだろうということをよく分かっているのです。 第一、僕の舌に染みついたこの田舎訛りは、どんな口説き文句だって惨めで滑稽なものにしてしまうに違いありません。 そんなこともあって、僕はとても愛の告白など出来ないだろうと悩み、落ち込んでいたのですが、彼はとても簡単な、それでいて僕の真心が十二分に相手に伝わる、ある秘密の言葉を教えてくれました。 告白は昨晩のことでした。○○氏のサロンで彼女が演奏をするというので、僕らは連れ立って出かけました。 いつもながら素晴らしい演奏が終わった後、僕は恐る恐る彼女に近づきますと、教えられたとおり、こう囁いたのです。 「なれることなら、あなたの楽器になりたいものです」 すると、叔父上様! なにが起きたとお思いですか!? 彼女が微笑んだのです! 天にも昇る気持ちでした! ただ、その時の彼女の微笑み方が、僕の予想していたものと少し違っていたのが気になりましたが。 僕は、彼女は聖母のようにっこり微笑むものと思っていました。けれど彼女は寧ろにやりと微笑んだのです。 これはどういうことでしょうか? ともあれ、クロードはそんなことはない。彼女は普段どおりに笑っただけだと申しますから、或いは僕の気のせいかも知れません。 世の中には大勢の女性がいて、五千通りもの違った微笑み方があるのだといわれれば、なるほど確かにその通りです。僕の世間知らずも、ほとほと困ったものです! 実は本日これより、彼女の宅に出かける予定でおります。クロードと共に、夕食に招かれたのです。 一刻も早く出かけたいと気持ちははやっておりますが、これ以上叔父上様をお待たせしてはと、取り急ぎご返信をしたためました。 どうかどうかご心配なさらないでください! クロードは立派な男です! O嬢も立派な女性です! 彼女は今夜僕を「調律」してくれるのだそうです! 意味は分かりませんが幸せです! 巴里にて あなたのかしこい甥より |
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