コントラコスモス -25-
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年の暮れは赤ん坊と一緒にやってきた。いや、私のガキでも林檎のガキでも花屋のそれでもない。 知らなかったが金持ちの上得意を抱えるような花屋に、正月は無いらしい。年末年始にかけて随所で開かれる宴会、ミサ、ちょっとした集まり。全てに特注の花篭が幾つも必要になりしかも悉く日程は重なる。 手伝いましょうか? と我らのリップ君は申し出たが、「寝言を言っているのか」といつになく厳しく剣突を食らわされたそうだ。 「不慣れな人間を一人連れて行ったら、人手が倍必要になるのよ?! その上あなたがミスなんかした日には、どんな素敵な結果になりまして?!」 形相が変わってた、とリップは恐れ入った様子で赤ん坊が入った籠を抱えてやってきた。今年の最終日の朝のことである。 「誰のなんだ、そのちびさんは」 狼狽して私は言った。 ちびもちび。歩けもしないような一歳未満の子供だ。今更だが、私は子供が苦手である。 それも歩ける奴ならまだ何とか対処の仕様もあるが、歩けないのは本当に困る。泣かれでもしたらもうどうしていいか分からない。 青ざめて後ずさる私の代わりに、ぽーんとカウンターを飛び出していったのは林檎である。 「いやーん! かわいー! かわいー!」 「はいはい、せっかく寝てるから静かにね」 「こんな小さなお帽子つけて、ちーちゃな手袋つけて、かわいー!!」 「そうね。……えーと、正月だけ臨時に出てきてもらってる女の人のお子さんだって。子供産むために休み取ってたんだけど、経験があるからお願いしたんだって。 で、役立たずの俺は赤ん坊の面倒でも見てろ、と」 「いつまででしょう」 我ながら味気ない人間だとは思うがそこを確認しなければとても安心出来ない。 「いやぁ今日だけだよ、その人も産後だから。少なくとも年が明ける前にはお暇しますって」 「……分かった、なんとか我慢しよう」 「なんだろうね、この堂の入った子供嫌いは」 林檎はリップの腕に両手をかけて、籠の中、大人しく眠っている子供の顔を覗き込んでいる。 「うふふ、まだ女の子か男の子かも分かりましぇんねー」 「男の子らしいよ」 「名前は?」 「ちびちゃんとしか」 「…………」 「いや今、怖いんだって、あの人たち」 私は彼らの会話に構わず片付けを再開した。今日は商売と言うよりも掃除の為に店のドアを開いているのだが、失敗した。こんなことならもっと早くに掃除を済ませて今日は閉店にすればよかった。 「お乳はどうするんです?」 「知らない。何かどろどろした食い物持たされたから、それを上げろって。もう離れてんじゃない? とりあえずどっかに下ろしたいんだけど、いい? 林檎の腕が一番重い」 「あ、そんなところダメですー! 寒いもん。こっちなら、リップさんもカウンタにいながら見られるでしょ」 というわけで、赤ん坊は籠ごと壁際の椅子の上に置かれた。それにしても林檎のこの能動はなんだろうか。掃除をしていた時には首に縄を巻かれて引っ張られているようだったのだが。 「ねーリップさん、手袋取っちゃった方がいいんじゃないですか? 暑いかも」 「あー。いいよ、起こさないようにね、それとあんまりびっくりしない……」 凝り固まった腕をほぐしながらリップは返事をしたが、林檎はそれを最後まで聞かないで勝手に手袋を外してしまった。 「キャッ!!」 途端に悲鳴が漏れて、私もリップも振り返る。林檎が慌てて口を押さえて、詫びるような目で私達を見た。 「だから言ったのに」 リップはこともなげに言うが、私には何のことやら。怪訝な眼差しを受けて、林檎は慌てて手を動かした。 「だって、驚きますよ。この子、指が余計に一本ある……。私、びっくりしちゃって思わず……」 歩み寄って、カウンター越しに籠の中をのぞいた。両手をついて上体を延ばすと、やっと逆さまから子供の手が見えた。 確かに六本指だ。左右とも。親指の付け根は一本だが、第二間接あたりから枝分かれするように同じくらいの太さの一本が飛び出している。 「本当だ」 「それだけですか?!」 「まあ確かにちょっとびっくりするけどな、多指なんて普通にあることだぞ。足のほうは五本なのかな? どっちにしろ歩けるくらいになったら手術して取るんだろ」 「手術って……、どうするんです?」 「決まってるだろ」 不要な一本を落とすのだ。その結論を聞くと林檎は悲しそうに顔をしかめた。 「かわいそう……! こんなに小さいのに、そんなひどい……! 六本指で産まれるなんて……」 「かーわいそう、林檎ちゃん」 林檎の後ろでリップが明後日の方角を見つつ歌う。 「ちびちゃん知ってる? オンナってば足のとこに大事なプラスワンがついてないんだよー。それどころかマイナスワンなの。かわいそうだねー」 「何ですかそれ! 下品! 関係ないでしょ!」 「どうでもいいが、林檎……」 拳を振り上げてリップに食って掛かる彼女は、私の言葉に振り向いた。 「起きちまったぞ」 言いながら血の気が引いた。籠の中で赤ん坊が、先ほどまで眠っていたのが冗談のように真ん丸の目を開いている。 しかもうー、うーと左右を見たかと思うと、何を思ったか上から逆さまに覗き込んでいる私の顔を見て、ぴた、と動きを止める。 ていうか一緒に私の動きも凍る。 ――何か言えよ。という感じだ。 子供が苦手なのは、何を考えてるのかさっぱりわからないからだ。特にこれくらいの赤ん坊は喋りもしないし、泣いている時は不機嫌だと分かるが、それ以外は何なんだ。 いや、目を反らしてくれよ。そんなに無言で見つめられても、私は親でもなければ子でもないし。 緊張感に耐えられなくなった私は、おもむろに片手を挙げ、 「よッ」 と言った。 「いやいやいや」 次の瞬間、側の二人に激しくツッコまれる。同時に子供は泣き出した。面白いから店中の天井に自分の声を反響させてみよう、と企んでいるのかと思うほど強烈な泣き声だ。 「どうもここは環境がよくないねえー」 言いながらリップが籠から赤ん坊を取り出し、泣き喚くのをあやしながらそこらを歩き回る。鬱然となる私とは正反対に、林檎は何だか悔しそうに、じりじりしながらその後ろについて回っていた。 多分自分が抱いてみたくてたまらないのだろう。多指のことは忘れたらしい。 赤ん坊は十分ほど粘った後ようやく泣き止んだ。カウンターに腰掛けたリップの膝の上で大人しくもぞもぞしているので、未だに惜しそうな顔をしている林檎も渋々仕事に戻る。 昼過ぎ、来客があった。店の客ではなく、林檎を探しに来た林檎の家の者だった。 今日は大晦日である。普通なら娘は家にいて親の仕事を手伝っている。 「お父様が探しておいでです。お戻りください」 玄関から決して中へ入ろうとしない若い男は、出で立ちからしても口調からしても、どこかのお高い家の使用人という感じだった。 掃除で散らかった店内の様子と、黙ったまま腕組みをしている私と、カウンターで赤子を抱いているリップとを一瞥すると、何を勘違いしたのかやれやれといった縦じわを眉間に刻んだ。 「お父様の顔に泥を塗られるおつもりですか」 両手をだらんと落として、動かなくなっていた林檎は、その言葉にようやく荷物をまとめ始めた。納得したわけではなく、どうせ回避できないと諦めているようなところがあった。 私達は林檎がその男に連れられてとぼとぼ家に帰っていくのを見送った。 「初めて見たねえ」 いなくなってから、リップが呟く。 「あの子の誕生日にもこんなことは無かったのに」 言いたいことは分かる。それに当人がああ落胆していては何とも言えないが、……やはり年末くらい、家族と一緒にいた方がいいのではないだろうか。 少なくともここで私と新年を迎えるのは不自然だろうと思っていただけに、私は正直やや肩の荷が下りたような気分で、掃除を続けた。 だが林檎は間が悪かった。 彼女が帰ってほんの半時間ほど後、聖庁の伝令がやって来て、マヒトからの手紙を置いて行ったのだ。 「運の悪い奴」 「手紙は逃げないよ。なんて?」 「元気で――、ノルデンブルクに到着したそうだ」 「へえ、順調じゃない」 医学僧のマヒトは東部の学問都市ブラネスタイドで行われる医学会に参加するため、十日ほど前からコルタを空けている。手紙ではまだ現地に到っていないようだが、書かれた日付が五日前なので、現在はもう着いているかもしれない。 適当に拾い読みして紙を仕舞いかけた私に、ご機嫌の赤ん坊と遊びながらリップが言った。 「そっちのほうも読んでよ」 「――」 手が止まる程どきりとした。そして忌々しくなる。 知らん顔してちゃっかり見ていたのかこの偽名男は。 リップの言うのは全員に宛てた先ほどの一枚ではなく、折り目に「ミノスへ」と記された二枚目のことである。同じ封筒に、別々に入っていた。 「……読むのか?」 「それくらいいいじゃない」 私の躊躇を看過して妙に断固とリップは求めた。背を丸めて茶を舐めた後、ほんの少し譲歩はしたが。 「いやなところは飛ばしてもいいからさ」 「……そんなところがあるのかね」 その一枚を開く。末尾までびっしり文字が並んでいた。ちらりとリップを見るが、彼は赤ん坊に構って知らないふりを決め込んでいる。 仕方ないので肺に空気を入れた。覚悟を決め、私はそれを声に出して、読み始める。 |