書生




 夜じゅう瀬戸内の潮騒が聞こえるこの宿には去年も来たのだが、顔ぶれに変わりはなかった。そして今年も女中のすずは、連れの上原が好きらしい。
 上原は遠泳の得意な男だから、俺などとはかけ離れた上背の持ち主で、背骨もいつも伸びている。家はもとの士族で今はうちより貧乏だが、顔つきで言うならよほど彼のほうが大名に見えた。
 すずと来たらひいきが過ぎて、奴の椀には俺の倍ほど飯を盛る。それをまた上原は平らげる。事もなげに――。
 風呂に入った時、お前、あの女中がお前の事を好いているのを知っているのかいと聞いたら、知っているさと答えた。
 裏も表もない答えだったから、俺はまるで二人がもう所帯を持っているみたいに嬉しくなった。
 本当のことなんてどうでもいい。すずは上原のことなんてほとんど何も知りはしないだろう。着たきり雀の日に焼けて、海を歩き回ったり、夜にはすねに蚊を叩きつぶして所在の無く、子供と働く大人達のはざまで宙吊りになっている上原のことを、ただ好きになったのだ。
 そして翌朝もまた頬を赤くしながら、飯を山と盛るだろう。


 俺は二階の窓をどんと開いて海を見た。
 空に数え切れぬ星の全てを、我が身の内側にはりつけたくて、大きく深呼吸した。




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