菓子




ジェリーが死んだ。心臓発作だというんだが、「ボーイ」と同じでドラッグの事故だと思う…。
葬儀はバハマで行なわれる予定だが、裁判中。俺は行かない。――とても行けない。
=サム=






 「ジェラルディン・カーター」という女の子のことは誰も知らないだろうが、「ジェリー・ビーンズ」というお菓子の名をした女の子のことを知らない白系アメリカ人はまずいない。
 一八の時ラスベガスでストリップダンサーになり、二四の時、ヌード記事で有名男性雑誌の表紙を飾って、全米の男達の「お相手」となった。
 その頃の彼女の人気は凄まじく、一時はどこのトラック野郎の車内にもそのヌードピンナップが大事に飾られていたものだ。当時、俺は全米をヒッチハイクしながら写真を撮っていたから、よく知ってる。多分、健全な若い男の部屋の壁も似たようなことになってたんじゃないかと思う。
 彼女はその後、一時の停滞を経て、テレビに出るようになった。安い芸能人が、ジェットコースターに乗せられるとか、ヘンな食い物を食わされるとか、妙なダイエット修行をさせられるとかいう類のおバカ番組で、もともとジェリーはバカだったから、これがものすごくハマって女性にも存在が知られるようになった。
 実際、ジェリーはどこからどう見てもあきらかにバカだった。外見は美しかったがそれも化粧と美容整形の賜物だとバレていた。
 確かに彼女はマメの形をしたあのけばけばしい発色の菓子によく似ていた。楽しくてかわいいけれど歯にくっつく。派手で砂糖がどっさりで、体に悪いと言うより、もはや頭に悪いんじゃないかと思われるような、安っぽいあのキャンディー。

 それでもみんなそんなお菓子が大好きだ。甘いお菓子が食べられない世界に、住みたいとは思わないだろう。








 葬儀の来客のための控え室に現れた俺の顔を見て、マーク・ワッツはぎょっとしたような顔をした。道でパトカーを見つけたドライバーが思わず浮かべるような表情。
「なんだよ?」
と言ったら、
「いや、よく来られたな。と思って」
だそうだ。
 西海岸に住む貧乏カメラマンに楽園バハマまでの往復旅券が買えたことが不思議なんだろう。俺はこの街で働く側にいたっておかしくはないような貧乏白人だからそう言われるのも無理はない。おかげさまでホテルは最低ランクのツーリストだ。
 小太りで日に焼けたマークは、あまり目立たないが高級な衣服を着ていた。ネクタイがシャネルだ。
…へんなの。
 握手をしたら、まるで人の手じゃないみたいに冷たかった。代謝がおかしいんじゃないか? と思いながら、そのどろんとした目を見る。
「ジェリーには稼がせてもらった恩があるからな。それに、埋葬も結局、バハマになったんだろう?」
「ああ。やっと裁判所の決定が出たからな…。あの鬼ババアもこれ以上はごねられないさ」
と、彼は太い鼻梁の上に皺を寄せた。
 鬼ババアというのは、ジェリーの実母のことだ。俺も知ってるがジェリーは母をものすごく嫌っていた。理由はよく知らないが、ありそうなことだと思う。
「…あのごうつく女、死んだ後までジェリーの骨をしゃぶろうって言うんだ。遺骸を自分ちの近くに埋めて、墓の傍でTシャツでも売る気なんだよ」
「遺産はどうなるんだ?」
「もちろん、彼女の唯一の娘に行くさ。知ってるだろう?」
 そりゃあ知っているさ。彼女が死ぬ半年前に生んだ子供だ。ジェリーが死ぬと同時、マークのほかに三人もの父親が出てきて、その子供の父親は自分だと世間様の前で争ったんだからな。
 DNA鑑定の結果、ジェリーの若い取り巻きの一人だったショーン・レイが、子供の父親だと判明した。一説によれば、ジェリーは金髪碧眼の赤ん坊が欲しかったのだそうだ。
「じゃあ、ショーン・レイが財産管理人か?」
「そうなるな。…たいした出世だよ。たかがパパラッチの真似事で食いつないでたガキが」
 マークはこげ茶色の眉を皮肉に持ち上げて去っていった。気分を害しているというポーズだが、ポーズだと思った。
 とても本気で困っているようには見えない。恋人兼依頼人が死んだって、明日からも食っていける目算が、何かあるのだろう。





 ジェリーはそれは有名な芸能人だが、その稼ぎだけならたかが知れている。だが、彼女がピンナップレディとして最盛期だった頃、その「ケチケチしないわよ」加減をいたく気に入った八一歳の億万長者がいて、余命いくばくもないってのに彼女と結婚。その一年後にはご臨終。絵に描いたような顛末を経て、ジェリーはその財産をごっそり受け取ってしまったわけだ。
 これについて「はしこい女だ」という意見はほとんど聞いたことがない。ジェリーはせいぜい「…あれ? ラッキー☆」くらいにしか考えてなかっただろう。
 計算高くあくどい真似が出来るような女じゃない。それは、彼女に会ったことがあるなら誰だって知っている。
 ジェリーは犬のようにバカだったんじゃない。ウサギのようにバカだった。他人を疑うってことをまるで知らない女で、与えることしか考えてなかった。


「みんながあたしを愛してくれるのが嬉しいの!」


 それが口癖だった。俺は仕事がらみで何人ものストリップダンサーを知っているけれど、今も昔も、あんな不注意な女は見たことがない。


「みんなあたしを、いいこいいこしてくれるわ」


 年を追うごとにどんどんバカで、どんどん注意散漫になっていった。八一歳の億万長者が死んで、本人が億万長者になった頃から。
 そして、遺族との訴訟が縁で、弁護士マーク・ワッツと知り合いになった頃からだ。


「マーク? マークは…。しんせつよ…。うん…」


 ジェリーは生まれた時からあんなに舌ったらずで蒙昧な話し方をしているんだと思っている人間もいるが、知り合った頃はそうでもなかった。彼女はバカだったが、まだまともだった。最初の夫との間に産んだ子供のこともちゃんとかわいがっていた。
 彼女がじき、天も地も分からなくなるほど朦朧としてきたのはきっとクスリのせいだ。彼女の取り巻きたちがパーティの席で際限なく作る、ケミカルドラッグをアルコールで割ったスペシャルドリンクのせいだ。






 生後半年の女の子に挨拶しようとしたら、抱いていたショーンが遠ざけてしまった。悪いけれど、娘に馴れ馴れしくする人間には注意しているんだよ、と言う。
 失礼なガキだ。乳児に馴れ馴れしいもクソもあるか。まあそれはショーンにとっちゃ、大事な大事な娘だろうさ――。
 その男の腕の中で、子供は彼女によく似たきょとんとしたような丸い瞳で、俺を見ていた。
 バカだろうが賢かろうが、化学物質にかかれば一発だ。どうかこの娘には、当たり前の注意力がありますように。父親が自分にドラッグを与えるようなら、逃げ出すだけの知恵が、ありますように。

 ショーンは軽蔑したように、同じカメラマンである俺を見て去って行った。用心深い目で俺を監視しているマーク・ワッツの方へと。







「…ジェリーの友達ですか?」
 類は友を呼ぶ。雨が降って、妙に静まり返った室内で、椅子にふんぞり返ってラム酒を飲んでたら、きれいだけど普通のお家の主婦みたいな女が話しかけてきた。
「ええ。カメラマンで、昔、世話になったんです」
「――あなた、マシューじゃない?」
「あれ? どうして?」
「やっぱり…。あたし、昔ジェリーとルームシェアしていたの。彼女とは別のクラブでダンサーをしていて、もう何年も前に結婚して引退したけど」
「ああ、そう…。じゃあ彼女から聞いたんだ」
「ええ。写真を撮ってインタビューをして、その二日後、また会ったから『かわいがって』もらったのって、聞いてるわ」
 二十年も前にことを蒸し返されるのは恥ずかしい。もっともさっきから酒の勢いを借りてその時のことばかり思い出しては、ある箇所に血をためてぼんやりなごんでいたけどさ。
「まあ随分昔に二回だけね…。…二回だよな?」
「いい人だったって言ってたわ。とても優しかったって。本当ね、遺体に対面もできないのに、わざわざバハマまで」
「君も」
「アンよ。会えて嬉しいわ」
 握手した。やわらかい、人の手の、ぬくもり。
 そう思ったら、さっきから四杯も五杯も開けていたラムが、ふいにぶわっと腹の下から発熱して体中を駆け巡った。酒精が目に染みて、涙が滲む。
「――いい子、だったね」
 アンは優しく微笑んだ。
「本当に、そうだわ」
「こんなこと言ったらいけないけどね――。…あの子は、本当に思慮が無くて、明るくて、誰とでもすぐ寝てくれる女の子だった。
 俺が一文無しでも、汚くても、性格が悪くても、酒飲みでも、一緒にいてくれる。優しく撫でてくれて、大きなおっぱいや、かわいいお尻に触らせてくれて、それから、抱きしめてくれる。
 それってねえ、その、ピューリタンの規範ではいけない女だけど――僕らぱっとしない人間にとっては、女神だよ。
 だからみんな、壁に彼女の写真を貼っただろう。つらい仕事をする男達はいつも彼女の微笑に守られてた。その写真にリボンを貼ったり、花を描き添えたりしてたドライバーもいたんだよ。
 きっとそういう連中は今頃、テレビの前で泣いているよ。女神が、遠くへ行ってしまったって言って」
「――…」
 アンは、お葬式で酔っ払うなんて、慎みなさい。とは言わなかった。同情のこもった友達の瞳で、俺を許してくれた。
「…あのコね、マリリン・モンローが大好きで、彼女みたいになりたいと言ってたの。それこそ神様みたいに崇拝してたわ。
 あたし、やめなさい。って言ったわ。マリリンがどれほど重い精神障害を抱えていたか知ってるの? 何回中絶したか知ってる? 精神病院に放り込まれたのを知ってる? そう言っても、彼女はやめなかった…。
 ――どうしようもなかったわ。もっと注意深くなるように、もっと自分の身を守るように、再三注意したけど、彼女は従わなかった。『自分は素直じゃなくちゃいけないの。ジェリーのジェリーじゃなくて、みんなのジェリーなんだもん。』そう言ってたわ。
 でもあたし…、彼女の息子が死んだ時は本当にゾッとして…、帰ってくるようにと言ったのよ」
「……」
 息子。彼女の息子。「ボーイ」。
彼女の最初の結婚でサムとの間に出来た息子。たったの一九歳だった。
 彼は普段、父とも母とも離れて、たった一人で西海岸でつつましく暮らしていたけれど、『妹』が出来たから会いにおいでと言われてバハマに飛んできて――その晩は母の病室で椅子に腰掛けたまま眠り、朝になったら、冷たくなっていた。
 嘘じゃない。彼女の目の前で。たった半年前だ。
「…確かに彼も、ドラッグをしていたかもしれない。ジャンキーの突然死はよくあることよ…。
 …でも、こんなはっきりしない状況で遺体を、縁もゆかりもないリゾート地バハマに埋葬するのは…、はっきりいってどうかしているわ」
 少年は急性の心臓発作と診断され、遺体は当地に埋められた。この決定にどれくらいジェリーが意思表示できていたのか、俺は知らない。
 新しい娘の産後、まったく突然に古い息子を失ったジェリーは錯乱して、一時的に、精神科に措置入院した。
「――退院後、すぐに電話をして、とにかく一度こっちへ戻りなさいと言ったの。でももう、その時は意識が朦朧としていて、ほとんどまともな会話にならなかった。すぐあの弁護士が電話を取って、話をさせてくれなかったわ。
 その後は家にこもりきりで、最後の二月はろくに外出も通院も食事もしなかったんだって。…メイドが」
 アンは思い出したのか、悔やんでいるのか、マスカラの乗った目元につとハンカチを当てる。
 心臓発作。本当にそうなら、遺体を見せてくれてもいいだろう。『みんなのジェリー』だったのだから。
ケチめ。
「あたし想像すると…、恐ろしくて眠れなくなるの。
 …きっとあの男達は――病院の出口で、おいしそうなおいしそうな飲み物を用意して、親切面で彼女が出てくるのを待っていたんだろうって思う」
「…アン。でもそれは、別段珍しい話でもないし…」
 座りなおす俺のグラスの中でアイスが滑った。
「――証拠も、ないよ…」
「そうね。証拠はないわ…。そしてジェリーの遺体さえ、このバハマに埋められてしまった。二人とも歴としたアメリカ人なのに――…カリブ海のちっぽけな島国バハマによ? どうして?
 ふふ、ジェリー…。あなたすごいわ…。マリリン・モンローに負けず劣らぬ、みごとな最期よ…」



 そして悲しい顔を見合わせる俺達の世界には、何も知らない半年の娘と、その父親という名前の男と、シャネルのネクタイをしめた弁護士が残されたというわけだ。
 生きていくのに、お菓子なんかは必要ないと連中は言うだろう。
 お菓子がないなら、フルコースを食べろ。



 それでもみんなジェリー・ビーンズのことが大好きだったのに。お菓子さえ食べられないそんな世界に、住みたいとは思わないのに。
 あいつらにジェリーの偉大さは分からない。





(EOF)



<< 戻る











background img by "ラメ入り紅茶"