足音が聞こえる。またどれくらい眠っていたのだろう。辺りはすっかり暗かった。
 いや、私の視力がおかしいのかもしれない。視界が変だった。左半分ほど、黒い靄でも掛かっているようだ。目は閉じておくことにした。
 且つ頭が割れるように痛かった。脈も時折飛んでいた。それは嵐が過ぎ去った証でもあった。そういうものはみんな、全てが終わった後にどっと来るのだ。
 それにしても馬鹿に静かだ。みんなはどこへ行ったのだろう。聞こえるのは足音と、たった一人の息の音だけだ。
 足音は段々近づいてきて、しまいにどさりと荷物でも落ちるような音がした。誰かが寝台の側に座ったらしい。
「ミノス」
 坊主だった。
「何か必要だったら、手を上げろ」
 私は首を振った。前傾になっていた彼の気配が少し離れるのが分かった。背もたれに、戻ったのだ。
「……俺はこれから、聖庁へ戻る……」
 そうか。そうしろ。
「……こんな犯罪を、とても放ってはおけないからな」
 よせ、マヒト。
また立場を悪くするだけだ。
 犯罪は私もするし奴もする。それだけのことなんだ。やられる方が悪いのだし、誰だっていつかは自分の犯した罪の報いを受けるものだ。
「もう、やめてもいいんだ。坊主なんて。もしこれが聖庁の現実なら……、信仰は棄てないが、俺は別の道を行く」
 私は鼻が痛くなってきた。
 林檎の言った通りじゃないか。全く私は、こいつの人生を狂わせるにも程がある。
「……誤解がないように言っておく。俺は、たった一人で生きていても、きっと必ずここへ辿り着いたぞ」
 …………。
「俺の本質と、集団化した聖職者達の本質は違うんだと、いつか必ず気づいたさ。もっとも俺は魯鈍だから、もっと時間がかかったかもしれないけどな。お前とは全然関係ない話だ。誤解するな」
 誰が一体、こんな野郎を私の側に、連れてきたのだろう。
「……最後に一つだけ教えてくれ」
 衣擦れの気配と共に、彼は再び口を開いた。
「工房の机の上にちょっとした荷物があって……、その中に…………白い押し花があったが…………。あれは……」
 マヒトはその先を、容易に言わなかった。気配と息が小刻みに震えていた。
 私は口を開いてみた。喉が焼けて声帯は痛んでいたが、ひどい掠れ声ながら、一応音が出た。
「……捨てるつもりで……、出したんだ……」
 堪えきれぬ嗚咽が返ってきた。
 大きな熱い手が私の口を押さえた。
「嘘つきめ……!!」
 くぐもった呻き声が聞こえる。
 唇の隙間から雫が零れてきて、舌の先へ乗った。塩の味がした。
「この嘘つきめ……! 嘘つきめ……!」
 二度と俺を謀らないでくれと言ったじゃないか。
と彼は震えた。
 私も震えていた。魂の底から震えていた。





 見てるんだろう、お前。もういい。もう満足だ。
この男を自由にしろ。
 私はこの世で受け取ることのできる全てを受け取った。







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