― コーノス ―
聖庁の中には、一本だけコーノスが管理する通路がある。上水道の脇から入り、こそこそとあちこちの壁の中を進み、誰にも会わずにコーノスの執務室までたどり着ける。
私も全て辿ったことはないので、或いはもっと他の場所へも行けるのかもしれない。事実、一緒に歩く林檎が、
「これ、どこへの扉ですか?」
と不審げに指す先には鍵の掛かった扉がある。
法王の忠犬であると見せかけながら、実は根っからの反逆者であるのがコーノスの不穏なところだ。
普段は大きな流れの中にいて身を保っているくせ、裏では独自の情報網を張り巡らしたり、毒をコレクションしたり、こうやって事件を再調査したりと、実に細々動き回る。
まことに後ろ暗い趣味の悪い男である。 「やあ、やって来たね。お嬢さんも一緒に」
ところが、こいつの執務室の内装ときたらいつもすこぶる見事なのだ。この男は金銀より硝子を好む傾向があるが、それも華美を避け、清潔な水色で随所を縛るだけの教養がある。
が、今日に限ってはあの毒師ポワントスの工房と似た精神性をそこに見出して、私は感心するより先に用心した。
いかに表層を取り繕うとも、この痩せ男は真っ当ではない。
それだけを肝に命じて、挨拶に応じる。 「報告をしに来た」
「うん。お嬢さんはどうかしたかね?」
コーノスがそう聞くのは、林檎が前に比べると妙に着飾った格好をしているからだ。私は手を振った。
「気にするな。思春期なのだ。聖庁に行くと聞いたらお洒落をしなくてはならないと思う年頃なのだ」
「ほ――」
林檎は我々の会話も知らず、コーノスの部屋の内装にぽーっとなっている。そもそも連れて来なければよかったのだが、コーノスが聖庁の官僚だと知るや、猛烈に連れて行け連れて行けと騒ぐものだから、つい負けてしまった。
「悪いがお嬢さん。我々は奥で話をしているから、ちょっとそちらで待っていてもらえるかな? 何かあったら、扉を叩いて構わないから」
「え? あ、はい!」
きらきら光るグラス類に夢中になっていた彼女は慌てて返事したきりだ。私はやれやれと思いつつ、コーノスの書斎に入った。
「では話を聞こうか」
私がいつもの椅子に座った途端、彼は愛嬌を振り落として早速本題に入った。それを少し睨むようにして、私は言う。
「話が聞きたいのはこちらの方だな。教会内部で一体何が起きているのか」
コーノスは私を見たままにこりともしない。まあ、先方に説明の義務はない。
私は鼻で一息つくと、話を始めた。
「死体は触らせてもらった。確かに死因は腕からの薬物の注入で間違いない。胃の中は空っぽ。殺害される二〜三日前まで何も食べていなかったようだ。本人が断食していたのでなければ、監禁されていたのだろう。他は特に外傷もない。
で、毒はあんたの考えたとおり、あんたが毒師ポワントスから購入したソレだ。悪いがその辺りは勝手に調べさせてもらった。私が報告せねばならない事柄は、以上だと思うが」
口を噤むと、珍しく長めの沈黙が流れた。
コーノスは椅子に座らず、机の角に腰を預け、無表情のまま腕を組んで私を見下ろしていた。
この感情の動きの見えないいけ好かない男が、家庭では三人の娘の父親だというのだから不気味である。親になるのに資格はいらないらしい。ちなみに真ん中の娘が、私と同い年だそうだ。
やがて彼は口を開き、率直に聞いた。
「で、私が犯人だと思うかね」
だもんで私も率直に返す。
「思わない」
「それはありがとう」
コーノスは笑い、襟の中に顎をうずめるようにした。
別に礼をいわれる筋ではない。つじつまが合わないだけだ。
確かに毒物はコーノスのものだったのだろう。しかし、喩え彼に娼婦を殺す理由があったのだとしても、殺害を待ってまでマヒトに罪を着せる理由がない。
さらにいえばわざわざ秘密裡に毒物の鑑定を頼む動機もない。彼がそれをした以上、毒物の使用は彼にとっても予想外であり、今の今まで使われたのが本当に自分の毒だったのかどうか不確かだったと思うしかない。
「盗まれたのか?」
「というより、無断使用されたという方が正しい。そもそもあれは私の毒というより聖庁の毒だ。
……ポワントスは坊主嫌いでな、坊主には毒を売らん。そこで私が窓口になっているわけだが、持ち物としては書庫の本のようなもの。誰のものでもないのだ。
しかし、それらは厳重に鍵の掛かった場所へ保管されていて、その合鍵を持っているのは勿論、私。それ以外は、あるクラス以上の人間たちに限られる。そうだな、聖堂の鍵と、同じように」
視線の中に、分かるか? という問いが込められていた。
私は眉を上げる。 「――では、何か? 毒物がそれであると判明した時点で、自動的に黒幕が絞られると」
「そうだ。それで今少し参ったなと思っているところだ。正直予想していたよりも、はるかに高位な聖職者なものでな……」
気だるげに言った後、閉じた瞼を覆うように額を押さえた。
「世も末なことだ……」
意外なことに、本気でコーノスは衝撃を受けたようだった。聖庁にあって聖職者の堕落など見慣れているはずの男の狼狽は稀少だ。
と言うか、初めて見た。
それで私は尋ねる。
「何が起きている?」
彼の返答は一語だった。
「売春だ」
-つづく-
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