コントラコスモス -10-
ContraCosmos



 二日後。
客もなく、裏の注文も丁度切れ目で久しぶりにゆっくりした午後になった。
 それで掃除することにした。
林檎に手伝わせながら、普段ほったらかしにしてある棚の中身を空け、濡れ布で埃を拭き取っていく。二人とも口元を隠して泥棒みたいになりつつ(聖庁での一件の再来!)、結局夕方までかかってしまった。
「おお、玄関開け放して何やってんのかと思えば。お茶、飲める?」
 橙の斜光を士官のように引っ掛けて、リップが顔を出す。今日は一日出歩いていたようだ。
「大丈夫だ。もう終わる。……林檎、それ床に置いていいから作ってやれ」
「あ、はーい」
「悪いねえ」
 軽く手を上げてリップはカウンターへ着いた。店を横切る途中、その胸ポケットに何か小さな花が挿してあるのに気づき、「またやったな」と思った。
 林檎だってもうそろそろ三ヶ月だ。それを見逃すはずがない。
「今度は花屋ですか! いい加減にしないと怒りますよ、リップさん!」
「もう怒ってるじゃない。欲しけりゃあげようか?」
「サイテー!」
 最後の薬瓶を棚に戻して、掃除完了だ。林檎をからかうロクデナシの後ろを通り、カウンターの切れ目から中へ入る。
「林檎。今日はあがっていいぞ。ご苦労さん。――リップ。毒植物に詳しい花屋もいるぜ」
「ご忠告どーも。今日はマヒトは?」
「大ミサだ」
「あ、そうか。そういや今日は第三木曜日か。じゃあ今日は来ないのか」
「いや、五時ごろちょっと顔を見せると。一杯引っ掛けたらすぐ帰るんじゃないのか」
 リップはなんだか嬉しそうに歯を見せて笑い、私が考えていたことと同じ事を言った。
「お前が『悪かった』って言うまで通いつめるつもりかもな」
 私は肩をすくめた。
「……全く石頭だ。何を考えているのかさっぱり分からんよ、あの男は……」
 私みたいな人間に正々堂々と正義を説いたところで何にもならない。忙しい大きな行事の狭間にわざわざ大儀してここへやってくるよか、素直な信徒たちの世話をしたほうが世の中どれほどましになるか分からないのに。
 ふとリップを見ると、彼はカップを抱え込んだままにやにやしている。何故かカチンときた。
「……なんだよ」
「いやいやいや。ちょっと思い出し笑い」
「……のろけかよ」
「どんなものでも見通してしまう目のことを『竜眼』と言うね」
「?」
「俺、昔それを持っているに違いないと言われる人間を見たことがあるよ。ずっと昔、王都カステルヴィッツで」
「…………」
 私が沈黙している間に、リップは一口お茶を飲み、受け皿に椀を返した。
 カチン、と音がした。
「竜と喩えられるのはきっと『力だがあまりよくない』というようなニュアンスなんだろうな。
 そいつは孤立してた。独りだった。
つまらなそうだった。
 俺は遠くから仲間と一緒にそいつを眺めてた。耳からは心無い噂話、流言蜚語の雨アラレ。絶対に聞こえない場所から、たった一人に向けて思う存分悪口だ。
 実際、全部見られるんだろうと思ったよ。事ほど然様に俺らは低俗。あいつは俺らの正体を一瞥で見透かし、それで嫌われてしまうんだろう。
 俺は思った。そんな人間をこんな底の浅い世界に閉じ込めておくのはかわいそうだ――」
「邪魔するぞ、ミノス」
 開けっ放しになっていた表の扉を埋め尽くす影がぬっと現れた。マヒトだ。
 中途半端な私たちの顔を見て不思議そうに足を止める。
「? どうかしたか?」
「いいや? 座れよ。お疲れだったな」
 リップの表情から追憶の幽霊がふわり離れたかと思うと、瞬時に名残すら無くなった。安堵したマヒトが中へと入ってくる。
 それが語られたのを知っているのは今ではもう、私とリップ本人しかいなかった。
 外は暗くなってきていた。窓辺には燃える西の空が映されていたが、影なす路地は一足先に冷え始めている。
 髪を結び直した林檎が階下から店へ現れた。
「あ、こんばんはマヒトさん」
「ああ、お疲れ様」
「林檎、帰り際にドアを閉めていってくれ」
「あ、はい、分かりました」
 林檎は挨拶すると、言われたとおり扉を閉めて帰って行った。
 なにやら眠いので私はカウンターの中でごそごそ、自分の飲み物を作り始める。
「あ。カフェ作ってやがるな。てめえ、ちょっとよこせ」
 目ざといリップが身を乗り出して騒ぐ。私は犬を追い払うときのように手を振った。
「カフェ? 何だそれ?」
とマヒト。
「渡来の新種の飲みモンだよ。原理はお茶と同じで、葉の代わりに煎った種の砕いた奴が入るんだが、――香ばしくてうまいのよ。ここらじゃ滅多に口に出来ない。こいつズルで、たまに豆が手に入ると人に売らずに自分でしこしこ飲んでやがるんだ」
「私のものを私が飲んで何が悪いか」
「意地汚いんだよ。林檎が帰ったあとでこっそり作るところとか、細々ケチくさいんだよ!」
「ガキにこんないいもの飲ませてたまるか。これは私の薬だ」
「お前は昔話の坊さんか!」
 珈琲豆が絡むとリップがうるさくなるのは毎度のことだが、今日は普段よりもうるさかった。明らかに故意に騒いでいた。
 何故俺は昔の話なんかしてしまったのだろう。そういう戸惑いがその裏に隠されているような気がした。
 私も付き合った。私にも隠すべき感情があった。
もっと無表情でいるべきだった。或いは怪訝な顔でいるべきだった、何の話だか分からないと。それなのに―――。
 がたん、と扉が開き、らしくもなく私はびっくりした。
三人が三人そちらを向くと、すっかり暗くなった通りから灯りの照らす店内へやって来たのは、さっき帰って行ったはずの林檎と、ヤナギだ。
「……どうした、林……」
 言いかけて私はやめる。どうしたと聞くべきなのは林檎ではなくてモグリの方だった。なんというか、表情が死んでいる。不幸の匂いをかぎつけて全員が及び腰になった。
「十字路のところで会ったんです〜。……あんまりフラフラしてるし、馬車に轢かれそうだったんで、ご一緒しました」
 林檎が言うと、釣られた洗濯物みたいに突っ立っていたヤナギが動いた。ふらふらーとカウンターにやってきて、二日前と同様、リップとマヒトの間に体を滑り込ませ、しまいに頭をごん、と派手にぶつける。
「痛ッ……」
 マヒトが自分のことのように顔をしかめる。ヤナギはぴくりともしなかった。
 ……聞きたくない。かなり聞きたくないが、高い薬を売った手前、私は聞かなければならなかった。
「……うまく行かなかったのか?」
「う」
 唸った。
「うう――!!!」
 違った。泣いているらしい。
それを行為の失敗と受け取って私は驚いた。
 あの薬が効かなかった? 初めての例だ。それは困った。
 そりゃ全く失敗例が無いわけではない。しかしヤナギの年齢と、体力。『まともに出来ない』程度の症状を持った人間に効かなかったというのは初めてだ。
 何せ粗悪品ではない。例えば石のついたご婦人の指輪二つと交換できるほどの高級品なのだ。
 しかしそれだけに効かなかったではすまない。聞きたくはないが、もう少し詳しく聞かねばならなかった。
「薬が効かなかったのか? 最初からか? それとも途中で駄目になった?」
 『途中』って何よ?! という顔で林檎が私を見る。ファイトだ、思春期。
 マヒトはマヒトで、一体会話の下世話さに狼狽すべきか、目の前のヤナギの状態に気を割くべきか葛藤して青い顔をしていた。
「何? 緊張して出来なかったとか? それとも早く出し過ぎちゃった?」
 反応がないヤナギの肩をこつこつと突付きながら、リップが聞く。するとようやく――とは言っても顔は伏したまま、モグリのおやじは言った。
「薬は効いた」
「え? 何だ良かったじゃない――」
「それで見せたんだよ、カノジョに!」
 見せたんだ。
ギャラリーが微妙に引いたその時、ヤナギががばッと上体を起こし、リップに食ってかかった。
「そんで誘ったよ! そしたら、なんて言ったと思う! その女が――!」
 聞きたくない。かなり聞きたくないがこの期に及んで聞かないわけにもいかないだろう。
「わかんない。何て?」
 襟首をつかまれたままのリップが問う。その瞬間、ヤナギは絶叫した。
「『……どうしてそんなことするの? 私は自信がなくて駄目なあなたが好きだったのに』!!」



――やだ、そんな得意そうな顔して、あなたも結局つまんない男と一緒なのね……。
 いやよあたし。思い上がったバカな男はたくさんなの。



 曲がった指がリップのシャツから離れて宙に止まる。それから彼はえらくゆっくりカウンターに戻っていくと、顔を伏せ、
「うおお――!!!」
大声を出して泣き始めた。
「……あっら〜〜〜〜」
 リップが仲人のおばさんみたいな声を出す。口を開けた私もほぼ同じ心境だった。
 女の気持ちも分からないではない。私だって男が出来る出来ないに拘るのはバカらしい執着だと思う。
 しかしヤナギの彼女はどうやら、それを飛び越して『駄目』なのがいいらしい。行為できない男じゃないと嫌なのらしい。
「よかったじゃないか、この先薬飲まなくても彼女とうまくやっていけるぞ!」
 とは流石に口に出せず、私は腕を組んだ。なんと言ったらいいかまるで知恵が出てこないが、とにかく個人の感情としては――、
「か、かわいそう……」
 ドアのところで林檎が呟く。泣き喚くヤナギの先生の周りで、北国にいるマヒトのも含めて、全員の顎が静かに縦に頷いた。




-了-


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