コントラコスモス -17-
ContraCosmos



 二日目は、起こるべきことが起こる日として最初から身構えられていた。天井に這い回る意識の質も、執務室から出て隣室待機していたコーノスの行動も、いい加減しゃべることがなくなって黙って広間を監視していた我々の意識も、前日とは明らかに異なっていた。
 別段、互いに確信を交換したわけではないが、水際に関わる連中の一種の勘と言うか――平たく言えば、場数を踏み、毒を混入させようとする人間の行動パターンに親しんでいれば、今日に対して自然と注意は湧いてくるものだろう。
 それに、懸案の人物は情報を残しすぎていて、あらかじめ要注意と露見していた男だった。加えて初日の分かりやすい行動。あの時点でこの件の底は見え、今時点で既に収拾の段階に入っているのだ。
 後はそう、実際の行為を待つばかり。我々は寧ろ手ぐすね引いて、その瞬間を待ち受けている。
「レベルの低い仕事だなあ。こんなのなら旦那の優秀な部下さん達で全然事足りたんじゃないの」
 リップが隣で退屈そうにぼやいた。同感ではあるが、私はグラスから目を離さないまま答える。
「あまり気を抜くな。何が起こるか分からん」
「慎重だなあ。ミノスってひょっとして官吏養成科?」
 それは、目の前の荷馬車とにらみ合っていたら突然横から別の馬車に体当たりされたようなものだった。
 極力身体に反応が出ないようにと押さえつける。効果はあったが、そのせいで返答が遅れた。
まあ零点というところだろう。
「何の話だか」
 取り合わないのはリップも同様だ。
「あそこのお兄さん昨日、店に来てたよ。何の用事があったか知らないけどね」
 第一関節ほどしかない彼の頭を指差す。それからすぐに腕をたたんで、変らずだらしない口調で言った。
「明日も店、閉めんの?」
「……閉めるさ。明日は原料を採りに行くからな」
「ふーん」
「やるぞ」
 ――バシャン。
音が響く。
 やった。ざわめき驚いたのは下の連中だけだ。
もはや天井に神経の糸が張りつめることも無い。我々は役者たちが既知の筋書きを動いていくのを興味もなく、ただ見落としはないかという慎重さへの義務だけで追っていく。
 老司教の取り落とした葡萄酒の瓶の後始末。いやあ申し訳ない申し訳ない。太った身体を離れてばたばた動く両腕。
 今すぐ新しい葡萄酒を持ってこさせよう。
給仕役の神父が急いで広間を出て行く。王都側の客人達は呆れたような薄笑いを浮かべて互いに顔を見合わせたりしていた。
「しかし本当にやるんだねえ」
 リップが感心したように言う。
「神様って、いつもこんなの見てるのかな」
「思えば」
 他に行動が起こされなかったことを確認して、私は遠眼鏡を外した。
「少しくらい寛大じゃなきゃやってられんな」




 勿論若い給仕役の神父は何も知らなかった。普段どおり、葡萄酒の貯蔵された地下の倉まで走り、手近な二本を掴んでいそいそと広間前まで戻ってきただけだ。
 スタッフ用の小さな扉を開こうと、銅の取っ手に手を掛けた瞬間、白い骨っぽい手に、抱いていた瓶の首をむんずと掴んで止められた。
「……な、何か?」
 驚いて、突然現れた参務次官を眺める彼に、コーノスは無表情のまま下がるように命じ、自分がその扉から広間へと入っていった。
 両手には別の葡萄酒の瓶。背中に残された若い神父は、彼の部下に挟まれて唖然としつつ彼を見送った。




「あ、変態のおっさんが来た」
 リップが言ったように、瓶を抱えて広間に戻ってきたのは略服のままのコーノスだった。グラスに透かすと、それを見た聖庁の僧侶たちの、豆鉄砲を食らったハトみたいな顔がよく見える。
 三人、……四人。
「四人だな」
「そんなトコかな。おっさんばかりだなあ」
 テーブルの側に立ったコーノスは常識的な官吏らしく恭しく満座に挨拶すると、せっかくなのでとっておきの葡萄酒を出してきましたと台詞を言って、給仕役に瓶を手渡し、振舞うように命じた。
「こちらの味と香りについては、特に私が誇りを持って保証いたします。必ずどちら様にも満足していただける品質と存じますよ」
 察しのいい王都側の数人は表情を消している。うち一人は鋭い目でじろじろと決まり悪そうな僧侶達を見、それからコーノスのほうへ向いて
「頂きましょうか」
と空の杯を差し出した。
「……コーノスの旦那、窓口役引き受けるんだ。大変だよ、聖庁と王国の間で板ばさみ」
「俗人である以上、どうせあいつは板ばさみだ」
 何かに気づいた人々と、「少なくとも話は出来る」立場であることを王都側にアピールしたコーノス。何も気づかずただイレギュラーに戸惑う人々と、勿論計画を逆手に取られて慌てている連中とを合わせて、異様な雰囲気の中、二日目の晩餐は終了した。
 妙にしんとした王都側の官僚たちが退場するや、広間は汚い眺めになる。涼しげな表情で後ろ手に立っているコーノスに、計画者と思しき司教が集まり、『裏切り者』と当たり始めたのだ。
「折角の我々の計画を! 一体どういう了見か!」
 どうやらアル中老司教は、葡萄酒の瓶を落とすだけの係だったらしい。40代ばかりの、頭の固そうな司教がわめいている後ろで、椅子の肘掛をつかんだままもうコックリコックリ始めていた。
「事前に何度もこういった真似は慎んでくださるようお願いしたはずですが。彼らを二、三人毒殺して何になるというのです。仕事のために聖庁を訪れている外務官僚なのですよ」
「当然の罰だ! あれらはあのような言語道断な君主に服従し、聖なる家の土地建物を続々と徴収する悪行に加担しているのだぞ! これは神の制裁だ!!」
 そして没収した建物の一部を貧民のための病院や書館、救貧院に作り変えている。
 ――キサイアスは馬鹿ではない。
実際、馬鹿ではないのだ。
「もしそれが神の御心に適わぬ悪行ならば、いつか神の罰は下されるでしょう。人々にそう説くように、我々は信じて待てばよいのです」
「貴様それでも我が聖庁の役人か?! 王国のスパイめ! 売女の息子、一緒に地獄へ行け!」
 ごま塩頭の一人が怒鳴り終えると、広間はふいに静かになった。コーノスが黙ったのである。
 しまった。という空気が流れて滑稽なほどだった。どれほど役職が彼らより下であっても、実質的にコーノスがいなければ聖庁は回らない。
 従って力関係は妙なことになる。これはまるでさんざ当り散らした挙句、親から一喝されてしぼみこむ馬鹿な子供の駄々だ。
「……皆様、お疲れ様でした。明日は最後の晩餐です。少しはお心を静められて、目の前の人々と語り合われることをお勧めしますよ」




「ちゃちいなァ」
 コーノスの体が扉へとベクトルを変えた瞬間、今まで黙って事態を見守っていたリップがうんざりしたようにそう言った。
「人材不足は深刻だ」
「全く」
 同感である。こんな下らない計画でも、毒物があれば人は死ぬ。そうさせないために大の大人が何人も数日に渡って、手癖の悪い子供の監視をせねばならない。
 ため息が出るほど無駄だ。
どこの組織も内実はきっと、このようなものなのだろうが……。
 気を抜いた途端、欠伸がこぼれそうになり、私は慌てて手を口に当てた。




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