scene 2





 その頃、だらだらとやる気なく歩いて部屋まで戻ってきたヨシプは、上り階段の途中で後ろから来たアキに声をかけられた。何やら大きなビニル袋を下げている。
「ヨシプ、もうご飯食べた?」
 彼女はいつも、愛想のいいホテルのフロントスタッフみたいににこやかだ。ヨシプはただ、首を横に振った。
「じゃあ、一緒に食べない? さっきデリで二人分中華買って来たんだけど、ヤコブが仕事長引いていらなくなっちゃったんだ。それで一食分、浮いちゃって」
「………」
 反応が悪いので、聞き方を間違えたことに気付いたらしい。アキはちょっと疲れながらも、まだ笑みを浮かべて言い直した。
「ええと、そうか、ごめん。こう言うね。ジダンの部屋に入れてもらって、一緒にご飯を食べてもいい?」
 ああ。とヨシプは了解した。特段嬉しそうでも厭そうでもなかった。
 二人はそのまま部屋へ入って、中華を広げた。ヨシプはちらと壁際の電話機に目をやって、新着を示すランプが点滅しているのを気にしたが、すっと力を抜いて、椅子に座った。その時アキは、冷蔵庫から水を取り出している最中で、背後でそんなささやかな葛藤があったことは知らなかった。
 中華はまだほどほどに暖かかった。アキは食べる前に両手を合わせて、いかにも仏教徒っぽく何か呟いていた。
「…今日の稽古、すごかったね。いつの間にあんなに上手になったの? やっぱりジダンと一緒に住んでるって大きいのかなあ。何か得るものでもあった?」
 しばらくの間、アキは一人で喋っていた。ヨシプは目は合わせるものの答えない。それでも彼女は社交を崩さずがんばっていたが、春巻きを口に運ぶのを機に、一旦黙った。
 それを食べ終えて、五分ほど沈黙していたが、その後に出た声は、今までのものとは少し様子が、違っていた。
「―――――ヨシプは、クロアチア生まれなんだよね」
 シュウマイを取りながら、彼は頷いた。そのせいか目線が落ち、意外に濃いまつげが見えた。
「時々、帰りたくならない?」
「………」
「あっちに家族がいるんでしょう?」
「………」
 ヨシプはカチャリ、とフォークを鳴らして、彼女の顔を見た。珍しく、何が言いたいのかといった表情をはっきり浮かべている。
「あ。ごめんなさい。人のこと話すなんて卑怯よね。ちゃんと自分のこと話すわ」
 少し慌てて、彼女は額に手をやる。考えている間を、部屋に二人いるとは思えぬ静寂が埋めていった。
 場をもたせるために、テレビをつけるなり、音楽をかけるなりすればもっと楽だったのだろうに、二人とも思いつかなかったらしい。
 主不在のがらんとした部屋の中で、夜八時。二人の外国人は冷え始めた中華を挟んで座っており、その脇を置き時計から漏れる秒針の音が、コツコツと流れていった。
「別にね、帰りたいわけじゃないの」
 やっと、というほどの間の後にアキが言った。尚更、普段の彼女の口調とは違っていて、一言一言、苦労して歩く人のように先に進んでいった。
「私、自分の国じゃ、すごく生き辛くて、とにかく合わなくって、学校も途中でやめちゃったし、そうすると友達も切れちゃうし、親もがっかりだしで、つまり、用はないの」
 こくん、とヨシプは顎を動かした。それから、春雨のサラダに取り掛かる。それを見てちょっと笑いながら、アキはより緩やかに続けた。
「帰りたいわけじゃないし、実際、用があるわけでもないの。でも…」







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