月見の会で酒を飲みすぎたのか、少しその後風邪っぽくなってあまり気分も朗らかではなかった。
久しぶりに毒物依頼の手紙を受け取ったが、何となく気の進まないまま、経験を当て込んで適当に準備をし、深夜を迎える。
入ってきた客は黒い外套を羽織っていて体の線が全く見えなかった(よくあることだ)。顔はというとフードに隠れて鼻先しか分からない(これもよくあること)。
カウンターの手前に設えた小さなテーブルに着席を勧める。客は一言も発しないで素直に椅子に座った。
私は囲いの立った蝋燭を持って向かいの席につく。おとなしい客に向かって、さてどうしましたか? と尋ねた時、いきなりその客が私の右手首をそっと掴んだ。
「――?」
あまりに静かにそれが行われたので、私は驚き損ねた。
だが、一瞬後肌に五つの爪を食いいれられた時には尋常でないことが知れた。
ぞくうっと全身に鳥肌が走り、私は立ち上がった。体を後ろに引いたけれど、それは一緒に着いてきた。まだ顔は見えない。
「……誰だ……?!」
がらんとした店の中でその疑問自体が時計となり、馬鹿にゆっくりと時を刻んだ。
やがてフードの中から冷静な、しかし負にまみれた――懐かしい声が漏れて、私の血の気を薄くした。
「見つけたぞチヒロ」
共に顔があがる。フードがずれる。野犬のように鋭く、光る目が二つ。長く黒い髪の毛。こけた頬。
口元には髭。唇は三日月の形で、
笑ッテイル。
「――――」
声が出なかった。その間にも体が凍って行く。動けなくなって行く。
逃げようと思った瞬間、男が力任せに私の体をテーブルの後ろから斜めに引きずりだし、躓いてよろめく足を利用してそのまま背中から壁に押し付けた。
自分の体で前を塞ぐと、いきなり頭髪を掴んで逃れようとした私の頭を何度も壁に打ち付ける。頭蓋骨の後ろの組織が滅茶苦茶になるようなイメージで、じーんという音と共に涙が出、意識が遠くなった。
立っていられなくなったが、頭は肩で、腰も壁に固定されたままで、足だけががくがくっと馬鹿みたいに踊る。
「愚かな女だ。自分の宿命から逃げられるとでも思ったのか?」
朦朧とした体を手がうごめいて行く。私がただうめき声しか上げられないのを愉しんで男は嘲笑した。
「俺はお前の父親だぞ?」
衣服の下から入った手が左の腰をなぞり、腿の裏へ降りたと思うや膝を抱え上げた。
記憶が意識を沸騰させ、私は震え上がった。助けを呼ぼうとか、圧倒しようとかいうより、恐怖で正気を失い、無我夢中で声を上げる。
布を挟んだ手が頬ごと口を掴む。いつものパターンだ。いつものパターンだった。そうと分かっていて必死に逃れようとした。
私は体を痙攣させ、涙を流して叫んだ。本当に嫌で昆虫のように残った手足でもがきながら、その嵐の中でいつまでもいつまでも叫んだ。
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