破損




 フランジェリコは清廉の人だった。呼び名の「(フラ)兄弟・(アンジェリコ)天使」もそれゆえについた名だ。
 彼は修道士の誓いを見事なまでに体現し、私のように食糧庫の中の塩肉や葡萄酒の誘惑に屈したりはしなかった。またフラ・パスカールのごとく、若い兄弟らの肉体に堕することもなかった。修道院長のごとく黄金の輝きにまなこを潰されるでもなく――この頑丈で、立派で、人目が届かぬ、修行を修めるにはなるほど便利だが悪行を為すにも好適な僧院にあって、自らを律し続けることのできる数少ない男であった。
 彼は時折、礼拝堂に両膝を着き、地に身を投げ出して神に祈りを捧げた。そんな時に居合わせると、いやに眼がヒリヒリとして直視に耐えないのだった。
 フランジェリコは年長者からも敬われ、一目置かれ、そして畏れられていた。彼が立っていると、その周囲の空気が震えているような気がした。
 その彼が亡くなった。修道院長の手紙を携えて山を越したところで、近在の農民達に撲殺されたのである。
 なぜそんなことになったのかと言えば、農民達はちょうど聖堂を建立中だったのだ。
 聖堂には聖遺物が必要だが、まだ手に入っていなかった。心の清い立派な坊さんが東からやってきたと聞いた農民達は、喜び勇んで彼に襲い掛かった。
 せめて彼らに聖堂を建てるのはフランジェリコが天寿を全うしてからでも遅くないと、分かるだけの分別があればよかったのだが。
 悪いことに農民達の信仰心は本物だった。地元司祭の語る「最後の審判」の到来を真に受け、怯えきっていた。
 彼らの罪状については領主と修道院長達が話し合い、不問ということになった。
 折角だしもったいないというので、フランジェリコの遺骸は建設中の聖堂の床下に埋められる予定だ。まさに、信仰の礎となるというわけである。
 修道院長は晩餐の折、彼は実に立派なキリスト者であり、信仰のために命を投げ出した本当の僧侶だったのだと言った。
 信仰のために死ぬことは、僧侶の本望であるとまで言った。
 我らの宗教の親玉の死に様を思えば、確かにその考えは正しいかもしれない。
しかし私はげんなりである。
 フランジェリコのような奴が死ぬと、修道院には吝嗇で、勉強もせず、ぶくぶく太り、人を怒鳴りつけることや威張り散らすことが大好きな悪魔にも劣るろくでなしがますますのさばるから。
 それはもう、畑に生えるしつこい雑草の如くに手を変え品を変えはびこっては、収穫の時をダメにしてしまうのだ。
 だから立派な人間にはあまり殉教をすすめないでほしい…。死んでもいいような奴だけ、たぎる宗教の釜で煮るがいい。
 でも大抵、現実は逆だ。しかも上の連中は恥知らずな修辞を駆使して、死をも厭わぬ若い僧侶を多量に育成しようとする。
 私は重い心と胃袋を抱えて部屋へ戻った。
 斯く言う私も、嘆くのみだ。
世界を破壊しようとする手に、歯形をつけてやろうなどという気概、生まれた時から持ち合わせがないのである。



 全体、天使が長生きせぬはずだ。
我らは死後に罰を受けるだろう。



(EOF)



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