黒猫




 知らぬことであったがこの頃は黒猫を疎んじるのだ。
 私が幼少のみぎりは、そんなものより狐狸の類を嫌ったものだがこれも時世であろうか。
 だが出入りの植木屋や妻の嫌いようを見ていると、どうも二年や三年前から始まったものとも思えない。
 してみると、我が家でそうでなかっただけで、実は東京中の人間が黒猫を嫌っているのかも知れぬ。
 黒猫が勝手口にやってくると、普段物静かな妻がシッ、シッと獣のような声を発して威嚇する。それでも立ち去らねば書生に命じて捨てにゆかせる。
 子ども達に見つかると一層残虐なことになる。彼らは彼を遊びの憎まれ役に仕立て、棒を振って追い回すのだ。
 過日、休憩中の植木屋と縁側で話していると、にゃーという声がする。見ると、黒猫が縁の下から這い出してきて、こちらを見上げ、物欲しそうな目でまた鳴く。
 思わず情が動きそうになったその時、植木屋がはさみを構えたのには仰天した。
 てめえどっかきえちまえそのいまいましい頭ぁちょんぎるぞ!
 温厚に話していた人間と同じとも思えぬ言葉が、猫を庭から追い立てた。私は呆気にとられて、植木屋の顔を見た。
「黒猫なんてろくなもんじゃありませんぜ」
 わけを尋ねた。
「わけもなにも、黒猫は不吉でさあ。あの細い目を御覧なさい。何か悪いことを考えているに違いない」
 三毛猫はましな考えをするかい。と問う。
「人の揚げ足取るもんじゃありませんよ、旦那。あいつらは噛みます。それに引っ掻くんです。シラミをばら撒きます」
 野良猫なら虫は飼ってるものだ。
爪や牙は、私にだってある。




 私は黒猫の運命に同情した。いわれのない迫害をうける彼らの身の上を大変に気の毒に思っていた。
 悪いことに東京には黒猫が多い。しかも、六月に長雨が降って以来、どんどん増えつつあるようなのだ。
 人々の彼等を憎む理由はじき、その量の多さにこじつけられ、誰かが絶滅施設を作れなどと言い出すかも知れぬ。



 また天気が悪くなってきた。
雨が降るとまた黒猫が増える。増えれば腹をすかす。軒先に現れる。
憎まれる。気欝なことだ。
 雨雲のように広がっていく人の悪意を、私はどうすることも出来ない。
 人々は不吉なくらい簡単に黒猫を憎む。
どんどん辺りが暗くなってくる。




(EOF)




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