10.拒絶








 調査局に出勤すると、人間のスタッフが五、六人ローカル・ビジョンの前に群がっていた。
「どうかしました?」
とニカンダの大きな背中に声を掛けると、刑事は振り向いて、クワンに視界を譲ってくれた。
「…繰り返します。統一政府の治安維持隊は18日未明、南部大陸ガワティ区への軍事作戦を開始しました。現在もガワティ区北部において激しい交戦が続いている模様です」
「ああ。とうとうやったんですか」
 クワンはまずそうな料理屋から離れる客のような無関心さで、すぐと自分の机へきびすを返した。
「これは本日午前8時に開かれた緊急記者会見で、レナード・ブラウスキ内務長官が明らかにしたものです。同長官はガワティ区に反政府ゲリラの軍事基地が存在する証拠を握っていると発言…。今回の軍事行動が、全シティ民の安全を確保するための不可欠且つ最善の選択であるとの見方を…」
「いよいよ聴取開始だな。トードーは今日も異常なしだそうだ」
 ニカンダは一緒に彼の机の傍らにやってくると、前髪を掻き回すクワンを見て、ちょっと顎を引く。
「…君は体調が悪そうだな。大丈夫か?」
「や、大丈夫ですよ。ちょっと夢見が悪くって」
「…ナニ?」
クワンはばたばたと手を振った。
「…とにかく問題ありません。30分から事情聴取始めますんで、よろしくフォローお願いします」
 そして15分後、彼の姿は第7民事調査室にあった。この調査室はVIPや内偵専用で、場所も連番を無視して、地上18階の東端に突然作られている。
 録画の準備が出来、簡単な打ち合わせが済んだところで、数人が待機する隣室との間に偏光シートが滑り込む。やがてそれがぴったりと壁面を覆ってしまうと、調査室は最初から正方形で出来ているかのような取り澄ました空気で人を欺くのだった。
 クワンは初回の取り調べの際、誰もが感じるであろう緊張は感じていたが、それでも余裕を持ってトードーを迎えた。
 欲しいと思っていた書類は全て手に入っている。クワンはまだ『若手』扱いの調査官だが、それでも今までの経験から、事情聴取は自分の得意分野の一つだとある程度の自信を持っていた。
 言葉を重ねながら何よりも先ず相手の性格を見抜き、先回りして誘導することでさらに多くの情報を引き出す。そのようにして事件全体の様子を掴む人間学的な技術については、教育を受けた若手の方が年長組よりも長けていると言われていた。今まで順当な結果を出してきた彼は、今回も同様に出来るだろうと当然考えていたのである。
 ドアが開き、トードーが入ってくる。出会った時とは上のシャツが変わっている。相変わらず女性的な顔立ちだが、少し頬に肉がついた。そのため以前よりも、幾分若返って見えるようだ。
 クワンは相手を観察しながらも、さりげなく椅子を指し示した。
「座って下さい。トードーさん」
「………」
彼は言われた通り、大人しく席についた。医療関係者で無い人間と向かい合うのは初めてだったから、一日半ばかり続いた事前検査が終わり、今日から事情聴取に入るのだな、ということが彼にも分かった様子だった。
 クワンはまず自分の名前を彼に伝えると、
「慣れない暮らしだと思いますが、体調は大丈夫ですか?」
と相手を慮った。
「酸素濃度や水質や、気温も結構違うそうですね。食事なんかが口に合うといいんですが――――」
「快適です」
その答えは、クワンが予想したものよりもかなり短かった。間を埋めるために彼は、
「なら良かった」
と意味もなく書類に目を落とした。
「…では今日からしばらくの間、僕が主任担当となって、あなたのお話を聞かせてもらいます。僕たち調査官は公平な立場にある人間なので、あなたのお話に異議を差し挟むことはありません。ですから出来るだけ事実を有りのままに、省略したり解釈したりしないで説明して下さい。
 またここは政府の機関ですが、エア・シティの機関ではないですから、政治的な発言をしても問題にはなりません。我々の目的は第一に、ニンブスで起きた事故の原因を詳しく探ることにあります。お分かりですね。
 とは言え、リラックスして、心を落ち着けてお話くださると嬉しいです。まずは長い付き合いになる僕を、…そうですねえ」
クワンは微笑を浮かべた。
「年も近いことですから、友人の一人だと思って頂いて、これからしばらくの間、聞き取り作業に協力して頂きたいと思います」
「………」
 その時突然、トードーの顔に露骨な難色が漂った。それを見てクワンはぎょっと両膝を震わす。彼はいつものやり方で柔軟なアプローチを始めたに過ぎない。こんな段階で相手が拒否反応を示したことなど一度も無かったことだった。
 笑みを崩さないように注意しながら、慌てて彼の真意を伺う。
「あれ? どうかしましたか。何か問題がありますか?」
「…私は、どういう扱いで取調べを受けるのですか」
「取調べではありません。飽く迄も事情聴取ですよ。確かあなたは搬送機の中で、統一政府の捜査に出来る限り協力するとの任意表明書にサインをしている…」
その書類を捜そうとする彼の手をトードーが止めた。
「それは確かです。…僕は法律に詳しくないので教えて欲しいのですが、任意協力者には調査官の変更を要求する権利がありますか?」
「――――――」
 その時クワンには、沈黙の張った隣室で顔を見合わせる同僚たちの姿が目に見えたような気がした。そしてニカンダが皺の寄った顎をごく僅かに動かすのも。
 戸惑いはもろに顔に出てしまった。彼は仕事の相手から拒絶を受けたことは無かった。当然だ。全て事前に調整済みの人事なのだから。ましてや、今日はまだ互いに挨拶をしただけではないか。面構えが気に入らないと言われたのも同然である。
「…三回までは、許可されます…。しかし僕が、何か―――――」
「………」
トードーは答えなかった。前髪の中に不可解な悪感情を隠したまま、ばつが悪そうに時々クワンの顔を見るばかりだ。
 本気なのか。クワンはまだそう思っていた。それでも四肢からだんだんと力が抜けて、彼はでくの人形のように机に座ったまま、黙って彼とにらみ合うばかりになってしまった。
 長かったような気がするが、きっと二分程度のことだっただろう。とうとう扉が外からノックされ、返事をする前にニカンダのがっちりした体が現れた。
「サミュエル、交替する」
と彼は言い、裏切られたような顔のクワンを立たせると、扉の向うへ押しやった。ニカンダは彼が広げたまま置いて行った書類の前に着くと、気の抜けた扉が自分の力で閉まるまで何も言わずに待っていた。
 廊下に出て、扉が収まる音が背後でした頃、ようやく腹が立って来た。資料が間違っていたのだ。そうとしか思われない。厚生局がいい加減な審査をしたか、誰かが俺を陥れようとしたか。
 …それにしても、人の顔を見るなり交替してくれとはなんだ?! 調査はまだ一秒たりとも始まっていなかったんだ、馬鹿にするにも程がある!!
 クワンはノックもせずに隣室の扉を開けて手近な椅子に座り込み、中でやり取りを聞いている同僚たちから一斉に「シーッ」とやられた。



「悪かったね」
「…いえ、こちらこそ」
「私は刑事調査局のニカンダだ。私なら文句はあるまい?」
「…そうですね」
「一つ彼のために言っておくと、あれは実に素直で単純な男で、悪意はまるで無いんだ。全く無自覚なまま君の前に出てきただけだ。それだけは思慮してやってくれ」
「…あなたは気が付いてるんですね」
「私は単に年季があるだけでね。彼と同じ立場にあれば、多分気付くことは無かったよ」



「何の話だ?」
部屋で一人が呟いた。



「私の若い頃は、犯人や秘密を隠そうとする関係者には、圧力を掛けて無理矢理自白させたものだ。頑固な人間には時間を掛けた。狭いところに留置し、何日もたった一人で考えさせ、強い言葉や時にははったりで情報を引き出す。
 だが2290年ごろからだったか、目に見えて調査方法が変わってきた。調査官は事前に対象者のメンタル・データを厚生局から受け取って、その性格にあわせて一番懐柔しやすい状況をセッティングするようになってきた。
 例えば対象者と出身や人種の似た調査官を取り調べに当たらせるといった目に見えるレベルから、性格調査で対象者と最もつりあいの良い結果を出した調査官を配置するといった視認できないレベルまでだ。
 こういうのは難しい用語でなんやらと言うらしいが、とにかく心療医科の部分から派生してきたメソッドだ。結果を得るために、対象者の人間的、心理的特徴を掴み、まず最初にそれを理解し、自我を満足させてやる方法だ。この仕掛けが通用しないケースは勿論あるが、特に民事調査では多大な成果を上げたと言われ、現在では主流になった。
 私は、一体どこからこの流れが発生したのかと思ってね。少し気をつけて見ていたら、こういうメソッドをレポートとして政府にどんどん提出していたのは、エア・シティの統治代表者達だった」
「………(笑)」
「今では統一政府の各部門がエア・シティでのやり方を学び、模倣している。最も人気の高い逆輸入商品と言えるかもしれん。
 サミュエルは若く、その中で育ってきた人間だ。自分がどんな流れの中にいるかは無自覚だ。君も最初はそうだったろう?」
「…そうですね。その通りです」
「率直に言って、エア・シティは住みにくいところかね?」
「…人によるんです。カテドラルの手厚いサービスも、僕を含めた大部分の人は、抵抗なく受け入れていましたから。少なくとも間違っているとは思いませんでした」
「ヌクテ・ロイスダールは違った?」
「…ええ、彼は、違いました」
「我々は、ニンブス・シティで何が起きたのか知りたいと思っている。君の友人だったロイスダールがどうしてゲオルギウスに殺されたのか、そしてゲオルギウスを損壊させたのは誰なのか、知りたいと思っている。
 順番に行こう、ヌクテ・ロイスダールはどういう人間だったのかな」
「どこまでご存知ですか」
「基礎データしか出てきてない。カテドラルの資料なのだから、結局何も知らないのと一緒だよ」
「―――――分かりました」



 クワンの瞳の表層に丸く映ったトードー・カナンが、椅子に座りなおした。そして彼は話し始めた。








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