L'inutile
27.大変ですね 2
「アキ、みんなでメシ食って帰らない?」 …いいですよおおお? 彼女の葛藤など何も知らないデミトリ君のお気楽な誘いに応じて、アキは他五人と稽古場近くのトルコ料理屋に寄った。 少し家父長くさいところのあるデミトリは、これくらいの人数でみんなで食事をするのが本当に好きだ。 ところで、その中に、最近新しい彼女が出来た外部スタッフが一人いた。音響担当の自称『メカニシャン』で、デミトリの前からの友人だ。 「彼女って、一体どこで知り合ったの?」 居合わせた衣装担当がずばりと聞く。 「だってあんたってば仕事と趣味一筋でさー。趣味もなんていうか、ぱっとしないと言うか、インドアだって言うか、腹回りの脂肪もヤバいし、顔は野獣じみてるし」 そのスタッフ、イヴァン君は太い眉を下げて苦笑した。 「はっきり言えよ。ゲームおたくだって」 「そうなの?」 アキの疑問にはデミトリが答える。 「もーすごいよ、こいつの家。ゲーム部屋が別に一部屋あって、そこ各世代のゲーム機とソフトと音響設備で埋まってる」 「へええ…」 「ねえ。とてもがんばって彼女作りにいくタイプじゃないじゃん。しかも制作会社に勤める韓国系エリートなんてさ。あんたみたいなおたくが一体どこで知り合ったのか不思議でしょーがないんだけど」 「ズケズケ言うねえ。いるんだよな、なんか俺らのこと社会の敗北者のよーに見下してて、あからさまに攻撃してくる奴。 きっと自分はそんな惨めな存在じゃないとか思いあがってんだろうな」 イヴァン君の反撃に相手は鼻を鳴らして黙るが、それでもみんなの目は彼に注がれたままだ。事情を知ってるらしいデミトリは一人含み笑いだが、他はみんな興味津々なのである。 イヴァンは右を見て、左を見て、もう一度右を見て、仕方ないと思ったらしい。 「――ゲームの中で」 白状した。 「オンラインゲームで知り合った」 「どーよ。初めてのキャラクターコンテンツ見本市は? 疲れたんじゃない? クリスティナ」 「いいえ、面白かったですよ、ムッシウ・レイザン。あれくらいビジネスライクなら私も大丈夫です。いくつかかわいいのもあったし――、だから、誘ってくださったんでしょ? ありがとうございました」 「いーえ。今日はたまたまああいうの好きな女の子達がみんな多忙でさー。腐ってたら、奥からたまたまあなたの名刺が出てきたもんだから」 それはそれはおありがとうござい。 タクシーの中、リシャール・レイザンの隣でクリスティナはへっと笑った。 レイザンは30にもならない若造だが、既に玩具会社の社長で、妻帯者のくせにセフレが何人もいる大金持ちだ。 「ちなみにどこのが一番面白かった?」 「『階段アリス』ですかね」 「あー、『ラダーアリス』。ベルギーのね。確かにあそこの企画は面白かったなー。あそこは昔っからファンタジー小説とかBDマンガ出してるところで、老舗なんだけど、最近商売がうまくなってねえ」 「いかにもやり手な感じの営業さんがいたでしょう。確か、キムさんとかいう――」 「え? アントワープに住んでるの? 遠距離じゃない」 「ああ。でもまあ仕事でちょくちょくこっちに来るから」 「ていうかマジ…? オンラインゲームで彼女見つけるなんて、話には聞いてたけど、実際にやった人見るの初めて」 最初に彼に絡んでいた女性スタッフが顔をしかめる。 アキはそこまではしなかったけれど、やはり疑問は湧いた。 「あのさ、幼稚な質問かもしれないけど――それって、危なくないの? イヴァンも勇気あるなあと思うけど、相手の女の人も同じくらい大胆だよね…。 だって、それなりに地位も仕事も財産もある女の人なんでしょ? なんか、ゲームなんかしてなくても、幾らでも適当な相手がいそうなもんだけど…」 「まあね。でもそれは彼女の表の顔にすぎないから」 「?」 全員が怪訝な目でイヴァンを見た。水のグラスを手にしたイヴァンは気のせいか、少しだけ憂鬱な気配を滲ませて口を開く。 「見るからにできそうな人でしたね、ビシッと高級スーツで決めて。英語もフランス語もぺらぺら。 あそこの企画が一番、説明も照準もはっきりしてましたよ。時々見かけた『今これが流行りだから…』的な甘い企画とは比べ物にならなかった。全体を牽引してる感じがしました。行進の先頭に立つ女旗手みたいでしたね」 「……」 「ムッシウ?」 「つーか、クリスティナ。いい加減に僕のことはリシャールでいいよ」 「分かりましたけど、なに一人で笑ってるんですか? 私、何か変なこと言いました?」 「いやいや。我が身にふさわしく下品な事を考えてたのさ」 「え?」 「……」 リシャール・レイザンは、にやにや笑いを収めないまま、高級なコートの袖を巻き込むようにして腕を組んだ。そのもじゃもじゃな髪の毛の上を、赤や白の光が舐めていく。 「…これは、虚妄の世界を商売のネタにしてる僕の勘だけど――、ありゃあきっと、表裏の激しい女だよ。 心の狭い社会の中で強い抑圧にさらされて、外面を取り繕うのに、当人が望んだ以上に馴れちゃっちゃった女の顔をしてる」 「ゲームの中でも、有能な人だったんだよ。とにかく恐ろしく頭がいいんだ。それは一緒に遊んでいればすぐ気付くことだった。 オンラインゲームの中にはさ、その世界での仕組みを理解して、それで効率よくレベルを上げちゃ『俺は強い!』って一人で喜んでる奴が大勢いるけど、彼女はそういう感じじゃない。まー公平で、はしゃがず、行動も速いし、判断も正しい。ただ――、時々、すごく時々、手がつけられないほど怒り出して、敵をぶちのめすようなことはあった。でもそれは、相手が悪かったんだ。ルールやエチケットを守らない奴が一杯だからさ。 ただその時の復讐の完璧さというか、容赦のなさがちょっと印象的だと言うか――まあでも、気になることと言ったらそれくらいだった。 付き合った当初は、『これは、ゲーム世界でのキャラそのままの控えめな女だな』って思った。でも、アントワープの彼女の家に行ったら、印象がだいぶ違った」 片付いてはいた。片付いてはいたが、なんとなく、荒んだ家だった。例えば彼女の普段の姿から想像して、当然家にあってもおかしくないと思われるような家具や小物は、全然なかった。 寧ろまるで、大学生のような家だったのだ。量販店で安く手に入る適当な家具類に、小説やマンガ、映画といったメディアが詰まっていた。 生活は通り一遍のレベルであり、それ以上の贅沢は、彼女は罪悪と考えているらしかった。高給取りであるにも関わらず、蓄財に余念がない。 それから彼女はその――、夜の要求が著しかった。 他の事は、ほとんどなにも強要しない。わがままも言わない。だが、時には「今すぐ来い」とか、「今パリにいるから出て来い」とか電話をかけてきて、彼をびっくりさせることがあるのだ。 そういう日の夜は大抵「ものすごいこと」になり、イヴァンは振り回され、翻弄され、すっかり圧倒されてしまう。 普段は寧ろ禁欲的で潔癖なくらいなのに。 一体、これはなんなんだ。 驚いた彼が目を回している間に、二人の関係性は決まってしまっていた。 主導権を握るは、常に彼女。 二週間に一度ほどのランデヴーが静に済むか乱に転ぶか、決めるのは彼女だ。 体が一回り以上大きくたって、イヴァンは彼女にかなわない。 昼、オモテの世界でも。夜の、裏の世界でも。 「でさー…」 イヴァンは今やすっかり人生相談モードだった。 「そのパターンを繰り返すうちに、少しずつ分かってきたんだけど、結局彼女がそーいうふうになるのは、生活や仕事でものすごいストレスをためてるからなんだよ。 彼女、いつだって完璧なんだけど、そのために相当我慢をしてて、その分のツケを、どっかで発散しなくちゃいけないわけ。でも彼女は贅沢は出来ないし、ゲームで遊んでる時でさえ冷静さが捨てられない人だから…、その全部が普段の生活から遠い俺に…」 「……」 あらまあ…。 仲間達はなんか息を飲んでイヴァンの、ちょっとライオンぽい顔を見た。掌で頬を押さえている者もいた。 「で、彼女、ここ一月、見本市の準備で忙しくて、全然会ってなくてさー。ちょっとメールとか電話した限りじゃ、恐ろしく大変そうで…。 その見本市、パリでしてて、実は今日で終わりで、明日、一月ぶりに会うんだけど…。俺はもう明日が、恐ろしくて恐ろしくて…」 「………」 大変ですね。 何ともいえない沈黙の中で、みんなもそもそと肉料理を食った。 …あのさ、ところでさ。 と、例の女性スタッフが口を開く。 それって、どっちが本性なの? 「じゃあね。コドモじゃないんだから悪いことせずにすぐ寝るんだよ」 「はい、どういたしまして」 クリスティナはタクシーを降り、開いた窓の中に向かって苦笑とともに礼を言った。 レイザンはこれから商売相手と食事だそうだ。薄暗がりの中で腕を組んだまま、メガネのフレームの奥から、静かに彼女を見つめる。 それから、言った。 「クリスティナ。俺らはみんな娼婦の子どもだから――」 「……」 「あまり聖人ぶっちゃあいけないよね」 女性プロデューサーは返事の代わりに、穏やかに笑った。 タクシーは走り去る。白い息を吐きながら、鞄の中の携帯を探り出すと、数件メールが来ていた。 うち一つはヤコブ・アイゼンシュタットから。近いうちにパリに戻るとあった。 「あらあ」 同じ内容のメールがアキにも届く。 例よってぼんやりしていたアキはちょっとひやっとして、地下鉄の車内で荷物を抱いた。 人のことどころじゃない。 こっちも大変だわ…。 (了)
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