L'inutile
扉の閉じた家(後)






受賞の報せを聞いて大変喜んでいる。これを期に彼の存在がもっと多くの人に知られるようになればいいと思う。異郷での彼自身の努力を称えることはもちろんだが、その才能を発掘し、今に到るまで絶えず励ましてきたプロデューサやスタッフの存在も忘れてはならない。
(演出家 ジダン・レスコー)





「そうか、じゃああの件も結局解決しゃったんだね……。やっぱり君はプロデューサ業に向いてるんだな。感心してしまうよ」
「ふふ、ありがとう」
 クリスマス休暇直前に、部屋にアレックスを招いて新しいワインを開けた。
 深刻で気まずい雰囲気になるかとも思われたが、クリスティナは意外に上機嫌で、アレックスはほっとしたような恐れているような、複雑な様子だった。
「――にしても、どうやって両者を和解させたの?」
「ふと舵を左に切って、西回りの航路を試してみようと思っただけよ。そうしたらその先に案外簡単に、卵の立つ新大陸があっただけ。出来そうにないとやる前から諦めていることほど、結構簡単にできるものかもしれないわね」
「ふ、ふーん……」
「それでね、アレックス。私達のことだけれど」
 クリスティナは雑誌を脇へやって、何故か汗をかいている彼ににこりと笑いかけた。
「それも、どうにか出来ないかしらね」
「……ど、どうにかって?」
「ええだから離婚とかよ」
 アレックスは彼女の話の早さに圧倒されそうになった。片手を広げて待ってくれ、と言うが、彼女は続ける。
「だって奥さんへの愛が薄れたってことよね? 私と不倫をしたからには」
「そ、それはそうだけど……。彼女はまったく正式の妻だし、それに娘がいる。まだたったの五歳なんだ……」
「まあね。でもそれは――しょうがないじゃない? 確かにつらいでしょうけど、離婚なんて世の中にいくらでもあることだし、すぐパパのいない生活にも慣れるわよ。
 あなたが引き取るって言うのなら、私も親切にしてあげるしね」
「――え。ええ……?!」
 アレックスはついにグラスを持っていたほうの手も離してたじろぐ。だが彼女のほうは膝を寄せて、二人の膝小僧がテーブルの下でぶつかった。
 笑みの奥で女の目が光る。
「大丈夫よ、アレックス。乗り越えられるわ。私今回のことでいろいろ強くなったの。できないできないと思ってることも、心がけ次第でなんとかなる。私達、今までうまくやってきたじゃない。別れる必要なんかないわ――」
「そ、それはそうかもしれないけど……。頼むからちょっと待ってくれ。混乱してる」
「……嫌なの?」
「い――嫌じゃないさ。もちろん。でも、驚いてるんだ。生真面目な君がそんなふうに言うなんて、正直、全然予想してなかった……」





「――そうよね」






 空気が変わった。クリスティナは体を引いた。その顔に浮かんだモナリザみたいな笑みが、静かに冷めていく。
「…………?」
「嘘よ」
「え?」
「今言ったことはみんな嘘。あなたとは、別れるわ、今日限りでね」
「――えあっ……?」
「そうよね。あなた、前も言ってたものねえ。『自分に妻子がいることを知ったら、私が、離れていくに違いないと思った』って」
「クリス……、そ、それなに?」
「だから、そうなんでしょ? つまりは、あなたははじめから……」
 クリスティナが振りかぶったのは、赤い頬の女の子が泣き笑う抱き枕。
 知ったこっちゃないが、その筋では有名キャラクターの潤む微笑が、次の瞬間ぐうんと縦に伸び――
「――そういう女を狙って近づいたんだろうが!!」
「ぎゃーっ!」

ばしッ!

「クソ真面目な女だから、不倫なんかやれそうもない女だから誘惑したんでしょ?! だってそういう相手なら飽きてきた頃、チラッと家族の写真を見せればいいんだものね! すぐ別れてくれるわけだものね!」

ばしっ! ばしっ! ばしっ!!

 テーブルの上でグラスが倒れ、ワインがこぼれ出す。部屋の隅に逃げるアレックスを追って、クリスティナは椅子を蹴った。
「やめてくれ、い痛い、痛い! クリス!」
「痛いわけないでしょ?! 最初から全部分かってたでしょ?! 三ヶ月くらい遊んで、クリスマス休暇前には破局! いい息抜きよねえ!
 ――馬鹿にしてたんでしょう! 見くびってたんでしょう! 私には越えられないって! 越えられないって! それを越えられないって! そんな勇気はないって! 
 私を見くびって! そういう女だって! 馬鹿にして……、利用して!!」
 枕を投げ出し、クリスティナは叫んだ。
「――帰りなさいよ! あんたの顔なんか、金輪際見たくないわ!!」



 殴られたダメージというより静電気で髪の毛が変になったアレックスは、攻撃が止んだのでやっとのこと立ち上がった。
 それから小走りで部屋中の荷物をかき集めると、腕組みをして立つクリスティナを指差して、後退しながら、言った。
「……石みたいに硬くて退屈な女のくせに! 結婚もできない――今まで五人とろくに付き合ったこともない、根暗のブスのくせに! 勘違いするんじゃねえよ!!」
 出て行った。首を真っ赤に染めて。
 それでも合鍵はちゃんと置いていったから、やはり彼にとっても渡りに船ではあったのだろう。
 顔に青タンくらいつけてやればよかった……。
クリスティナはそうこぼして、床の上の『女の子』を蹴る。
 ワインを片付けて、鍵をかけると、震える体と燃える胃を抱えて、寝室の冷たいベッドに横になった。






 耳が鳴っている。それに暗闇の中にちかちか何か瞬いていた。
 ……ああこれはこどもの頃大好きだった、星型のクリスマスの灯りだ……。





 大丈夫。私は、あなたが好きよ、と枕の中でクリスティナは呟いた。
 固いだのダサいだのブスだのと、あの頃も勝手な事を散々に言われた。
 人と違うことは、弱いことよね。

 ……でも私は、人から馬鹿にされても見くびられても自分を曲げずに、図書館に閉じこもって星を見ていたあなたの味方よ。
永遠に、あなたの味方よ。
 だからもう泣かないで。
だってほら、クリスマスよ。




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