さよなら
さよなら
さよなら
死んだ佐藤の部屋に、貸していたCDを取りに入った。 困り果てたような大屋さんから鍵を受け取り、人がいなくなって三日の部屋へ靴を脱いで、上がりこんだ。
俺は佐藤と最後に連絡を取った人間である。
すぐ近くにある俺の家で、会社の連中と飲んでいたので、お前も来ないかと携帯に電話をかけたのだ。すると彼はいつものように明るい声ですぐ行くよ、と答えた。
言葉どおりに彼は車のキーと財布を持ち、ダイハツの軽に乗り込んでこちらへ向かい始めた。そして私鉄の最終電車と踏み切りでガチンコ。
急ぎすぎていたのだ。
「馬鹿な奴だなあ」
と、上司は葬式で泣いたものだ。
勝つわけがない。軽自動車と最終電車じゃあ。
「本当にあいつは馬鹿なやつだ」
冗談じみた人生を生きた人間が冗談じみた死に方をする悲しみ。
彼はいつも酒の席で生き生きとして、持ち前の乗りで冗談を飛ばしまくる男だった。会社の皆は彼はあまりに洒脱がひどい、すごすぎる、などと言い合いながら、騒ぐ場所には彼が欠かせないことをよく知っていた。
本社のロッカーには彼が大騒ぎしている写真が山と収められているはずだ。
「ああいう人生もよかったね」
これは仕事の出来るとある女性社員が言っていた言葉だ。
「みんなの中に、普通とは違った形で自分の必要性と居場所を作ってたよね。本当…」
思い出すと同時に急に悲しくなった。 ……佐藤、彼女はお前を評価してたんだよ。
本当に馬鹿な奴だなあ、…お前……。
さよなら
さよなら
さよなら
三畳ばかりのフローリングの玄関から、手当たり次第に電気をつけたら、隣の六畳二間へ灯りが灯ったらしい。自然と隙間から光の漏れるそのふすまを開けた。
つっと驚くほどすべりがよいその壁が取れると、俺は中があまりにきちんと整頓されているのでびっくりした。
部屋の中央にある小机も、洋服も、本棚も何もかもがぴっしりしていた。投げ出された一冊の本、たたまれないままの一枚の服もない。
「…えーっ?」
俺はあまりに驚いたんで変な声を出してしまった。
この生活に無関心でがらんどうな部屋は、少しも佐藤のキャラと被らない。俺は自分のCDはきっと、雑誌や新聞などと一緒にごちゃごちゃと見えないところへ埋もれているのだろうと思っていたのだ。
納得できないまま唖然として二歩三歩踏み出すと、本棚のところに見慣れた模様を掴み取った。近所のTSUTAYAのビニル袋だ。俺がCDを貸した時、入れて渡したやつだ。
きれいに、…いや寧ろ慇懃無礼なまでに丁寧にたたまれたそれを取り出し、俺は自分が貼り付けたセロハンテープを確認した。
はがされていない。
あいつは聴いていないのだ。
『すごくよかったよ。』
貸した日から、ただの一度も。
『ホントやっぱり、クランプトンはいいね。』
………。
どういう事態なのかよく分からなかった。ただ何か妙な恐ろしさを感じて俺はさっさとこの部屋から出て行こうと思った。
ところが振り向いたその正面の机の上に礼儀正しい学習ノートが置いてあるのにぶち当たり、その震える足も止まる。測ったような精確さで、それはこっちを向いていた。その誤差のなさが彼のものだったのか、運命の持つものだったのか俺は知らない。
とにかく俺はその流れに逆らえずノートを手に取ったのだ。
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
―――――声にならない悲鳴をあげて、俺はそれを投げ出した。顔にカッと熱が上って、自分が肩で息をしているのが分かった。
きっと嘗てないほど乱暴な扱いを受けたノートは、まるでそのお返しだとでもいうかのように、書きなぐられたそのページをぺらりと、俺に向かってさらし続けていた。
部屋の中は灯りがついているだけで周囲は静寂であり、そこには俺とノートしかいなかったので俺はどうするのか自分で決めねばならなかった。
「………」
そろり、そろりと俺は一体誰に遠慮をしていたのだろう。死んだはずの見慣れぬこの家の主人か。それとも自分の心臓にだろうか。
俺は震える腕をやっとのことで伸ばして、紙の端をつかみ、次のページをめくった。
よなら
さよなら
さよなら
さらば 愚昧の徒たちよ
お前等は無知という下り坂を永遠に下り続けていけ
俺はもう知る
真実を知る
本当なんて知らぬうちにその言葉を振り回す空虚は
もうたくさんだ
お前等はこの先も何も知るまい
そんなに威張りふんぞり返ってその実
何一つ知りはしないのだ
ざまあみやがれ 真実は俺のものだ
お前達は自分がどれほど惨めな存在か知りもせず
永遠の虚無の中に立ちすくむ知恵もなく
盲目のまま盲目の手をたよりに
どこまでも生きるがいい
どこまでも生きるがいい
そして無限に蔓延るがいい
菜の花にたかる 醜悪の油虫の様に
――――本当に彼は、面白い人だったよね。
本当にあいつは、馬鹿だったなあ。
こんな死に方して本当に、本当に、本当に―――――
俺は部屋を飛び出し、靴もはかないままにアパートの欄干に辿り着くと、二階から吐いた。俺の胃の中身は隣家との間にある藪にぼとぼとと落ちていった。
そしてようやく肺に酸味がかった空気が送り込めるほどになった頃、ふと、視界に男のつま先が見えて俺は顔を上げた。そこには佐藤がいて、俺と目が合おうとにやりと笑って見せた。
さよなら
さよなら
さよなら
あれ以来、俺には時々佐藤が見えるようになった。
彼は夕方から翌朝の黎明まで人々の中に潜んでいて、時折、俺に眼差しでシグナルを送る。
お前も来ないのか?
そういうとき俺はちょっとだけ微笑を見せながら首を傾げてすぐ行くよ、と言うことにしている。
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