コントラコスモス -41-
ContraCosmos



 思えば四十時間ほど眠っていない。だが、身体に何度聞いてみても眠たいとは言わなかった。ただ、仕事が残ってぞると囁くだけだ。
 髪の毛が風と血と埃に洗われてばさばさになっている。荒れた道路にへたり込んだ女性を介抱している花屋の前に行くと、彼女は立ち上がった。
「聖庁に行って来る」
 何も言わず、花屋は肯いた。ただ白い指でリップの前髪を梳くと、それからそのこけた頬を上から下へ、ゆっくりと撫ぜる。
 その泣き腫らした瞼の下にはうっすら影があって、不思議と美しかった。リップは静かに彼女の側を離れた。
 通りは傷ついていた。行く先に子供の遺体が三体並べられていた。その右手(めて)の家は扉も窓も跡形もなく、壁は煤で真っ黒で、二階の壁に炎の舐めた模様が残っていた。
 無事な家も勿論あった。そんな建物の前では家人達が呆然として辺りの様子を眺めていた。向かいの玄関では散った血糊が階段で変色を始めている。
 未だに立ち上る煙。異様な残り香。肉と爪と髪の焼ける。曇り空ではどこにも流れていかない。
 泣いている女もいた。蹲って微動だにしない男もいた。うろうろする犬。家財が通りにまでぶちまけられた箇所。扉が破られ、中は闇で、物音一つしない店。
 リップは両手をよれ切った上着のポケットに突っ込み、目の前の石畳だけを見て歩いた。それで、その老婆に気づくのが遅れた。
「ちょっとあんた!!」
 聞こえたときにはもう服の前を掴まれていた。とても背が低かったので、リップは倒れないように足を出した。
「何とかして頂戴よ! 何とかして頂戴よ! なんでこんなことになったのよ?!!」
 見れば、老婆の背後には死体が二つと二分の一個あって、その側には嫁さんと思しき女が座り込んで泣いていた。
「…………」
「グロズの家は助けたっていうじゃないか! なんでうちは助けてくれなかったのよ!!」
 中年の男が出てきて老婆を止めた。
「よせ、婆さん。その人がいなけりゃ、俺らはみんな死んでた。もっとひどいことになってた。その人にそんな言い方をするな」
「でもうちの息子達を助けてはくれなかったよ!!」
「だからってその人のせいなのか?!」
「――」
 返答は号泣だった。道に崩れ落ちた老婆を残し、リップは歩く。更に荒れ果てた道を、中央へ向かって。
 分かってるよ、分かってるよ、みんなあたしが悪いんだ。
 背中から老婆の叫びが追いかけてきた。
 無力なわたしが悪いんだ。




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