危機






 特別なことなど何もないある夏の日でした。
十歳になるぼくは、おじいさんと一緒に、夜のお散歩に出かけました。
 まだ十一月なので、そんなに虫の声もきこえません。はらっぱは、お腹いっぱいごはんを食べ終えたぼくとおじいさんと同じように、みちたりて怖いものなど何もない、という顔でのびのびと夜風にあたっていました。
「本当においしかったね。おかあさんの焼いた羊」
「ああ。お前のおかあさんの料理の腕は、世界一だね」
 ぼくがおじいさんの手をぶんぶんとふるので、おじいさんは困ったようにまゆをハの字にしていました。でもぼくはその口元に押さえきれぬ満足と幸せの笑みが浮かんでいるのをちゃんと知っていて、ますます勢いが出るのです。
 昼のあいだ羊達が遊んでいた坂を登って、やがて小さな楓の木の下、灰色の地に白い線の入ったつるつるの岩に、並んで腰を下ろしました。
 夜空は、ほんのひとかけらの雲があるだけで、はしからはしまですみわたり、本当にきれいでした。
 ぼくはいつものように肩の上で首が痛くなるくらい顎を反らし、流れ星を待ち始めました。
 おじいさんは心臓が悪いので、こうやって歩いた後は、しっかり休まなくてはいけません。それを待つうちに、ぼくに流れ星を数えるくせがついたのです。
「おじいさん、早速ふたつ流れたよ」
「そうかい。お願いはしたかね」
「うん。だれも病気になりませんように」
「お前はいい子だね」
「あ。またひとつ流れた」
「ごめんよ。話していてお願いが出来なかったね」
「大丈夫だよ。今日はなんだかたくさん星が流れるもの」
「きっと、お前がいい子だから、神様がたくさんお願いをかけられるようにしてくださったのだよ」
「あ。また。すごい。本当に今日はすごいや」
「神様に感謝申し上げるんだよ」
「うん」
 その日は、本当にたくさんの星が流れました。最初はひとつ、またひとつ。というくらいだったのですが、じき、星達は前の星が流れ終わるのを待たないようになりました。
 やがて空には線のほか、なにも見えないほどになりました。
 さっきまで安堵しきっていたぼくの体が、冷えてきました。その頃には、まるで天は、星の雨です。 しかもぼくのほかに、そのことを知る人はいないのです。
「お、おじいさん…」
 恐怖にこわばった喉で、やっとのことで隣にいるおじいさんを呼びました。
 おじいさんは「どうしたね」と穏やかに聞いてくれますが、もうぼくは、声が出ません。空をあおいだまま、息も止まりそうなふるえる手で、おじいさんを揺さぶることしかできませんでした。
 おじいさんが、空を見ました。そして、顔色をさっと変えると、立ち上がって言いました。
 これはいけない。この世の終わりだ。
まるで人が違ったような声でした。
 おじいさんは断りもしないでぼくを抱え上げると、一気にはらっぱをかけ下りはじめました。
 星は、そのあいだにも次から次へと空からすべり落ち、ひゅうひゅうという不気味な空気の切れる音が、ぼくの耳にも聞こえてくるようになりました。
 しかもそれは、刻々と大きくなり、星の光もまた、砂ほどの粒からすこしずつ大きく、太く、空どころか地面を焼かんばかりに明るくなってくるのです。
 おじいさんはぼくの体にしっかりと両手を回し、ごうごうと苦しそうにあえいでいました。くずれ落ちる天の下で、ぼくの家だけが何も知らずに窓を光らしていました。









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