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Shocked at Seductive Scarlet
== 3 ==



 太陽が南へ昇り切らないうちに、戦闘は始まった。丘の上へ陣取った連合軍は、兵を前・中・後の三つに割り、左右に広がるガラティア王国軍を中央から二つに割っていく作戦である。そしてその先端部分の突撃を任されたのは、馬に強く不屈の精神を持った、公国騎士団だった。



 出馬前、天幕の総司令官の前に、隊長達が挨拶にやって来た。
 エリクシスは卿の後ろに控え、入ってきた騎士達の中にあるバートレットの姿を、ぎらぎらする目で追っていた。そして同時に卿の横顔をも油断なく伺う。
 だが、何事も起こらなかった。
彼等は総司令から激励を受けると一糸乱れぬ完璧な礼をして天幕から出ていって、卿も女の姿を追いはしなかったし、彼女の方も一度としてこちらを見なかった。
 エリクシスはほっとして、それから、彼女はこの戦闘で死ぬのかもしれないのだと思った。
 そうだ。
公国騎士団は、全滅するまで闘うのが掟である。
 何かの拍子に戦況が不利になれば――――、どれだけ強い騎士だって……そうすれば……
「エリクシス。地図を」
 将軍に言われて彼ははっと我に返った。




 戦況はまず順調に作戦通り進んでいた。連合軍は四重に連なる王国軍の二重を昼過ぎまでに打ち破り、傷兵の引き上げと兵の補給とを迅速に繰り返しながら、ようやく勝機が垣間見えてきそうであった。
「……ようし、よし」
 総司令官が、安堵しかけたその時、異変は起こった。
 突如、取り乱しきった姿の伝令が天幕へ弾丸のように突っ込んできたのだ。
「申し上げます! 騎士隊が敵の第三部隊の中央を突破した瞬間に、残る第四隊にその退路を塞がれました!」
「何!」
 天幕の中はざわめいた。
「作戦を逆手に取られたか」
「現在騎士隊は必死に応戦をするも、取り囲まれた中で苦戦を強いられております! 応援をお願いいたします!」
 多くの目が、瞬時にお互いを探り合った。
「しかし、応援は……。応援は出来ぬ」
副指令が憎まれ役をかって出た。
「今後ろの陣形に手をつけては元も子もない……。かといって……」
「わしが参る」
 騎士団長が立ったが、いくつもの手にすぐ押しとどめられる。
「いけません、団長殿! 騎士団の手勢が今どれだけ残っているとお考えか。かような少数で突撃したところで、死にに行くようなものです」
「では、見殺しにするとでも……!」
 伝令が地面を見つめながら、悲痛なうなり声を上げた。
 天幕の中は重苦しい雰囲気となった。しかし、皆がその重みに唇を噛みながら、総司令が最後の決断を下すのを待っていた。
 エリクシスも、妙に心が躍るのを自分でもおかしい、と思いながら、総司令が
「……やむをえない」
と言うのを、その瞬間を、待っていた。
 しかし次に発言したのは総司令ではなく、彼の主人だった。
「私が行きましょう」
人々はざわめいた。
「卿! どの部隊で」
「韻術師を全員と……、騎士団の残りをお借りします」
「韻術でどうにかなさるおつもりか」
「勢いを逆転させればどうにかなります。そういうめくらましには韻術はよく効くのです」
「し、しかし、混戦の中韻術を使うのは」
「それは……、私を信じていただく他ございませんが。
 ……騎士団長殿。前にもひょんな事からあなたの部隊をお救いしました。今回もお役に立てると思うのです」
 厳しい顔つきで、騎士団長は肯いた。卿も肯き返して、それから総司令官の前に立つ。
「命令を、頂けるでしょうか」
強張った表情の総司令官はただ一言、
「……生きて戻られよ」
と言葉をかけた。
 伝令が間髪入れず飛び出していった。援軍向かう、の報を孤立した部隊に届けるために、一度かいくぐった死線をもう一度突破するためだ。
 続いて天幕の出口へ向かった卿の、先を塞ぐものがあった。真っ青な顔をしたエリクシスだ。
「……エリクシス。そこをどきなさい」
穏やかに、彼は言った。
「どうかお考え直し下さい、卿! あまりにも無謀です!」
「もう、議論は済みました」
「卿! どうか、どうか冷静になってください!」
「冷静です」
「いいえ! あなたは今、愚かしい衝動のあまり、現実を見失っておいでです!」
 次の瞬間、エリクシスは横に吹っ飛んだ。両手をつきながら振り向いた頬が燃え上がるようで、彼は自分が主人から横面を張り飛ばされたのを知った。
「いい加減にしなさい」
 卿の表情は、冷静そのものだった。そして、微かな怒りに眉が曇っていた。
「現実を見失って動揺しているのはあなたの方です」
 幕をくぐるようにして、卿は出ていった。後に残された者達は彼の行為と、その静かな迫力に無言であったが、やがて騎士団長が言った。
「早く行くのだ。お前の役目は卿をお守りすることであろう」
 その言葉に弾かれたように、青年は走り出した。




 卿は、誰も予想していなかった迂回ルートを辿って、孤立部隊へと接近した。細い山道であり、木が生い茂って使えないと思われていたのだが、敵軍が炊き出しのためにその道を拡張し、伐採を行っていたのである。
 全速力で走る馬の背中にしがみつきながら、しかし、とエリクシスは思った。
 しかし、大混戦となっている中でどうやって韻術など使うのだ。韻律は敵味方の区別などしない。大規模な術を使うだけ、味方を巻き込む可能性が高くなるのだ。
 しかも、味方の騎士隊達は、このルートで援軍が近づいてくるなどと思いもしまい。混乱が起こる。
どうやって……、どうやって。
 疑問が煙を吐いて、後ろへとすっ飛んでいった。公国騎士達はただもう、味方の危機に駆けつけたいというだけで、一心不乱に馬を飛ばしていた。


 そして、戦場を見下ろせる丘の上に着いたとき、エリクシス達は目を疑った。緋色の公国騎士団は皆、馬を捨て、丘を背後に手前側に固まっていたのだ。
 それは敵方から見れば死の恐怖のあまり、我と我が身の逃げ場を封じたように見えるだろう。だが、背後に韻術部隊を控えていれば、話は別だ。
 唖然とする騎士達の前に、ずいと韻術師達が進み出た。
そして、ぼそぼそと唱え始めたかと思うと――――
つむじ風が起こった。
 その不自然な風圧にはっとしたある騎士が振り向くと、赤毛を閃かせて叫んだ。
「伏せろ――――ッ!!」
 公国の騎士達が、目先の戦闘を放り出して一斉に地面に倒れ込んだ瞬間に、地上を熱波が襲った。その炎が何も知らない敵方の兵を容赦なく飲み込む。
 どおん、と地面が鳴った。地鳴りと共に、衝撃で埃が舞い上がる。そしてその煙が晴れたときには、もうその場には、黒く焦げた地面しかなかった。前衛部隊を根こそぎ奪い去られた敵軍が、たじたじと後退する。
 機を逃さず、
「公国騎士団! 行くぞ!!」
卿の隣で、騎士が剣を抜いた。
「栄えある公国騎士なら、仲間を己の蹄に掛けるな!」
 騎士達が一斉に丘を駆け下りる。見事な手綱さばきで徒歩の騎士達の間をすり抜けながら、敵へと切り込んでいった。


 形勢は鮮やかに逆転した。ふっと息を吐いた卿が後ろを振り返ると、そこにいるはずの従者がいない。
「おや? エリクシスは」
韻術師の一人が教えてくれた。
「騎士団と一緒に突撃していきましたよ」
「あ、そうでしたか。……ああ、本当だ」
 目を凝らすと、敵陣で剣を振るっている彼の姿が認められた。卿はちょっと唇を上げて、笑った。
「我々も下りましょう」
 一番後方には負傷した騎士達が固まっていた。負傷した仲間を後ろに庇って戦闘していたらしい。
「……さすがですねえ」
 首を振って、卿は馬から下りた。負傷兵を助けている者の中には、あの伝令もいる。
「ご苦労様。よく、知らせてくれました」
 卿が隣に屈み込んで言った。彼の肩は斬りつけられて出血し、背中には折れた矢が数本刺さったままだ。
「動かないで」
卿は後ろに手を回して、矢を抜いた。
「……良かったです。これで私も命がけでお伝えした甲斐がありました」
伝令は若い男で、ちょっと泣いていた。
「血を止めますから」
 背中の穴を塞いでもらっている最中、伝令は今までのいきさつを話した。
 彼が駆けつけて、援軍はあり、アルアニス卿の指導だと伝えると、生き残って突撃隊の指示をしていた女騎士が、突然陣形を変えさせた。丘を背中に固まり、ぎりぎりまで後退するようにと言ったのだ。
 それはまるで全滅のための陣形だと思われたので、伝令は正直、この騎士は何を考えているのだろうと思ったそうだ。
「しかし、まさかこの丘の上にいらして下さるとは……。本当に良かった、良かったです」
 伝令はそこまで言ったところで急に、前に、のめり込むようにして倒れた。卿が眠らせたのだ。負傷兵の手当を他の韻術師に託して、彼は再び騎乗した。
 騎士達が王国軍を追い込んでいる現場に向かう。そこでは逆転した立場の中、敗戦へと追い込まれる王国軍が最後の抵抗をしていた。
「気を抜くな! 無駄に死ぬな!!」
 彼女が前方で、雄々しい檄を飛ばしている。
――無駄に死ぬな?
 卿は馬上で、思わず笑った。その通りだ。無駄に死ぬなんて馬鹿げている。バートレット――


 エリクシスは無我夢中で前線に飛び込み、思うまま暴れていたのだが、少し勢いに乗りすぎていたのかも知れない。手練れの将兵達が、相手の腕が痺れたところを狙っているのに気が付かなかった。
 突然、彼は馬から吹っ飛んだ。後ろに回った騎馬の敵兵が、彼のマントを引っ張ったのだ。予期せぬ攻撃に彼は対応できず、背中から地面に叩きつけられる。
「卑怯者!」
 懸命に叫んだが、そんな言葉に耳は貸してもらえなかった。返り血を全身に浴びた兵が、弱い立場に立った彼を狙って、突っ込んでくる。
 剣は側にない。それ以上に体が動かないのだ。駄目だ。俺は死ぬんだ。
 もう名誉も体面もなく、一気に恐怖にとりつかれた彼は、体を庇いながら叫び声を上げた。
「あああああああっ!」


 どん、と何かがぶつかってきた。同時に奇妙に甲高い悲鳴が上がる。
「ひいいああっ!」
 最初は自分が叫んでいるのかと思った。むかでが半分ちぎれた時みたいに、自分で自分の体が分からなくなっているのかと思ったのだ。
 しかし、
「あーあ、またやられた」
というのん気な声に、おそるおそる目を開く。体のどこにも剣は刺さっていなかった。全身から、汗がどっと流れる。
 起きあがると、誰かの背中が目に入った。いや、この背中を彼は知っている。だが、何か変だった。
「あ……! あんた、髪……!」
 振り向いて、バートレットが笑う。首のところで縛っていた髪の毛が、肩まできれいに切り取られて、その頬にも上半身にも、血がべっとりと着いている。
「気が付いたら無かった。どっかに束になって転がってるかも知れないな」
と、言うなり彼女はどっかと彼の隣に腰を下ろした。
 そんな気の抜けた行為が、エリクシスに戦場のまっただ中にいることを思い出させる。慌てて周囲を確認した。
 そして彼は、赤い光の帯の中に守られている自分を見る。先程彼に斬りかかろうとしていた男はあなたで火まみれになっていた。
「え? これ、どうなってるんだ?!」
「動かない方がいいぞ。どうせ出られない。二人して赤色結界を張られたんだよ」
 こんなことなら飛び込むんじゃなかった、と彼女は言った。
「結界? だ、誰が……」
「あれの他に誰がいるよ」
 彼女の血濡れた手袋が指差した先に、馬に乗ってアルアニスがいた。緊張感もなく、にこにこしながらこちらに向かって手を振っている。
「…………」
唖然とするエリクシスの隣で、バートレットが楽しげに怒鳴った。
「こういうのは屈辱的だって言っただろうが! 後で覚えとけよ!」
 聞こえたのか聞こえないのか、彼はどちらにせよ無視して馬を翻す。二人は戦闘のど真ん中に安全に取り残されるという奇妙な事態になった。
「仕方ないな。少し休むか」
 バートレットは諦めているらしかった。赤色結界は最低三十分は続く。掛けた人間が解きに来るなら話は別だが、どうもそういうつもりもないらしい。
「…………」
「心配しないでも、この戦闘は勝ちだ」
「なら、いいんだが……」
「お陰で助かったよ。ありがとう」
 か、かん、と剣の触れあう音が聞こえる。
「……い、いや……」
エリクシスはやっとそれだけを言った。
「どうして、……その、援軍が丘から来るとわかったんだ」
「昨晩地図を見てたんで、あの道も使えるんじゃないかと思っていた。まああの男なら、あそこから来るだろうと思ってね」
「…………」
「……全く、私たちは似すぎている」
 バートレットは短くなった髪の毛をうるさげに後ろへ流した。それから、後ろに両手をついて天を仰いだ。
「いっそ同一人物か、私が男だったら良かったんだ。今よりずっと話が簡単になる」
 エリクシスは、膝小僧を抱いて、段々と戦場が遠くなるのを感じていた。戦闘そのものが、終焉へと向かっているのだ。
 衝動の話をしよう、と卿は言った。
例えばこんな衝動の話をしよう。
 親も違えば生活も違い、宗教や言語も違う。
そんな何もかも違うはずの誰かと同一であることなどあるだろうか。自分を探るように相手を貪りたくなるなどということがあるだろうか。
 目前にそのあり得ないものが現れてしまったとき、彼は、逆らわずそれに身を寄せることを選んだのだ。
 そしてこの騎士も。
「あんた恋人はいないのか」
 バートレットが聞いた。
「俺は、結婚する女としか付き合わない」
 エリクシスはぼそりと答える。笑われるかと思ったが、彼女は
「そうか」
と言っただけだった。
 それから彼女は立ち上がる。結界が効力を失しようとしているのだ。周りでは既に戦闘は起こっていない。持ち主を欠いた馬と、負傷した兵達が倒れているだけだ。
 ようやく忌々しい結界が破れると、バートレットは一頭の馬を捕まえて飛び乗った。そして馬上から、立ちあがろうとしているエリクシスに言った。
「……まあそれもいいが、女と抱き合うのも気持ちのいいものだから、いつか機会があったら試してみろ」
 赤い唇が、にっこりと笑った。それを見ていたら、なんだかエリクシスも笑いたくなって、苦笑しながら、やっと右手を上げた。
「じゃあ、またな」
 バートレットは馬を反転させると、隊の方へ戻っていった。エリクシスも自分の馬を捕まえたが、痛めた背骨が痛くてとても乗る気になれなかった。
 それで、轡を掴んで歩きながら、燃え尽きた戦場を歩いた。足下には夥しい数の死体が踏みしだかれるままに、自分に向かってひれ伏している。戦場から遠い彼は、こんなに大量の死体を見たのは初めてだ。
 勝ち残る肉体と、殺される肉体。
死んだおのおのの魂、言葉、人生がこうやって無言のままに横たわっていると、彼は自分が正しいから勝ったのだと、そんなふうに思うことが出来なかった。
 ましてや黄ばんだ天幕の中で思い描いていた勝利の喜悦など、そこにはない。沈黙の中にただ大地と、緑と死と、太陽だけがある。
 一生というのはこういうものなのだ。エリクシスは思い、なんだか泣き出しそうになった。
 俺はずっとこの静寂の中を生きていくのだ。人生には芝居みたいに派手な衣装もないし光も当たらない。音楽も流れない。ただ、ただ続いていくのだ。そしてその無修飾の先にはこれが、死があるのみだ。
 きっと誰もがこうやって生きていくのだ。
文句も言わずにただ、生きていくのだ。
 エリクシスは背骨の痛みを堪えながら、黙って馬を引き続けた。





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