土産




 その冬、初めて雪が降った日のこと、川向こうの街に商いに出かけた父が、土産を持って帰ってきた。一匹の仔猫と、二歳の男の子だ。
 男の子は明らかに私達の部族とは人間が違っていた。肌の色が濃くて、はっきりした顔立ち。それに眉毛が、ほとんどつながっている。
 父は言った。今日からお前の弟だ。仲良くしてあげなさい。何でも分けてあげなさい。それから、猫に名前をつけなさい。
 後で聞いたことだが、西の果てでその頃、大きな動乱があったのだそうだ。たくさんの集落が焼かれ、避難してきた人達が野にも街にも大勢溢れていたのだそうだ。
 私へのお土産に仔猫を買った父は袖を引かれて子供も買った。多分、その家族は二週間くらいは食いつないだだろうと、父は昔の事を思い出して言ったこと がある。
 弟は、同じような境遇の子供たちに比べたら、かなりましな家へもらわれたほうだったかもしれない。
 しかしやはり辛いこともたくさんあったようで、夜中に勝手に寝床を抜け出して、猫を抱いたまま、軒先から川のほうをじっと見ていることがあった。
 私はそれを見るたびに、いつか弟は川の向こうへ帰ってしまうのかもしれないと思った。



 両親には私のほかに子供がない。男の子が何度か生まれたが、みんな早世してしまったそうだ。それで弟が父の手伝いをするようになった。家の中のこともじき、なんでもやるようになった。
 弟は私よりもずっと頭がよかった。学校で立派な詩を作って、先生から褒められたくらいだ。
 だから弟は両親にかわいがられ、じき子供なみに扱われるようになった。ただ、きれいな服を着ていても、同じごはんを食べても、学校で皆と並んでいても、その肌の色と顔の特徴だけは、私にいつまで経っても、彼が猫と一緒に家へ持ち込まれた日の事を思い出させた。


 春が来て、冬が来て、春が来て、冬が来て、二〇年もの年が流れるうちに、父が死んだ。するとやはり家督がふらふらとした。
 明らかに弟は息子同然に扱われていたが、やっぱり遠い見も知らない血筋の子供を、跡取りにすることには反対だと言う親戚が出てきた。老いた母は、普段疎遠な親戚がこんな時だけあれこれ指図をして、家の中をひっかき回すのを疎ましく思ったに違いない。しかし、嫁であることだし、またやはり母の中にも長年の迷いがあったと見えて、私に婿を迎えてはどうかという彼らの意見に反対できなかった。
 弟は庭の台に座り、すっかり年老いた猫を膝に乗せて、きらきらと流れる川の彼方を一人で見つめることが増えた。
 そしてとうとうある日、私達に向かって、「家族のことを調べてきます」と告げ、荷物を持って、川を越していってしまった。


 私は何人かの、未婚の男性の訪問を受けた。みな立派な家柄の人たちばかりだったが、私の喉には何かがつっかえているようで、心から微笑むことは難しかった。
 二週間が過ぎた頃、私は突然、朝ごはんを食べているときに母に言った。
 お母さん、私は、新しい男の人がやってくるたびに、弟のことを考えて悲しくなるの。弟よりも私のことを分かってくれて、この家のことを大事にしてくれる人などいやしないのにと思うと、誰の顔も同じに見えてしまう。
 すると母は、いきなり顔を覆っておいおいと泣き出したのだ。
 私がいけなかった。あんな親戚たちの言いなりになって。あの子が出て行くと言ったとき、引きとめればよかったよ。行かないでおくれと言えばよかったよ。あの子はいったいどれくらい遠くへ行ってしまったんだろう。もう帰ってきてはくれないのかねえ。



 弟が帰らぬまま、庭の木の葉が落ちた。日に日に風が冷たくなり、冬篭りの支度を終わらせるべき時が来ていた。
 親戚はようやく集落へ帰って行った。私達の家を訪れる者はもうなくなった。私と母は父の蓄えで、ぼんやりと日々を暮らした。
 痺れるように寒いある日の午後、庭にいると、はだかになったトチの木のてっぺんからさらさら雪が降り始めた。すると髭をはやした弟が戻ってきて、川を眺めている私の傍に立ってこう言った。
 姉さん、僕は随分遠くまで行ってきました。あの川のほかにも、川を三つ越しました。
 そこに僕と同じ肌をした人達の街がありました。今ではいくさ火もおさまり、すっかり平和な暮らしに戻っていました。
 みな親切にしてくれました。しかし僕のことを知っている人は誰もいません。
 あの時期にばらばらになった家族が、最近になってようやく再会できたという話も多いそうですが、結局、僕や僕の家族のことを覚えているという人を見つけることは出来ませんでした。
 僕は思いました。僕の両親は、ひょっとして僕から隠れているのかもしれない。一時の食糧と引きかえに売り飛ばした子供だもの、今更会わせる顔がないのかもしれない。
 ここには僕のことを知っているという人は誰もいない。でも、姉さんは僕の買われてきた日を覚えている。
 僕の故郷は、あそこなのだ。毎朝太陽の昇ってくる方角。三つの川の向こうの、お母さんとあなたのいる家。

 …お土産です。
そう言って弟が懐から取り出したのは、くんくん鼻を鳴らしている仔犬だった。




 私達は結婚した。母と老いた猫と、腕白な仔犬の面倒を見ながら、今も静かに暮らしている。



(EOF)



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