scene 5





 夜中、部屋にアキがやって来た。CDを抱えている。
「ヨシプは?」
「煙草とか酒とかちょっとしたもののお使いに出てる。さっき出て行ったばかりだから、もうちょっとかかると思うけどね。
 …まあ、折角だから入って待ちなよ。珈琲淹れるから。そのCD何?」
「あ、昔のJazzのCD。ヨシプがリナ・ホーン好きみたいだから」
「…まあ、いたずら電話の真似してるよりは全然いいな」
「まだかかってくるの?」
「時々」
 ジダンは台所に立って珈琲を淹れた。玄関の鍵をかけたい衝動を懸命にこらえていた。
「…野暮を承知で仕事の話するけど、稽古どう?」
「あー…、ごめんね」
 何を謝る? ジダンはカップを彼女に押しやりながら思わず顔を見てしまった。
「ジダンが苛々してるのは…、なんとんなく、分かるよ。私たちが下手だからでしょ…」
 アキは、そう言って頭のいいところを見せるのだ。恨みはないが、小ざかしいことだ。
 こういうところは本当に『彼女』に似てるよなあ、とジダンは胸中苦々しく思った。
 だが、年齢のせいか、国民性か、お人柄か。
それで済むと思ったら、大間違いだ。
「下手だとは思ってないよ。面白くないだけ」
 ずけずけとした言葉を食らって、彼女は漫画的に「直球だなあ」と微笑んだ。ジダンは取り合わず野蛮人になって、半笑いの彼女の服の下に、生の感触を探す。
 アキは遠い。外国人だ。
そして友人の女だ。知り合ってまだ一月。
 どんな人間か知らなくても無理はないし、仕方がない。
舞台さえ創っていなければ。
 こういう作業を昔、別の女性には「性感帯を探す」という言い方をしたことがある。そのココロは、その気になってもらう、ということだ。
 アキの場合は逆かもしれない。この清潔で善良な女性の体と心の中に、触ってほしくない場所を見極めるということ。そして多分、指を伸ばすということ。
 どうにもおかしな雰囲気が流れた。聡明で危険察知の能力の高いアキが、居心地が悪そうに体を揺らした時だ。ジダンは言った。
「ヤコブ・アイゼンシュタットは君を愛しているね」
「――――」
 一瞬、アキはとんでもない顔をした。ジダンを獄卒でも見るような目で見た。
 カップから白い湯気が無意味に立ち上っている。誰も珈琲なんか飲まない。
「君はどう?」
「…私たち、一緒に住んでるんだよ」
「愛してる?」
「…日本人、その言葉、苦手なの」
「意味なく微笑むのが得意で?」
「そうそう」
 アキはまた笑う。習慣でへらへら笑って「しまう」という感じだった。ジダンは彼女のその性がどうしても憎めずに、軽く笑みを吐き出した。
「アキ、人のためにわざわざCDを持ってくる人間が、その言葉の意味を知らないなんてことはないよ」
「………」
「じゃ、言葉を変えよう。君は今の日常を、愛してる?」
「満足してるよ」
「今のは嘘だ」
「嘘じゃない」
「アキ。ヤコブがいると、君は変にダメになる」
「………」
「昨日もそうだったね。稽古場に彼が現れた途端、急に色んなものが勢いを無くして。
 君は彼の前では生き生きと振舞えないんだ。
きっと君は彼に、何か、隠し事をし―――――」



「ジダン」
 アキの声が違っていた。
殺してでも先を押し止めようとする強い意志がこもって震えていた。
 思わずジダンも止まる。そんな声を出した後だというのに、アキは、彼の顔を見て、やっぱり微笑んだ。だが目が潤んで、頬に血の気が上っていた。
「ダメだよ。その先は」
 ボタンを探る手を押し返すかのような手つきで、彼女は拒絶をした。それから、灯りの下で、一生懸命言葉を繰った。
「話は…、分かった。私が、守りに入っているから、演技が面白くならないんだって、ジダンが考えてることも、分かった」
「………」
「でも、ダメ。そっから先は、暴かないで。そうっとしておいて? …私には…、少なくとも今は…、出来ない」
 ジダンは眉毛を八の字にして、頬杖をついた。まんま宛てが外れた男の格好だ。アキはひたすら謝っている。
「…ごめん。ごめんね。それは駄目なんだ…。
 許してジダン。稽古は出来る限り、がんばるから…」



 俺が許して、君ががんばっても、仕方ないよ、アキ。
ジダンは目を閉じ、心中で呟いた。
時計の針を止めることの出来る人間はいない。
 ジダンは知っているのだ。
そういう隠し事は、いつか一番知られたくないタイミングで、一番知られたくない人に、バレるものだと。
(彼女には悪いけれど、)拒絶された演出家としては、それが稽古の最中に起きるといいなあと願うばかりだ。



 ボリボリ顎を掻いていると、ヨシプ君が買い物から帰ってきた。
 アキは大きな彼の体を見るとさっと立ち上がり、ジダンから隠れるかのように彼の側へ逃げた。CDを渡して、忙しく挨拶をして、帰っていく。
 さすがのヨシプも妙な速さだと感じたらしく、左手に買い物袋、右手にCDを持ったままジダンを振り返る。
 珍しくもの言いたげな目だ。ジダンは頬杖をついたまま顎を反らした。
「何ですか、その顔は」






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