コントラコスモス -44-
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パパ。パーン。 と軽妙な音が響いた。と思ったら二階から狙撃されているので血の気が引いた。 「うわ……」 リップは慌て、ただでさえ急いでいた縄を焦って降りる。 しかし、発砲音はやたらするのに弾は側に全然当たらなかった。命中精度が低いらしい。キサイアスが実際の戦闘で銃を使わなかった理由はこの辺りにあるのかもしれない。 その油断が災いした。弾が彼の捕まっている綱を掠り、結果として断ち切ったのである。 「ぶわっ!」 リップは数分前にマヒトが落っこちたちょうどその水面に遅れて落下する羽目になった。舟から手が出され、必死でしがみついて這い上がる。 「屋根の下へ入って下さい! 弾に当たります!」 ブリスクに言われて素直に従った。弾は数を増して水面にぴゅんぴゅんとけばを立てている。 有能なブリスクとサイメイ達が屋根の下で櫂を漕ぐ。手伝いたかったが、水をかぶった体がフラフラで、役に立たないことは自分でも分かった。 舟はもどかしいようにゆっくり進む。だが、やがて銃雨の範囲を超し、サイメイらがあらかじめ破壊しておいた水道入り口を突き破って、石造りの地下水道へなだれ込んだ。 「ここからは、流れます」 顔を出したリップにトネリが呟いたように、一つの枝を過ぎると、早い流れにあたり、舟は順調に滑り出した。それまで背後には入り口が白い円で見えていたが、それも曲がりで見えなくなる。 追っ手の気配は無い。 危機を、脱したのである。 「地下水路は古代以来何度も増築されたりして複雑化しているので、流れを把握している者はほとんどいません。勿論地上からこの流れを阻むことも出来ません」 背後の櫂で舟の進路を制御しながらトネリは言った。 「ちなみに我々が出る先は、郊外の聖バッサリア修道院の前です。そこで、ボブリンスキ公女の配下の方々が待ってくださっているはずです」 無言で、リップは屋根から出、進む舟の上を歩いた。 地下には、肌寒いほどの風が吹いている。水が流れる音が微かに聞こえたが、それもどこまでも冷たい印象だ。真っ暗闇の中、舳先に立ったリップは骨の芯まで凍えるような気がした。 「……ボレア。オマル。アリトー。ライン。は……」 声が反響して二重にも三重にも聞こえる。 「死んだな。というか、……殺したな」 あぐらをかいたブリスクの答えは、どことなく労わるようだった。 「……彼らは、十字隊への任務を自ら志願したのです。この世に対する絶望が深かったのでしょう」 「お前も死に場所が欲いんだったな」 「……ご縁ですから、後継者のお役に立ちますよ」 夜にリップの苦笑が漏れた。 「冗談だろ。二度とこんなふうに利用されるのはごめんだね……」 答えないブリスクを背に屋根の下に入る。さっき逃げ込んだときには話し掛ける余裕も無かった坊主が、さっきと同じ姿勢のまま、床に倒れていた。 彼はうつぶせになり、両手を前で組んでその中に頭を埋めていた。格好から生きていることは分かったが、ぴくりとも動かない。全身水浸しで寒いはずなのに震えすら見られなかった。 リップは彼の頭の近くに腰を下ろした。どっかりと。その瞬間突如として現われた疲労が眩暈を起こす。突っ伏しそうになる額を何とか掌で受け止め、目を閉じたまま、リップは呼んだ。 「……マヒト……」 反応は無かった。暗闇の中でリップの閉じられた瞼が、笑うような泣くような、曖昧な線を刻む。 「絶望はするなよ」 坊主は屍の様に動かなかった。 「どんなことがあっても神様を棄てるなよ」 ただ僅かに、呼気が漏れて胸が上下していた。 「ミノスを失った上に神まで忘れたら、お前はもうおしまいだ……。俺はこれ以上、誰も手放したくないよ……。 ……なあ、だから信じていろよ。俺のことは恨んでいい。幾らでも恨んでくれ……。ただ神様のことは、いつまでも、どこまでも、馬鹿みたいに信じていてくれよ……。マヒト……」 リップは掌の中に深く顔を埋め、それきり口を噤む。マヒトの体は相変わらず、気配なく横たわっていた。 漆黒の地下水道の中、とめどなく流れ往く水の上を、舟はただ静かに、術もなく前へと進んで行った。 -了- |