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Shocked at Seductive Scarlet
== 4 ==



 その三日後。
トリエントーレの宮廷で催された戦勝祝賀会の席上で、エリクシスは久しぶりにバートレットと会った。ここのところ毎日移動に継ぐ移動であったし、お互いに事後処理に忙しく、顔を合わせる機会が無かったのである。
 壁際に一人でいるバートレットを見つけて、エリクシスは踊りの輪から抜けて出た。
「よお」
 彼女は、持っていたグラスをちょっと上げて軽い挨拶を返す。戦場で乱れていた髪は、とりあえず切りそろえられて肩までの長さになっていた。
「さすがトリエントーレの騎士殿だ。ダンスが達者なことだな」
「世辞は結構。踊らないのか?」
 するとバートレットは薄い微笑みを浮かべた。
「私は踊り方なぞ知らぬよ」
 通りかかった給仕から飲み物を拾うと、エリクシスは彼女の横の壁に寄りかかった。
「……最近は、その、会えないだろう」
うっそりと言う。
「あ?」
「……卿は忙しい」
 顔を少しうつむかせて、バートレットは笑った。
「おいおい。私は別にそんな用事でここまで来たんじゃないんだぞ。任務だからだ。事実、一週間もすればここからは引き揚げる」
「それでいいのか」
低い声だった。
「いいも何も……」
 バートレットは、突然風向きが変わったことにに苦笑する。
「一体、あんたにどういう心境の変化があったのかそっちの方が知りたいね」
 憮然とした表情で、エリクシスはグラスの中にわき起こる細かい泡を見つめた。
「誤解しないでもらおう。別に今もあんた方の不道徳を苦々しく思ってないわけじゃない」
 グラスを彼女に透かすと、髪の毛の緋色が球面全体に広がる。エリクシスは目を細めた。
「ただ、それは一旦置いておこう。夫婦とか、いかがわしさとか、あってはならない事の話じゃなくて、……衝動の話をしよう」
 そう言った卿の横顔を思い出す。彼は年若い妻を傍らに、両国友好の立て役者として忙しい。
 彼の痩せた手と、公女の瑞々しい小さな手の間に、横たわる多くの重要な意味と契約。
 だがそこに磁力はあるのか。言葉もなく惹かれ合うような、そういう引力は、あるのだろうか。
 エリクシスはうつむき、口を開いた。
「……別段理由もなく相手を知りたいと思う、触れたいと思うような衝動の話だ。俺は今までそういった経験がないが、そのうち俺にも来るのかも知れない」
 初っぱなからおかしな事を言う。
「……まあそれはいい。
 ……あんた等の周りを取り巻く、おろそかに出来ない色んな約束を取り除いたとき、あんた達の衝動は本物だし、それに何のかんのと文句をつけても勝ち目はない。だから、正しく言えば俺は諦めたんだ。勝てない勝負はしたくない。
 ……それに、戦闘の勝利は勝利で、何と言っても事実だ。俺が命を長らえたのも、それはそれだ。
 いや、あんたらの関係が有益だからどうのと言うんじゃないが……。くそ」
 話がますますこんがらがってきた。彼の中にある照れや、見栄といった感情が色んなところに注釈をつけたがるのだ。
 しまいに、自己撞着を起こしてエリクシスは不機嫌に黙り込んだ。畜生め、と心の中で舌打ちする。こんなややこしい問題に首を突っ込むなんて俺はどうかしている。
 バートレットは隣で腕を組み、彼が自分の尾を追ってぐるぐる回るのを眺めながら、年長者らしい笑いを浮かべていた。
 彼女がそうやって笑っているのを見て、エリクシスの方はいっそうご機嫌斜めになる。
「よく分かったよ、エリクシス。とりあえずそれはいいから、乾杯でもしよう」
 なだめるように、バートレットが言った。
「何で」
「何でって、今日は勝利の宴だぞ」
 そうだった。
 エリクシスはもう何も言わないでグラスを揚げた。そこにバートレットが自分のをぶつける。
 ちん、と高い澄んだ音が響いたときに、バートレットが笑った。
 ぞくっ、と全身に何か不吉なものが走り抜けるのを感じながら、エリクシスはこれが例の衝動かな、と思う。
 それからすぐに首を振って、いや、これは違う。
エリクシスも笑った。
 この欲には理由がある。こんな気分になるのはこの女があまりに、美しいからだから。





*





 トリエントーレ王宮は不夜城である。もはや夜半を過ぎたというのにあちこちから煌々たる灯りが漏れ、華やかな音楽が流れてくる。
 青い廊下を進む一人の影は、その喧噪から逃げるように人気のない道を選んで歩いていた。頭からすっぽりと薄い色の外套をかぶった、その影の動きは急がずゆったりとしていたが、随所に現れる隙のなさで夜の闇から浮き出していた。
 ふいに音もなく、影が方向を変えたかと思うと柱の影へすべり込んだ。
 ――――曲がり角の先から、誰かがやってくる。
 急ぎ足で進んできたのは、葡萄酒の壺を持った一人の従僕だった。柱の向こうに人のいることなど気付かずに通り過ぎる。
 それでもその後しばらく時間をおいてから、影は物陰から足を踏み出した。そして彼の去っていった方角を気にしながら、曲がり角へと進む。
「!!」
 次の瞬間、影は出会い頭の誰かと正面からぶつかった。背の高い男で、二人はその拍子にもろに顔を合わせてしまった。
「あ…………」
「!…………」
 突然、背の低い方が堪えきれなくなったらしく、くしゃっと、顔を歪めた。
 それがきっかけになった。二人は同時に吹き出して、体を折り曲げてその場で大笑いを始めたのだ。
「……も、もういや。あっははは。こんなの、は、……こんなのありかよ」
 息も絶え絶えになりながら、背の低い方が言う。フードが取れて、朱い髪が笑いに応えて揺れていた。
「ふふはははは。あーははは。あー、息が」
 背の高い方も壁に背をつけて、ぜいぜい言っている。
 この光景を誰か他の人間が見ていたら、二人は気が狂ったと思っただろう。


 ひとしきり笑ってどうにか収まりがつくと、バートレットは壁に貼りついているアルアニスの前に立った。
 卿は目尻に残った涙を人差し指でちょっと払うと、両手を伸ばして彼女を抱き寄せた。
「……あなたが寝ていたら、何も言わずに帰ろうと思ってました。……あなたもそうでした?」
「私たちは本気で、二人でいると人に迷惑だわ。つまんない手間がかかるったら」
「……本当ですねえ。……全く」
と、卿は彼女の前髪に手を触れる。開けた額の上に、静かに唇を当てた。
「こうもおんなじ事を考えているのかと思うと、怖くなりますよ。私とあなたは同じでも別の人間。……だから、こんなことが起こるはずはなかったのに」
「いっそ殺してやりたくなるのは、あなたも一緒?」
「つきつめるのはやめましょう。殺し合いになる」
「……だったら、あなたも分かってるわね。これは……、一時的なものだって」
「……そうですね」
 この同一がずっと続くはずがない。彼は微かに微笑んだ。
「きっと今が……、一番似ていて……いつかは……」
「そう。兄妹でも親子でもないのに、こんな符合は……。本当はありえないもの……」
 バートレットが耳元で囁く。彼はめまいのする目を閉じた。
「ではあり得ないものの話は……、やめておきましょう。私たちにはあまり……、時間がありません」




 衝動の話をしよう。
旅路の果てに自分自身とばったり出会ったとき、
それに向かって両手を差し伸ばしたくなる。
そういった、衝動の話をしよう。
 不可解と知りつつ触れられずにいられない、
違う肉体を持った自分と同じ人の、その熱の話を。
 そんな刻々失われていく奇跡のただ、
それだけの話をしよう。




*





 だいぶアルコールの回ったエリクシスはその夜、仏頂面してテーブルを睨みながらぶつくさ言っていた。
「変だよ、あいつら」
と、グラスの底に出来た水のわっかを指で乱す。
「フツー一緒になるために寝るもんだろ。他人同士であることを確認するために寝るってんじゃ話がぎゃくじゃねえか、なあ」
 隣の気の毒な騎士は眉を八の字にする。
「お前さっきから、一体誰のこと言ってんだ。あの戦からこっち、お前こそヘンだよ」
「俺はまともだよ。まともなんだ。変なのはあいつらだ。あんなんに関わるんじゃなかった」
「おいおい、大丈夫かよ」
 差しだされる手を振りほどいて、エリクシスは吼える。
「そもそもだ!」
「な、なんだ」
「そもそも! あいつの髪が、あんなに朱いからいけないんだ」
「……はあ?」
「くそったれ、目に焼き付いてはなれねえじゃねえかぁ」
どん、と額からもろにテーブルへと突っ伏す。
 騎士は痛そうに顔をしかめたものの、ぴくとも動かない彼の背中に諦めきってため息をつき、
「何だ結局、恋煩いの話かよ」
と、呟いた。それから、思いやりに満ちた笑みで、首を傾けた。
「違う、おかしな衝動の話なんだ」
「そうだ優等生君、世界は謎と不可思議と衝動に満ちている。
 ……だがそれだから、生きいくのも楽しいんだぜ」






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This novel is dedicated to Ms.Katayanagi.