コントラコスモス -36-
ContraCosmos


「しばらくだな」
 と、教皇ステファヌスは座ったまま挨拶に応えた。貴族的な太い腹の前で、指輪のはまった手を組み、机の前に立つ痩せた参務次官に対する。
 その表情はそれが前提であるかのように穏やかで理知的だったが、コーノスのそれとはどことなく種が別で、寧ろずっと顔に着けていたために、剥がそうにも剥がれなくなった仮面を連想させた。
「……直接会いたいなどとゴネるからには何か言いたいことがあるのだろうね。しかし君は最近随分評判が悪いようだ。一体どうした? 外務に首を突っ込むなどと、わきまえのある君らしくもない。次官の本分を忘れたわけではあるまい?」
「……勿論、覚えております、猊下。しかし本日ご無理を聞いて頂きましたのは、今キサイアスに破門宣告を出すべきではないということをお伝えするためです」
「それが余計な口出しだと言うのだ。破門宣告を出すか出さないかは教会の決定だ。俗人である次官には関係ないし、外務院の受け持ちだぞ。君はいつからそんなに偉くなったのかね?」
「外務院はキサイアスから誤った情報を故意に渡され、操作されています」
 教皇の眉間の肉が盛り上がって皺が寄った。
「――何?」
「職務範囲外であることは重々承知でしたが、この一月ほど北ヴァンタス内で独自に調査を行いました。その結果、外務では把握していないと思われる事実が幾つか浮上しております。
 まずキサイアスは直属の蒼騎士隊を北から少しずつ手元に戻しており、武器防具の修理、調達等の動きが活発に見られます。
 加えてある軍閥の食糧庫から、一月前に購入された物資がごっそり消えました。内容は戦場食で丁度、千人程度の軍隊を二週間動かせる程度の量であり、行き先は不明です。
 さらに……、これが最も重要ですが、先月同国はマシュハド帝國から不審な積荷を大量に輸入しています。その他の輸入品と一緒に陸揚げされたもので、未だにはっきりしたことは不明ですが、部下の調査から恐らく内容は『銃』であろうと推測されます。
 そしてその時期は、ヤブロ大司教が教区内で捕縛された時期とぴったり符合します」
「…………」
「全てはキサイアスの筋書きです、猊下。彼の狙いはヤブロ大司教領などではなく、恐らく聖庁そのものです。
 ただ何の理由もなく聖都に押し入ったとなれば、北ヴァンタスの兵士たちも穏やかではありますまい。しかし課税問題に絡めた政治動乱にしてしまえば、説明は可能です。
 あの男は兵を整え、最新鋭の武器を用意して破門宣告を待っています。乗れば間違いなく開戦となり、聖庁の現在の戦力ではとても対応出来ません」
「今の諸情報の証拠となる書類は?」
「こちらを」
 コーノスが差し出した資料を、教皇は机に設えられた大きな丸いレンズの下でひとしきり流した。
「……外務院が踊らされているという話の根拠は」
「第一に事実と異なる情報が多すぎます。外務院情報では未だに蒼騎士隊は北伐中ということになっていますし、他にも根拠の曖昧な情報が幾つか判明しています。
 恐らく末端での収集活動が露見していて、不要な情報や誤報をつかまされているのでしょう。
 第二に、原因は同じであると考えますが、外務院のイェーガー顧問は、私が個人で使役している部下達について、本来知りえない情報をご存知でした」
「個人で使役? ……あの毒物師とやらのことか?」
「はい。猊下はその者の呼称をご存知ですが、出身地はご存じないはずです。私が一度も申し上げていないからですが、顧問は何故かそれをご存じだったのです。
 となれば、私以外の何者かが何らかの方法で情報を提供したのでしょう。そして私の部下の正体を知る者はそのほとんど全てが北ヴァンタス人です。
 ……恐らく、内務と外務に対立関係を生み、聖庁を混乱させることが相手の目的なのでしょう。事実それは果たされました。これより先の罠はより深刻です、猊下。
 今一度これら材料を吟味頂き、対策をお考え直し下さるようにお願いいたします」
「…………」
 書類から注意を離さぬまま、教皇はしばらく反応を隠していた。ややあって顔を上げると、無表情のまま言った。
「君が北ヴァンタスの間諜である疑いは捨て切れんな」
「有り得ないことでございます」
 コーノスは目を細めて受け流す。
「…………」
 教皇は身体をずらし、肘を着いた。肉厚な頬を拳で押さえ、コーノスから見て右を眺めながら、最初に言った。
「――たとえここにある情報が全て事実だとしても、破門を取りやめることは出来ん」
 断固とした否定に、コーノスの眉が上がる。だが口調はまだ静かだった。
「理由をお聞かせください」
「度重なる領土侵犯、聖庁に対する反抗的態度、重婚と淫蕩に対する訓戒の無視、当てつけ的な三部会開催、それに加えて今回のヤブロ大司教拉致。
 聖庁はもはや忍耐の限りを超えるほど侮辱されている。これに対して何らの懲罰も行わぬというわけにはいかぬ。断固とした処置で当たらねば聖庁の威信は汚され、キサイアスの後に続く者が続出するだろう」
「……ではせめて聖都内の軍備充実と外壁の補強が終わるまでお待ちください。それほどお待たせは致しません。二週間を下されば何とか……」
 教皇は彼を遮り、面倒くさそうに言った。
「既に宣告状は完成している」
「……何と?!」
 コーノスは思わず大きな声を上げた。
早すぎる。たとえ今日その決定が出たのだとしても、書類を作るのに十日は必要なはずだ。
 外務院の連中が、情報の真偽も確かめずに前々から突っ走っていたに違いない。その判断の裏には、明らかにあのカイウスの暗躍があるというのに。
「今出すことはなりません! お考え直しください!」
 机に両手をついて思わず身を乗り出すコーノスに、教皇は妙にゆっくりと頭を振った。
「それは出来ぬ。完成したものを引き下げれば私は枢機卿達から臆病者と謗られよう。
 それに次官。……よく落ち着いて考えてみることだ。君の懸念は些か荒唐無稽だと思わんかね? 一体どこの愚か者が聖都コルタ・ヌォーヴォに矛を向けると言うのか? それはそのまま聖体への反逆、神への反逆になる。
 そのような大罪を行う者は地上にいない。またそのような非道の君主に従う兵士もよもやおるまい。
 一旦破門宣告が下ればキサイアスも事の重大さに思い至るだろう。北ヴァンタスの民達は君主を見限り、キサイアスは洗礼名を取り戻そうと奔走を始めるはずだ。
 十七年前の『アーラン』を思い出したまえ」
 教皇の言うのは、前教皇アレギシウスU世によって破門されたある王が、教皇が滞在していたアーラン城の門前に裸足で立ち続けて懺悔し、三日後にようやく赦された事件のことだ。
 破門宣告という言葉を聞いて人々が思い浮かべる最も派手なエピソードがそれであり、きっとキサイアスもそうなるだろうと予想する。
 確かに自分も聖職者なら、そう言って笑ったかもしれない。『アーラン』を見よ。聖庁が宝刀を抜いた以上、今回もああなる。この世で教皇権は太陽のように絶対なのだ。
 翻って自分には、彼らを納得させる前例がない。今までの経験からキサイアスには常識が通用しないと勘付いていても、それを伝えられないのだ。
 コーノスは敗北の予兆に追いつかれ、全身が慄然とした。それを懸命に押し留めながら、最後の質問をする。
「……では万が一、北ヴァンタス軍が聖都を襲撃した場合は、どうなるのですか」
「聖庁は直ちにキサイアスを全人類の敵と認定し、全ての国の全ての君主に彼の討伐を命令する」
「それは結構ですが、襲撃の際、蹂躙される街の人間達のことはどうなるのです! 無論近衛隊も無力ではありますまいが、蒼騎士隊は残虐で知られた軍隊です。街に火が掛けられ、女子供が乱暴され人々が殺されても、尚聖庁の威厳の方が大事だと仰るのですか!」
「今回は、そうだ」
 教皇の答えは、水のように簡潔だった。まるでこの世の物語でないかのように。
「そのようなことはないと信じるが万が一そうなれば、人々は正義と信仰のためにそれぞれが尊い犠牲を払うだろう。
 そして彼らはそれを喜んで身に受けるだろう。それが聖都コルタという祝福された街に住む本当の信者たちだ」
 しん、となった。
血の気が引いて寒さが増すと同時に、耳の奥に眩暈が生まれた。それでいて足は床に張り付き、動かすことが出来なかった。
 両の掌を広げたまま、小さな声でコーノスは聞いた。
「……それは、千度目も変わらぬ答えでございますか」
「千度とは、何か?」
「千尋(ちひろ)です。千度尋ねて千度心の変わらなければそれ以上は疑えないということです。
 猊下は今、『人々は聖庁の為に甘んじて死ぬべきだ。』と仰った。……それが、千度問うても変容せぬ猊下のお心でございますか?」



 切り立つような静けさの中で、教皇はしばらくコーノスの顔を見ていた。だがやがて、
「そうだ」
と答え、それで面会は終わりになった。





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