scene 3





「ジダン、一つだけ気になってることがあるの」
「…うん」
「解散してから、マリー・ブランとは会ってないの?」
「………」
「彼女はフェイと結婚したんでしょう。彼の名前は頻繁に出るのに、マリーは出てこないなあと思ってた」
「解散して、半年後くらいに、一度会った。俺は解散後の舞台を終えた後、むこうは結婚後だった」
「それで?」
「散々だった」
「どのように?」

 毎日が虚しいの。虚しい。虚しいのはあなたがいないせい。いいえ、責め□るんじゃない。ただまだ熱烈に愛してると気付いただけ。舞台は素晴らしかった。あなたには才能がある。自分の人生を輝かす力がある。私の人生をも輝かしいものにしてくれる。□から、あなたが私を愛してくれたら、私は虚しい気持ちを感じないで済む。私□救って。私を助け□。私を陶然とさ□て。私を楽しま□て。夢を見せて□甘え□せて。私のこの虚しさをなんとか□ジダン―――――
私を救って頂戴。


「抱いたの?」
「逃げた」
「あー」
「俺は教祖様じゃない。男娼でもない。詐欺師とも違う。救いを乞われても彼女が欲しいものは絶対に与えられない。
 それにあれは断じて、愛じゃなかった」
「で?」
「その時、彼女はある芝居に出るというので稽古中だったんだが、結局、体調不良を理由に下りたと後から聞いた。
 今は、仕事はせずに、南の方で静養してるらしい」
「ニースあたりってこと?」
「さあ、南仏だかイタリアだかアフリカだか」
「連絡してないんだ」
「全く」
「…傷ついた?」
「………」
「そうよね。芝居にマリーは出てくるけど、ほとんど喋らないんだもの。
 ミミがこの間、『劇団の話してるのにマリーがこんなに出てこないのは変だ。なんか私に隠し事をしているに違いない』って言ってたわよ」
「………」
「あ。面白い顔」
「………」
「ジダン。出来ることならマリーの話も、入れたほうがいいわよ」




「…もしもし…」
『よう! デミトリ元気か。俺だよ』
「…オーギュスト? …ど、どうしたんだ、こんな深夜に…』
『なんだ、寝てたのか?』
「…本番が近いから、稽古が長くてな…」
『いやでもそうか! 普通午前3時ったら寝てるか。俺らが飲んだくれてるだけで。ははは』
「…オーギュスト。何か、用か?」




「…俺には…」
「うん」
「悪夢みたいだった。別の人間なら、それほど思わなかったかもしれない。
 けれど、よりにもよってマリーが…尊敬してた女が、何年も助け合って、励まし合って、嵐を凌いで、懸命に舞台を創ってきたあの聡明なマリーまでが」
「うん」
「ひと度困れば自ら色んなことに目をつぶり、自分の生き辛さを理由に、フェイを裏切り、俺を利用するのかと思った」




『いや。今度な、俺らの劇団、アンリ・ロスタスのプロデュース公演に出ることになってな。知ってるだろ? テレビの大物プロデューサだよ』
「ああ…。知ってる」
『"夜の果て"って小説の舞台化なんだ。ベストセラーの。分かるか?』
「ああ。…こないだ本屋に平積みになってた」
『それだよ。俺らにも運が向いてきたって感じでさ。苦労してきた甲斐があったよ!』




「でも、いい。仕方がない。確かに俺は自分の勝手な信念から劇団を解散した。
 そのまま行けば今とはまるで違う結果が出ただろうから、彼らの人生を変形させた責任は感じてる」





『それで明後日、内輪でパーティしようってことになってさ。急だけどお前も来ないかと思って』
「…俺が?」
『そうだよ。いいぜ、ミラも連れて。あ、でもジャン・バチストはカンベンな。あいつ嫌味だから。
 夜8時くらいから、モンルージュの事務所でやるから来いよ』





「劇団の仲間にはいつまでも気持ちよい人間でいてもらいたいなんて、それこそ俺の勝手な希望に過ぎなかったんだ。
 俺は分かったつもりだ。飲み込んだつもりだ。
でも――――美しいものが」




『稽古? そりゃそうだろうな。でも来てくれよ! そんなジダンなんて変な名前の男の舞台より、こっちのほうが大事だろ? なんてな』





「信じていた美しいものが一つ、消滅したような気がした。寂しい気持ちだった。それからずっと、そういう気持ちだった。
 マリーのしたことや言ったことを、今から芝居に盛り込むのはそう無理なことじゃない。ミミもやってくれるだろう。
 だが…、そんなことをしたって…」




『じゃあな! おやすみ!』





「ジダン」
「ん?」
「そのほうが、いい舞台になるわ」
「…そうかな」
「ええ。バランスも出て」
「………」
「何が心配なの?」
「通じるだろうか。みんなに」
「…ジダン。それはね」
「………」
「やってみなくちゃ分からないのです」






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