コントラコスモス -6-
ContraCosmos




 色々と欲張ってがんばりすぎ、いい加減疲れて戻ってきた頃には、あたりはもうお祭り騒ぎだった。朝には何も無かった通りにはテーブルが溢れ、果物やら酒やらの周りで人々が騒ぐ。バンドを呼んで、もうダンスを始めている連中もいた。
 ガキどもが散らかす紙ふぶきをお土産に中庭まで帰り着くと、勿論ここも同様であった。
「ミノスさん! どこ行ってたの、いらっしゃいよ!」
 一番大きなテーブルから、家主の奥方が私を招く。酒が入ってえらくご満悦だ。
「ちょっと、薬草を置いてきますので……」
 このまま逃げたい、というのが本音だ。しかし敵もさるもの、店に入った途端、家主の旦那の方が私を呼びに来た。
「ほらほらほら、おいでよ、ミノスさん! 今日は大盤振る舞いだから!」
 と、敷居をまたいだ格好で私が行くまで動こうとしない。不覚にも私は疲れており、逃げる算段がまとまらないまま、ずるずると引き出されてしまった。
「年だなぁ、全く」
 地獄の夫婦の隣という逆特等席で、バンドの演奏を聴きながら差し出された白葡萄酒を飲む。渇いた喉に冷やされたそれが正直にうまい、などと思えてしまい、もはや諦めの境地だ。
 まだ午後2時を過ぎたばかりなのだが、今日は隣近所みんな愛想がよく、総勢三十人ばかりがあちこちのベンチに固まって笑い合っていた。
「つかまったな、ミノス」
 頭に花飾りを載せた若い少女たちとつるんでいたリップが、私の居心地悪そうな姿を見つけて笑いながらやってきた。
「昼から酒を飲んで何も言われないなんて、祭りの日は最高だねえ」
「そういや、林檎は?」
「あそこ」
 今しがた抜けてきた集団を指す。林檎は壁際で音楽を聴きながら、同じくらいの年の少女たちと一緒にいた。
「ああして混ざっていると普通に見えるな」
「ていうかあいつ、親と一緒にいなくていいのか」
「いいのだろ? 普段も何も言われないようだし。一体どういう……」
「――さ、お嬢さん方、お待ちどう様。そろそろダンスを始めましょうか!」
 中庭のスポンサーである家主の旦那が立ち上がって、みんなに呼びかけた。調子こいて手までぶんぶん回している。
「さあ、男なら勇気を出して! ご目当ての娘さんをダンスに誘ってくださいよ!」
 若い者はこの号令を待ち構えていたから、水路に流れ込む夏一番の水のように、さーっとあちこちの少女の固まりへ散っていった。
 こういったことは特別教育されるわけでもないが、毎年恙無く行われるのが不思議である。
 白葡萄酒が尽きたので、赤に手を出していると、家主の奥方が急に私の側に身を潜め、参謀の袖を引っ張るように私の服を引っ張った。
「見て! ミノスさん、あそこの窓」
「は?」
どうでもいいが結構な力だ。ていうか、痛い。
「何か?」
「ダナの婆さんよ。あの人いつもあそこに座って、下で誰かが騒いでいると妬ましそうにしてるのよねえ」
「……」
 見ると、朝とほとんど変わらない場所に、婆さんは座っていた。
 慈善院に連れて行かれるその日まで、ああやっているつもりだろうか。
「きっと年取って偏屈になっちゃったのね。混ぜて欲しいなら混ぜて欲しい、優しくして欲しいならそう言えばいいじゃない? 上からじぃーっと恨めしそうにされたら、こっちだって嫌だわよ」
 私が何も応えないのを見ると、奥方は急に自分が言いすぎたと思ったらしく、
「いや、別に私はそんなに気にしてないけどね。他の人のこともあるじゃない。みんな楽しんでいるんだから、嫌な思いをする人がでたら困るじゃない?」
と、喧しく弁解する。かと思うと、私の肩に突然がーんと自分の肩をぶつけ、
「ね、どうするのミノスさん。誰かと踊る約束はあるの? ミノスさんもお年頃だもんね。 ……ね。誰かいるんでしょう?」
 ……左肩は痛いし、やりきれないし、まさに地獄の特等席である。無論役立たずのリップは明後日の方角を見て笑ってるだけだ。
 やれやれと思いながら葡萄酒を舐めていると、踊り始めた少年少女達のサークルの向こうに、全身黒の立ち姿が現れたのに目が行った。
「マヒトだ」
「おう、ホントだ。こっちこっち」
 リップが手を振って彼に合図を送ると、マヒトは律儀に邪魔にならないよう壁際を回って、こちらまでやって来た。
「よう。いやー、始ってるな。少し様子を見に来ただけなんだが。あ、席ないか」
「ここに座れ。俺がどくから」
「え? いいよ。俺も別に用があるわけじゃ…」
「まあまあ」
 なんだか要領を得ない争いを制して、リップはさっさと席を立ち、踊りの輪とも違う方へ一人歩いていってしまった。
「……なんだ、どこへ行ったんだ。あいつは」
 マヒトは言って帽子を取る。紙ふぶきがばらっと落ちた。
「さあな。ところでマヒト。お前、ダンスは出来るのか?」
「え? ああ。まあステップくらいは知ってる。全然得意じゃないけど」
「まさか教会で教えてるんじゃないだろうな」
「そういうのもあるが、もっと上級職のためのものだ。俺のはまだ叙任式を受ける前、ガキの頃に覚えたヤツだよ。もう体が着いていかないかも知れんなあ」




…ダナ…。




「あ。そう」
「どうかしたか?」




『僕と一曲踊ってくれませんか。』





「いや、どうということはないんだが」
と、私はため息をつく。
もともと、こういう根回しは性に合わないのだ。





知ってます。
昔のようには絶対踊れない。
昔と違ってあの人もいない。





「さっきから林檎が壁際で余ってるから…」




でも、まだ音楽は枯れていません。
昔のように、一曲だけ、
僕と踊ってくださいな。





 林檎はそもそもこの辺りの人間じゃないから、みんな遠慮する。あぶれるのも当然だ。
 マヒトが私の言葉と視線をたどって壁へ目をやろうとした時だった。ふいに人々がざわめいて、その驚きの先ににこにこ笑うリップと、彼に手を引かれたダナ婆さんが現れた。
 みんなもびっくりしたが、婆さんだってびっくりだ。今まで誰も見たことのなかったような紅潮した頬で、恥ずかしそうにあたりをちらちら見やっている。
「じゃあバンドさん、次は『赤い花の娘』で頼むわ」
 飄々と注文をつけるリップに、ダナ婆さんはまた驚いて、奴の顔を見上げる。
「あ、あんた…、なんで知ってるの…」
 頭一つ上の高さから、ろくでなしはにっこり笑った。
「あなたのいい人とは、結構趣味が合うもんでね、僕」
 みんなが金縛りに合ったみたいに立ち尽くす中、男は女を輪の中にするりと導く。そして鳴り始めた音楽に合わせて彼女の手を取り、踊り始めた。
 『赤い花の娘』は2/4拍子。テンポの速い南国風の曲だ。そもそもあのバカに踊れるのか、という危惧を蹴散らす小気味の良さでリップは靴を鳴らし、手を打ち鳴らす。
 すると、突如婆さんの中に一本の稲妻が走ったかのように、その脈に応えて彼女の体も踵を打った。その動きは若々しく、まるで林檎の香りをさせた女の姿そのままで、人の目は一瞬、彼女のぴんと張った背に娘時代を見た。
 リップの唇から笑みがこぼれる。すると婆さんもひどく恥ずかしそうな困惑の中で、どうしようもなく、微笑んだ。
 間に円の空気を挟んで、二つの体が対峙する。それぞれ上げた右手で天球を描きながら、視線を合わせ、鏡のように調和する。
 走るステップが波を生み、辺りの騒音を駆逐していった。




 昔は美しかったダナ婆さん。
昔は駿馬のように瑞々しく走ったダナ婆さん。
 人を見てもつらい、祭りを見てもつらくなったのは、
いつも彼女と一緒に踊ってくれた若者が
いなくなってしまったからだ。
 どうせ、外には何もない。
あの人は死んだのだから。あれほど美しいものはもう、
人生に訪れない。
 早く死にたいわ。早く。
早く早く早く。
 それなのに今年もまた、あの人と過ごした最もいい時間、 夏至は来る。





「踊らないか、ミノス」
 マヒトの声で我に返った。
「はァ―――?」
思わず本気ですっとぼけて、彼の顔を見る。
「だってなんか楽しそうじゃないか。あいつらと一緒に踊らないか?
 さっきは俺に踊れるかって聞いたけど、そう言うからにはお前も踊れるんだろ?」
 なんだとう。
何を言ってるんだ、こいつは。そもそも私があれを聞いたのはだからじゃなくて、ええと。そうだ。
「りんごを――」
「曲が終わるよ、ほら」
「おい、マヒト!」
 このあんぽんたんども!
「ども」と言うのは、私も込みだからである。今日は他人に逆らう力が落ちている。珍しい苔を集めるのに躍起になったせいだ。
 そもそも私より一回り大きなマヒトに引っ張られたんでは勝ち目がない。家主の旦那が手を振ってるのとは訳が違うのだ。
 逆らう暇もなく、私は輪の中へ連れて行かれた。
「あら? あ? 足って、こうだっけ?」
 しかも本当にステップを忘れてやがる。時々人垣から笑われているのは、間違いなく私たちだろう。
「お前なあ…! 出来ないなら踊るな」
「見た目より難しいな。この曲。あ、脱げた」
 ああもう、何を考えているんだ、この男は。
絶対に向いてない。神父には向いていない。
 瀕死のタコみたいに踊るし、婆さんの心理も探れず、こっちの都合もお構いなしで、あるのは全く体力だけだ。
 こんな奴に厳粛な教会の式なんか取り仕切れるか。
大工になれ、大工に!
 恥と葡萄酒で汗が出てくる。やっとのことで曲が終わると、私はもう断固と輪から抜け、今更のように辺りを見回した。しかし、探している姿はどこにも見当たらなかった。
 背中から拍手が聞こえる。
ダナ婆さんが恥ずかしそうに、建物の中へ戻るのだ。
「あーあ。もう知らん」
 もとの席に戻って、額を押さえて嘆息した。
「?」
 置いてけぼりにあったマヒトの困惑が聞こえてくるようだが、無視だ無視。手を下げた頃、隣の席にリップがやってきて、どっかと腰を下ろした。
「あー疲れた。たまに踊るとやっぱ来るねえ。足がつりそうになったよ」
 言いながら酒飲みらしい意地汚さで、残り物の葡萄酒に手を伸ばす。
「なんだよ、お前。どこで習った」
「んー? いや別に。知ろうと思えば幾らでも知れたんじゃないの? 昔のこと覚えてる奴はどこにでもいるし……」
「ステップの話だ。ここのと少し違う」
「……そう? そういうミノスさんは?」
「……」
「なぁに、すごいわ! ダナさん、あんなに上手なのねえ! それならそうと言えばいいのに!」
 小うるさい地獄の奥方がどこからか返って来て、私達の話はそこで立ち消えになった。
 奥方と旦那は言い合う。あれなら慈善院なんかに送ることはない。いつもああしてればいい。言わないから分からなかった。
 目を転じると、マヒトは教区の女性らしいのにつかまって壁際で話込んでいる。見たことのない、大人しそうな美人だ。
「――どうも互いに、余計なことをしたようだな」
 騒ぎをよそに、私はぽつりと言った。リップは眉毛を上げ、目を閉じたまま、薄い唇で笑った。
「かもしれないな」






 夏至祭が終わって、二週間後。
ダナ婆さんが慈善院で死んだ。
 家主の奥方は、大声で嫁と息子の不人情を責めた挙句、
「でも最後に一度楽しい思いをしたのだから、それでも幸せだったわね」
と言った。
 婆さんが幸福だったはずがない。あれしきのことで覆るわけがないではないか。
 それでも人々はリップの気まぐれを餌に、呵責から逃れ続けるだろう。だからリップのしたことは本気で、「余計」以外の何物でもなかったのだ。
 はしゃぎすぎた。
それは私だけでなくリップにも共通する反省点だったらしく、その後私達は意識的に我を戒めて静かにしていた。


 ――それでも、石畳の間に紙ふぶきが残っているのを見る度、私は何度も思い出した。
 置物のようだった婆さんの背筋に電撃が走って、ありありと生き返ったあの、蹴りつける踵の祭りの日を。



-了-


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