コントラコスモス -38-
ContraCosmos




「いい加減弁えなさい、一体何のつもりですか。司教は執務外のお時間ですしご来客中です。突然来て会わせろと騒がれても、そのような無理は通りませんよ」
 イェーガーの部下であろうその僧侶は体の線の細い、神経質そうな男だった。汚いものでも見るような目で、扉の前に立つマヒトの無骨な骨格を眺め、嫌悪感を露にしながら応対した。
「構いません。お手すきになるまで待たせて頂きます。二時間でも、三時間でも」
 問答無用の応えを聞いて、ますます不快の色を強くする。
「馬鹿なことを……。そんなところに突っ立っていられたのではこちらが迷惑です、神父。
 ……あなたの担当官は一体どなたですか? 苦情を申し立てますよ」
 マヒトは動じなかった。
「担当はアウグスト司教です。ご連絡頂いて構いません」
「アウグスト司教……? な……、ちょっとお待ちを」
 何故か男は慌てたように中へ入っていった。大きな黒塗りの扉が注意深く閉められる。定めし主は、潔癖な性質の持ち主なのだろう。
 マヒトの背よりも高い窓から外を見ると、空はもう青色で、僧房の中庭には雀が遊んでいた。すっかり忘れていたが、そういえば今日は、聖テオドラの昇天祭だ。
 やがて靴音がして、彼の顎が室内へと戻る。
「マヒト。一体どうしたんだね」
 現れたのは当のアウグストだった。来客とは彼のことだったらしい。
「君がいきなりやって来て、司教に会わせろと騒いでいるというから……。縁も繋がりも無い司教に面会をしたい時には、私経由で事前に話を通さねばならない。君も知っていることだろう?」
「存じておりますが、どうしても今、お話しなければならないことがございましたので」
「なんだね? 私が代わりに聞いておこう」
「直接お話したいのです」
「マヒト。君も子供ではないのだ。あまり聞かないことを言うものじゃない」
「そうですか」
 ぐ、とその黒い目に捉えられて、アウグストは心中密かにたじろいだ。この身に迫るものは何か。
 この男は大柄で声は大きいが、自信は無く寧ろ鈍重な性のはずだ。今まで――あの馬鹿げた告白の時でさえ、このように、人を威圧するようなことは有りはしなかった。
 それが突然体の使い方を覚えたとでも言うように、力をみなぎらせて立っている。アウグストは自分が気圧され、萎縮するのを感じた。
「イェーガー司教は、ただ私怨を晴らす為だけに、ある幼い少女を唆し、その少女に私の友人を害させました。明らかなる犯罪行為です。それについてご説明を頂きたく、本日私は参ったのです」
 大きな声だった。アウグストはぞっとした。背中には司教の部屋があって聞こえぬでもないだろうし、側には取次ぎ役の僧侶がいる。
「マヒト、止めなさい! そんな声で……!」
「何故でしょうか。私は嘘は申しておりません」
 気の毒なアウグストはくらくらして、いっそ自殺したくなった。今マヒトが言ったことが真実なら、尚更そんなことを大声で吹聴するのは危険ではないか。
「この、馬鹿者……!」
「――聞き捨てならないですね、それは」
「司教……!」
 困惑した男の後ろから、彼は現れた。世の絵に卑怯なる悪魔はおぞましく獣じみ、牙を剥いた顔で描かれる。
 司教はそのどれにも当てはまらなかった。理知的で穏やかな人間の顔をしている。やっと辿り着いたその表情を、マヒトは食い入るように眺めた。
 アウグストと違って彼はたじろいだりしない。大層小さな子供を眺めるような突き放した眼差しで、この無謀な若者を一瞥したに過ぎなかった。
「このような人目のあるところでそんな言いがかりをつけられたのでは困りますね、アウグスト司教……。収めてくださいますね?」
「ええ、ご迷惑をおかけして申し訳有りませ……」
「口で何と言おうと、あなたはご存知のはずだ」
「もう黙るんだ、マヒト!」
「自分が一体何をしたのか。どのように下劣な感情からあの少女の一生を蹂躙したのか。たとえ誰もがそれを知らずあなたを聖人と奉っても、私は知っているし、あの方もまたご存知です。あなたの心の奥底が罪を知っているように!」
「おやおやこれは……」
「まだ恥を知る心があるなら悔悛なさい!」
「黙りなさい、マヒト! 司教に対しなんと言う口を……」
「何故です――」
 師の手を振り払って、マヒトはその場にいる全員の瞳を探った。
 そして心の底から叩きつけるように、再び尋ねたのだ。
「何故ですか!!!
 私達は……、真理に仕えているのではないのか? 人々の魂を全うする為に生きているのではないのか? 弱き人々が救われることの少ないこの現世で、ただ正義と誠実による楽園を広げることが使命ではないのか?
 だのに今ここで行われていることは、人々を犠牲にした騙し合いと殺し合い。馴れ合いと堕落と倣岸が入り乱れた、惨めで腐って人間そのものを馬鹿にした、下劣な争いに過ぎない!!
 私はもう教会を信じることが出来ません! 神を信じるがゆえにここに棲み、魂を委ねることはとても出来ない! ここにいると私の魂が腐るのです!!」
 イェーガーの平べったい目が、鈍い刃物のような憎しみを込めてマヒトを捉えた。
「もし、もう教会からは真実を照らす力が永遠に失われ、そこに仕える聖職者達に自らを深く見つめる覚悟が滅んでいるなら、無用の長物だ! こんな家や、こんなものにはもう何らの意味も――」
 マヒトの指が自らの襟元を探った。次の瞬間、引きちぎられた鎖と一緒に、銀の十字架が吊るされる。叙任式の際に渡される、公式なる聖職の証だ。
 誰かが喉を引きつらす声がした。
「やめなさい、神父!! それだけはやめておきなさい!!」
 鋭い静止を発したのは、取次ぎの僧侶だった。
「それをしたら、君はただでは済まない!」
 それでも、マヒトは拳を振り上げた。
 だが床に叩きつけようとしたその瞬間、鐘が鳴った。
 街の全ての窓、全ての人の耳を打つおぞましさで、遂に鐘は鳴った。








――――遂ニ審判ノ時ハキタレリ
ヒト皆裸ニテ裁キノ庭ニキタルベシ










 その場にいた全員が重大なる別の事件が起きたことを知り、立ち尽くした。
 乱打は非常警鐘であり、外敵の来襲を示す。
密かに武装を整えた北ヴァンタスの兵士達が夜明けと同時、全ての門を突き破り一斉に市内へと雪崩れ込んだのである。









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