酸味
明治の御世に、こんな風習がまだいくらでも残っているものだ。 選ばれた娘の白無垢を着たのを、平らな輿に乗せて運んでいく。その輿を男達が担ぐ。 小麻神社までの町(あぜ)には惜しげもなく松明が点されてまことに目を見張るほど贅沢だが、見送るものは一人とてなく、閉てられた家の戸を乾いた秋風が揺する物音――ひどく寂しい道行きである。 親のしつこく呼ぶのに負けて帰ってみれば、五十年ごとの嫁取りの大神事だ、お前も輿を担げと言う。 新しい教育を受けた身だから何を馬鹿らしいことをと思いはしたが、村で啓蒙の恵みを受けらるる者は数少ないからカドを立てるのもどうかと考え、敢えて逆らわぬことにした。 この私が白装束で、コマサマの花嫁の担ぎ手になったなどと聞いたら東京の中山君など、ビイカアを振り回してさぞや高笑いすることだろう。 古い石段の手前で、嫁は輿から降りる。年老いた神主ら神官と共に、階段を昇っていくのを下で見送った。 神主達は、息で聖域を汚さぬよう顔の下半分を巨大な白い布で覆い隠している。幽鬼のような不気味な付き添いを得て進む娘の肌も、白蝋のように色をなくしていた。 気の毒にも、この寒い季節に、彼女は山の中腹にある社の中に一人置き去りにされるのである。 担ぎ手の中にも真っ青になって震えている男がいた。村の北の端に住む来助――小学校では私の同級生だった。どうやら彼はあの娘とそれなりな仲であるらしく、今回の神事にもかなり反対したが、かえりみられなかったと言う。 私は苦渋の面持ちの彼を見た時、初めて自分も勇気をもって行動し、旧弊な思想にこりかたまった神主を言い負かして、このような馬鹿げた行事は止めさせるべきであったと痛感した。 娘も来助も貧しい一族の子である。力の少ない村民を悲しませ、振り回すこのような悪習は廃れるべきだ。 しかしもはや、時は遅い――。 神主達の姿が階段の上へ再び現れ、それからゆっくりとこちらへ向かって降りてくる。 こどものころからコマサマにはみだりに近づいてはならぬと言われていた。しかし、年上に腕白なものがいて、禁を破って山に入ったときのことを教えてくれたことがある。 どうってことはない。せせこましい境内に古びたお社があるだけ、裏手の方にお地蔵さんが傾いでいた。他には何もなかった。つまらねえから石つぶて一つかみ、社に投げ込んで帰ってきたのだという。 その腕白坊主には別段のたたりもなかったようだが、大人になって露西亜との戦争に取られ、大陸で死んだという。 神主の家では、輿の担ぎ手に酒や肴が出された。コマサマの祝言の宴席だと言う。 みな大いに食らいかつ飲んだが、一人として暗闇の中にとり残された娘の事を忘れられた者はなく、表情は暗く、口数は少なく、杯の置かれる間はなかった。 来助は抑え込まれるように親類に左右を挟まれていた。彼は無念の思いをぶつけるように酒を飲み、真っ先に酔いつぶれた。 |
――深夜になった時、神主が 「そったら、四五人で迎えに行けや」 と言い出した。 「もういい頃だべ」 私は大いに安堵すると同時に――怒りが湧いてきた。 馬鹿馬鹿しい。結局こういうものなのではないか。しかも神主はこの場を動かぬという。 やはりこのような人間的でない、弱い者いじめの茶番は断然、今期限りで終わりにせねばならぬ。 私は来助らと一緒にあぜ道を歩いて、辱められた娘を迎えに行った。風は身を切るように冷たく、もう松明の明かりも消えていた。 来助は丁度酔いも冷めた頃で、途中から白い息を吐いて、娘の名を呼びながら駆け出してしまった。 みなが呼び止めようとしたが詮方ない。男達はまあよかろ、仕方がね、というふうに顔を見合わし、蓑をがさがさと揺すりながら黒い山へと続いた。 皆、上で行なわれている愁嘆場を予想してか、禁忌の山に登っていくのを遠慮した。しかしどれほど経っても来助が娘を連れて下りてこないので、おおいおおいと下から呼ばわった。 下りて来。はよう下りて来。 寒かでや。下りて来よ。 いらえはない。堪えかねて、とうとう私一人登っていった。他の者はためらったのだが、私は腹を立てていて彼等を慰めたかったし、いい加減にこの大チン事を終わりにして、早く文明の生活の中へ、戻っていきたかった。 石段を登りきると、予想よりもさらに狭い、みすぼらしい境内が現れた。夜よりもさらに黒い社に、骨のように白いしめ縄が渡っている。 それだけだ。来助の姿はない。さては恥辱に耐えかねて娘と共に姿を消したのでは――。 懸念しながら裏へ回ると、地面に来助がひれ伏していた。 いや、ひれ伏しているのではない。卒倒しかけたのを、辛うじて座り込んだような様子だ。 近寄ると、彼は自分の戻したもので両手膝を汚して、寒さにガタガタと震えていた。さては飲みすぎたか。 おい。と彼の肩に手をかける。 鼻に入ってきた胃酸の臭気に顔をしかめた時ぎいいと扉の軋る音がした。 見れば社の裏手の戸口が開いて、狭い裏道を通る風に揺られているのだ。社の中に目を凝らすが、娘の姿は見られない。 何か白いものがあるので山の方へ目を返すと、風に飛ばされた花嫁の白い衣が、枯れ木の枝に引っかかっているのだった。 娘はどこに行ったのだ。 やっと、迎えに来たというに。 傾斜の始まるあたりの草むらに背の低い人間が立っていた。 いや、『地蔵』。 それはおそらくあの腕白小僧が『地蔵』と呼んだものであった。だがそれは私が知っているものとは違うものである。 人の子ほどの背丈で肩が丸く、その口元が濡れていた。ぬめった光のせいで掘り込まれた唇の凹凸が明らかに見えた。 地蔵は機嫌がよい容子であった。機嫌がよい容子で微笑んでいた。足元には社から何かが引きずってこられた痕が残っていた。 来助の肩に両手の爪を食い込ましたその時、下から遠く、男達の声がした。 コマサマ 嫁御さ気に入ってたか 気に入ってたか 気に入ってたなら 嫁御さ 戻らね (了)
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img by 祭侍