L'inutile
ジダンのお休み









「よし」
 と、ある昼、卒然とジダンが言い出した。ヨシプは仕事の谷にあたってヒマ。ジダンは舞台演出の仕事が実現の手前でぽしゃったところだった。
「今日は心のままに振舞う日にする!」
 心なしかハア? という顔のヨシプに向かって、彼は家族の反応を尻目に自分の計画に没入していくお父さんのように、寧ろそれを見ないために天井を見上げて尚も
「シャワーを浴びてすぐ出かけるぞ! 今日は金のことは気にしない。うまい料理を食って、新しい家具でも買って、酒食らって夜まで全開で遊んで暮らす!」
「……」
「お前も一番いい服着て、寝癖直してすぐ出られるように待ってろ! すぐ出てくるからな」
「あの……」
 バスルームに去る彼にヨシプが聞く。
「ふつう芸術家って、創作活動で自分を解放するんじゃないの?」
「うるせえやい!!」
 彼は昨日のバスタオルを振り回して答えた。





 ジダンは僅かながら貯蓄もあるし、めくら滅法に貧乏だということはない。だがやはり先の見えない生活を送っているせいで、普段から出費を抑えようとする無意識の悲しいクセがついている。
 なまじテレビなんかとつながりを持って、一時期ちょっといい生活をしたのがいけなかった。と、彼。
「あれのせいで先の転落がかえって怖くなったよ。それまでは何もないことに慣れきってたってのに。
 ――あ。失礼。これ、このカーテン下さい。色は濃緑で。支払いはカードで。これでずっと気になってた居間のカーテンが取り替えられるぞ」
 ふんと鼻で息をされてもヨシプには言うことがない。
「買いたいと思うときに35ユーロのカーテンが買えるというのがえーと……『いい生活』?」
「おうともよ」
「…………」
 月給取りに比べたら実に慎ましやかなものである。
 もっとも次に靴を買ったがこれは割合にちゃんとした買い物だった。しかも彼はヨシプにも新品の革靴を買ってくれた。
「お前も俺のお下がりばっかじゃいけないだろう。デートの時くらいちゃんとした靴を履いていかないとな」
 靴下、ベルトなどの小物も当たり前に揃えてくれる。
「よし、じゃうまいもんでも食いに行くか!」
 どこまでも減速しないジダンに少々不安を覚えはするものの、自分のための靴やものを紙袋に下げて、昼の街を飛ぶように歩くのは、悪い気分ではなかった。
 たとえそれがトップブランドの店の袋ではなくても、すてきな気持ちだ。
 次に行ったのはベトナム料理の店だった。いや、豪華版でもなんでもなく、行きつけのフツーの店だ。頼むものもいつもと同じ、一般メニューである。
「いいじゃん。うまいんだから! 同じ金出すならこの店のこの魚料理がいいだろ?! ああ、お袋の味!」
「…………」
 これで本当に彼のストレスの発散になっているのならいいのだが。




 どうやらジダンは普段生活する時から、結構色んなことに気を使っているらしいぞとヨシプは気付いた。
 後ろめたいのか、何かに怯えているのか、それともただ躾がきびしかったのか、彼はあまり人から批難されるようなことはしないように気をつけて生きている。
 電車の中でもぴたりと切り詰めて席に座り、列に横入りすることも吸殻を放り投げることも路上で悪態をつくこともない。
 金持ちでもないくせに募金イベントの前を素通りするのがツラそうな彼は、ヤコブ・アイゼンシュタットなどに言わせれば「お人よし」なのだそうだ。
 ヨシプはこの自分の最新の保護者が奇矯な性癖の持ち主ではなく、やや小心な中産階級出身者であることをもちろん歓迎していた。しかしこんなギザギザして思い切りの悪い、不格好で無骨な冒険に付き合わされてみると、なんとなく、普段からもうちょっと自由に生きればいいのにと思わざるを得ない。




 次なる課題は『昼から酒を飲む』。だった。
「これが結構むつかしいよな」
と、おじさん。
「カフェーじゃ一日中普通にキツイ酒が飲めるし、カウンターで昼からスピリッツをなめる俺だなんて、話がちょっとかっこよくなってしまうではないか」
「そう?」
 ヨシプの疑問符を無視して拳で掌をパンと打つ。
「よし! 瓶ものの酒を買って路上で飲み歩きだ! これは行儀悪いぞ!」
「…………」
 なにがしたいんだ。
 近くのスーパーでコルク抜きの必要ない瓶ものをそれぞれ三本くらい買い込み、泣く子も黙るセーヌ河畔へ繰り出す。
 白い石で舗装された優美な遊歩道の向こうにどろどろと流れる川。犬を連れた老人や子供を遊ばせている母親が眉をひそめて通る傍で、ごちゃごちゃと汚らしく酒を広げる。
 途中の屋台で買ったシシュケバブの辛いサンドイッチを頬張りながら、スミノフをラッパ飲みする。
 なるほどこれは行儀が悪い。ローマンチックな空気を求めて河畔にやってきているカップル達がガムでも踏んだような顔で一組立ち二組立ち、遂には誰もいなくなった。
「だっはっは。ざまあみろ」
 ジダンは買ってきたカーテンを枕代わりにして寝転がる。時刻は午後五時過ぎだった。急速に暮れて色をなくしていく空を眺め、


L'automne déja !!


「もう秋か!」と叫ぶと、しばらく彼は、おとなしくなった。










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