コントラコスモス -6-
ContraCosmos




  ここしばらく、林檎が妙にそわそわしている。今もヨモギを摩り下ろしながら、意識がぼーっとしているようで、ちらっと笑ったかと思うと妙に深刻な顔つきになったりして、挙句にリップに出すハーブの配合を間違えたりしている。
「……あのう林檎さん。湿布薬を飲んでるみたいなんですが」
「えー、気のせいですよ。いつも通りのお茶です」
 確認もせず顔も見ず、堂々と言えてしまうこの神経がうらやましくないでもない。と、いうより攻撃されればとりあえず叩き返す、というのが彼女の自衛パターンなのだろう。
「……」
 リップがドザエモンのような目で訴えてくるので仕方なく、私は湯を沸かした残り火で蜂蜜を溶かし、リップの椀にどっさり入れてやった。
「オー、甘いでーす。酒飲みを殺すツモリデスカー」
 やっぱり苦しいようだが、これ以上はやりようがない。とりあえず流し込んでしまえば胃の荒れは軽くなるのだし、もう黙って飲め、だ。
 ともかく、しばらくの間、高価な薬材料は戸棚の奥に隠しておこう。リップのセージと同様に、三倍増しで使われたんでは破産してしまう。
「そういや、そろそろ夏至祭だなあ」
 結局冷めるのを待つことにしたらしい酒飲みリップが、カウンターに肘をついてぽつりと言った。何と言うこともない話題だが、その途端、林檎の背筋がぴーん! と張る。
 目を丸くした私たちに向かい、林檎は本人のみ平常心のつもりで、汗までかいた顔を見せた。
「そ、それが、どうしたんですか?」
 どうかしたかはこっちの台詞だ。はしこくて頭の回転の速いリップは、もうにやにやとからかいに転じている。
「いや、どうってこともないけど、夏至祭は楽しみじゃない? 林檎はまだ酒飲まない方がいいだろうけど、みんなで大騒ぎ。楽しいよな。それにダンスもあるしね」
「え、でもあたし、ダンスすっごい下手くそなんですよ。誰かに誘われても、絶対断ります」
 それか。と私は彼女の手元でこぼれていくヨモギを思って下を向き、それか。とリップは白い歯を見せておやじのように失笑した。
「誰か一緒に踊りたい人でもいるの?」
「い、いや、別にいませんけどー」
「そうなんだ。ミノスは踊るのか?」
 くるりとこちらへ話を振るので、しかめ面で切っておいた。
「人を見てものを言えよ」
「別にいいじゃないか。年に一回くらい踊ってみせたって。出来ないわけじゃないだろ?」
「そんなガラじゃない」
「そうかねえ。大人はつまんねえな。マヒトはどうするんだろ」
「ありゃもっとガラじゃないな」
「だな。だがあいつもコルタ・ヌォーヴォの聖職者ならそのうちサロンに出入りするようになる。一曲や二曲踊れないと話にならないだろうに」
 ……少し補足の必要があるだろうか。
コルタ・ヌォーヴォはこの街の名である。ヌォーヴォ(新)と付くからには、以前はコルト・デラバルトという古風な名前であった。
 変わったのは、三十年前にここが教皇の居住地となり、大規模な再開発があったためで、それ以来コルタには、聖俗混合の独特な統治体制が誕生することになった。
 簡単に言うと市行政の高位職は、ほとんど全てが聖職者の独占になっている。さらに立法の要である市議会は聖職者一五〇+俗人一五〇の三百人体制で、数こそ対等だが前者の立場が非常に強い。
 教会権が大人しくしていないのは中世代から不変だが、これほど直に政治に関与している例は他の土地でもちょっと見られない。コルタ・ヌォーヴォは、街自体が教皇を筆頭とする正位教会の出城というわけだ。
 ここで重要なのは、俗界を管理する政治が聖域に近づいたのではなく、聖域が政治へ降りてきたという点だ。
 従って、非常に重んじられ地位は高いけれども、この街の坊さんはどこの街の聖職者よりも聖職者らしくない。
 じきサロンに出入りするようになるんだからダンスの一つくらい――、というリップの発言はこの事実に由来している。コルタにおいて「神学生」という呼称は、何と執政官の卵という意味なのである。
「しかしサロンにいるマヒトなんてちょっと想像できないな」
「あいつには死体解剖が一番向いてるよ」
「異端審問じゃなくて?」
 言いたいように言っていたら、当のマヒトがひょっこりやって来た。やや、と時計を見ればいつの間にか三時である。
「やあ真摯にして誠実なマヒト君」
「また何か悪口を言っていたな」
 思わず愛想笑いをするリップの隣に、大きな体の神学生は腰を下ろす。この男はいつも健康で、風邪一つ引かない。だが今日はいまいちその顔に覇気が無かった。
「どうかしたか?」
「うん。いや」
 平らな神父帽をカウンターの端に置くと、短い髪の毛を掌で撫でる。それからそっと差し出されたいつものお茶を「ああ、ありがとう」と受けとったが、やはり声が小さいようである。
「――中庭の向こう側に住んでるダナというご老人を知っているだろう?」
「あの誰とも喋らない、引っ込んでる婆さまか?」
 と、私。
「そういう言い方は感心しないが――、まあそうだ。たまに礼拝で挨拶なんか交わしていたんだがな」
「ああ」
 マヒトは大きな手で額を一度撫ぜた。
「……なんでも、慈善院へ入ることになったそうだ」
「そりゃまた、どうして」
 リップが思わず顔を上げるが、無理もない。慈善院というと聞こえは良いのだが、実態は病院でも面倒を見ることの出来ない特殊な病、狐つきや狂気や痴呆といった類に関わる人間の収容場所だ。引越しや修道院入りするのとは訳が違うし、行き先として未来を感じさせるような所ではなかった。
「さて? 婆さんはそんなにボケてたか?」
 何しろ一日中部屋にこもりきりの婆さんだからその辺もはっきりしなかったが、最後に見たときには別に普通だったように思う。体は小さいが足腰も頑健で、今も四階部分に暮らしているはずだ。
「……少々物忘れだの、勘違いだのは勿論あるんだが、年齢相応だろう。どうも、息子の嫁さんとうまくいかなかったみたいでな。嫁さんがご老人を家から出さねば私が出て行く、という剣幕で息子を押したらしいのだ」
「よくある話だが……」
 しかし、そこから本当に慈善院へ直行することはまずない。ゴタゴタしたまま何年か後に老婆が死んで、やれやれ苦労した、というのが普通だろう。
「うむ、実際に行くというのはそうあることじゃない。その件で今日息子の方から相談を受けてな。
 あのご老人は……、なんというか、分かりづらいところがあるんだ。ひねもすにこりともしないで、石のように黙りこくって独りで過ごしてる。嫁が世話を焼いても、息子が気を遣ってもまるで相手にしなかったようだ。今回も自分のことなのに特段反対などしなかったらしくて……。半分脅しのようなものだったのに、あっさりと慈善院行きが決定してしまったんだそうだ。
 最後まで母が何も言わないので、かえって息子も傷ついているみたいでな。……とにかく何とも言えない感じだ。そんなこんなで、今日は気分がすっきりしない」
「難しい話だねえ」
 横抱きにした楽器の弦を、リップが少しばかり引っかく。軽い台詞なのに適当に聞こえないのが不思議といえば不思議だった。
 マヒトも困ったような顔のまま、ため息を一つもらして、ようやくいつものようにお茶を口に運ぶ。
「婆さんが嫌がっているならともかく、そうでもない状況では、こちらもおいそれとは干渉できなくてな。先輩神父と二人、中途半端な立場で居心地が悪かった」
「マヒトさん」
 ふいに、今までずっと黙っていた林檎がカウンターから声をかけた。
「ん?」
「お茶の味は、いかがですか?」
「あ? ああ。いつも通りおいしいよ。ありがとう」
 ママー。みんなが僕をいじめるの。と、馬鹿らしい歌をリップが歌う。それでもとりあえずカップ半分ほどは飲み下したのだから立派だ。
 さすがにこれ以上強いるは気の毒だと思い、私は彼のカップをこっそり取り上げ、残りを流しに棄ててやった。






 この世において祭りには二種類ある。教会関係のものとそうでないものだ。復活祭や降臨祭、謝肉祭は当然前者にあたり、夏至祭、収穫祭、新年祭は少なくともその発生において後者である。
 夏至祭の起源は土着の自然崇拝に遡る。もっとも長い昼間を持つ日に太陽を讃えて一騒ぎ。彼らの思考は実に分かりやすく、それ故ここに至っても残るのだろう。
 夏至祭の日は、習慣的に商売は休みである。寝ていてもいいのだが、時間が勿体無いので薬草を摘みに行くことにする。
 朝6時。籠を手にすると、紙で出来た飾りが建物の壁から反対の壁までぞろぞろとつるされている道路へ出た。
 今日は川沿いの道を使うので、建物に作られた通路から中庭へ抜ける。井戸の側を通ったとき、ふと顔を上げると、向かいの建物、最上階の窓辺に老婆が座っているのが見えた。
 明かりが無いので当たり前かもしれないが、青白い顔にも目にも、生気がない。多分私が見えていると思うが、驚くことも、喜ぶことも嫌がることもない。
 置物のようであった。
その置物が、四、五日のうちに撤去されるというわけである。
 私は彼女に挨拶することもなく、中庭を横切って反対側の通路へもぐりこんだ。辺りはまだ薄暗かった。





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