自己
健康には自信があったのに、ちょっと体調を崩して会社を休んだ。昼から500ミリのビール缶開けてテレビなんか見てると、玄関でチャイムが鳴る。 出てみたら奇妙に愛想のいいおばさんが立っていて、扱いにくいガムテープのようなしつこさで根掘り葉掘り聞いてくる。 ちょっと体調が悪いんで、と逃げようとしたら、ちょうどいいです。すぐ済みますから、体の中の毒素を浄化させてくださいませんか。 お久しぶりです。 まだいたのか、こういう人は。 酔っ払っていたし、めんどうくせえと思って好きにさせた。週明けの昼飯の時のネタくらいにはなるだろう。 「では、目を閉じて下さいね」 はいはい。 「すぐ分かりますから」 おばさんの声に、自信が滲んでいるのを感じて、ん。と首を傾げたくなった時だ。 暗い視界が、突然四方からわき上がるように、明るく白くなった。 ぎょっ。 「はい。終わりです。いかがでした?」 俺は顔を上げた。前よりすっきりしていることを出さないように、 「別に…」 おばさんは意外そうだ。 「…光とか、赤い色とか、見ませんでしたか?」 「いえ…」 「そうですか…。人によっては、目の前がパアッと明るくなるって言うんですけど…」 「どうも…」 冊子を渡し、少し自信をなくしたようにおばさんは帰っていった。 居間に戻って、その薄っぺらなパンフレットを読んだ。色んなことが書いてあったが、要は掌一枚の力が病気を治す奇跡に依拠した宗教だ。 そんなに冷静な団体とは思えないけど、かといってその中に、本当にハンドパワーのある人間がいないとは限らない。 あの女性はどういう人なんだろう。宇宙からの使者とか、ちょいと神経を病んだ全くの別種と考えれば、話は楽に片付くけど、そういうこともないでしょう。 彼女だって、まあ俺のお袋なんかと同じような家に育って結婚し、しばらくはテレビのがなる長い長い退屈な昼間を過ごしてたのに違いない。 そんなおばさんが、今では一日中、町中の他人の家のチャイムを押して回っているんだ。 要は。癖で空になったビール缶を潰しながら俺は思った。自分の手が人とはちょっと違うと気付いてしまったことが始まりなんだろうな。 テレビでは、また延々と同じ事件の話を続けている。同じ映像を何度も何度も。おかげで中学時代の同級生の、警官に挟まれて車に乗っている「おらぁあ佐藤(俺の名前)」という顔を繰り返し目にすることになる。 こいつは頭のいい男だった。県のテストでは常に一番だった。大学時代に起業して、それが当たってこの世の春だ。同窓会じゃ、とんでもない量の名刺をもらっていたっけ。 ところが二年ほど前から手を出していた新規事業が、去年の暮れに突然ぽしゃった。 ふたを開けてみれば乱脈経営。投資家から訴えられ、あっちこっちでかった恨みが跳ね返り、ついに、詐欺罪で逮捕。 ――でも平凡でどこにも逃げ場がないなんて、つらいことじゃない。 だから頭のいい奴は自分の頭の良さに溺れ死ぬんだ。美人は自分の美しさを自負して醜悪になる。 まして掌から特殊な力が出てることが分かった日には――舞い上がって、舞い上がってしまって、びっくりするくらい嬉しくて、他人の家におしかけて癒しを強制するようにもなるのさ。 そうだろ。健康なだけがとりえの俺も、平気平気と働くうちに段々酒なしでいられなくなって来てる。 みんなそうなんだろ? 自分の才能に、毒されてるだろ? 天気が悪くなってきた。 雷がゴロゴロ鳴っている。 「一転にわかにかき曇り」ってやつか? 天が崩れるか? 斜めの雨粒が町中の屋根を打つ音がする頃、テレビを切る。 部屋は薄墨を流したように暗く、雨音は大喝采のようだった。 ソファに仰向けになると、ぐるぐる回って、もう、目覚めなくてもいい気持ちだ。 何時間か経った後、ふと顎をそらすと、窓際のレースカーテンが光をはらんで、丸くぼうと光っていた。 (EOF)
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