13.サミュエル・クワンが選ばれたわけ |
「5470がどうやって健康を害するんだか…」 「ニカンダ刑事。ちょっといいですか」 おう、と答えてニカンダは天井に向けていた目を、近寄ってきたヘイに向けた。頬に涙がすっと落ちる。目薬を注しすぎたのである。 「すいません。お疲れのところ」 「気にするな、何だ?」 「一部の人事データの復元に成功しまして、ロイスダール、ウェルスのデータが見つかりました。トードーのは入ってるディスクが違うんでもうちょっとかかりますけど、御覧になります?」 「おう」 老刑事はまた言ってハンカチをしまうと、ヘイに着いて彼の端末へと向かった。ニンブスの生の情報はネットワークに乗せないようにと厳戒されているのである。 ヘイは椅子を回してキーボードに手を乗せ、パスワードを打つ。 「スタンドアロンは一々ホネですよね」 「機密保持優先だから仕方ない。ゲルタが飛んでくるぞ」 「どうぞ、ロイスダールからです」 「ん。…2288071709、男性、資源局所属…? カテドラル勤務員の人事データか?」 「そっす。偶然ニンブス側の対応暗号コードが無事だったんで見れるんですよ。他のもこうだといいんですが」 「おいおい…。カテドラルはよりによってこんな危ないタイプを抱え込んでたのか」 「しかも心臓にです。こいつの所属は中央部で、基幹システムADAMのお守りをしてたはずです。ざーっと洗っただけですからまだ解りませんが、どうも人間でADAMに直接タッチしてたのは彼一人だったように見えます」 「他はみんな5470か」 「はい。エア・シティだと全メンバーが5470で普通です。だからこの人事は異例です」 「なるほど優秀だったわけだ…」 ニカンダは画面に顔を寄せてしばらく現れたデータを眺めていたが、その一部を指差して言った。 「この文字列、画像だな。見れるか」 「待ってください。変換に15秒くらい…」 と、ヘイの指が動く。別ソフトが立ち上がり、やがてぱっと男の顔が映し出された。 「わ、なんか始末の悪そうな顔」 「……やれやれだな…」 「アレ? でもどっかでみたような気が…」 「ありがとう、ムハンマド。午後にまた改めて見るから、カンバンに貼り付けといてくれ」 「ああ、はい」 「ところでボーヤはどこだか知ってるか」 「フラれた女の子のよーに屋上で拗ねてますよ」 「………」 刑事の目が線になる。ヘイは画面に向かいながらも皮肉な口調で言った。 「きっとカウンセラーのいない環境に馴染めないんでしょ。小生意気なくせ、80年代生まれはこれだから」 ニカンダは目元にハンカチをもう一度あて、目薬の跡をきれいにすると、ゆっくりと瞼を開いた。 「めげてる暇があったら情報を洗いたまえ」 「昼休憩も取らせてもらえないんですか、役所ってとこは」 法務庁の屋上はガラス張りの温室になっている。一年中暖かい囲いの中で思う存分伸び盛り、いっそ育ちすぎたようにだれている植物の下で、クワンはベンチに腰掛け、減らず口を叩いた。 「昼休憩って、昼飯も食っていないじゃないか」 足元に飲み物のへしゃげた残骸があるだけだ。 「腹減ってないんでいいんです」 「こんなことくらいで食欲無くしてたら一人前になる前に三度は昇天だ。現場が嫌なら大学に戻ったらどうだね?」 ニカンダは言いながら、どっかと世話のかかる若手の隣に腰を下ろした。さすがにそう言われるとクワンも行き詰まるらしく、恨めしげに刑事の横顔を睨む。 「だって屈辱ですよ! 見た目で判断されたんですよ?! 人種が嫌なのか、年齢が嫌なのか知りませんが、開始五分で退場させられて、僕にどうしろって言うんですか」 「…緑瑛に残っていた人事データをヘイが復元してくれた。君にはあれをチェックしてもらった方がよさそうだ」 「また、俺の話聞いてないし…」 うんざりしたように言うと、クワンはあさっての方向へ皺のよった鼻を向けた。それを追いかけた刑事はその時微かに笑っていたのだが、クワンには見えなかった。 「時に君は肉親を亡くしたことがあるかね?」 「何です、急に?」 振り向いた顔は不愉快そうだった。 「仮に君に亡くした肉親があって、それと似た人間が目の前に突然現れたら狼狽するだろう」 「……は?」 「以前君に聞いた。どうして年の若い、経験の少ない君が、トードーの主任に任命されたかその理由が分かるかと。緑瑛のデータを見ればどちらも分かる。任命された理由も、拒否された理由も」 「………」 クワンはまだ訝しげな表情をしていたが、怒りの波は徐々に消えつつあった。 「今朝の話を聞いてたな? トードー・カナンは、ヌクテ・ロイスダールに一方ならぬ愛情と信頼を持っていた。 その相手が5470であるゲオルギウスに殺され、本人も瀕死の目に会って、やっと救助されてきたところに、よりによってその失った友人に似た雰囲気の男がわざわざ『用意』されている」 「え?」 「そしてそいつが仕事で来ているにも関わらず、にこにこに笑いながら友達になりましょうなどと言いやがる。私だって嫌になるさ」 「――――僕が?」 ニカンダの白みの混じった眉が、肯定の返事の代わりに上がる。 「人種も背格好も違う。だが面構えが似てるんだよ。生前のヌクテ・ロイスダールに。厚生局がヌクテの遺体を見て判断したんだろう。単純な手だが、手っ取り早くトードーを懐柔できると思ったんだろうよ。 …不思議と言えば不思議なのは、彼がそれが故意にセッティングされたものであることをはっきり知ってたことだ。一般人で、特にあの年代だと普通そこまで仕組まれてるとは気付かないもんだがな、ロイスダールの影響だろう。 ともかく、それでトードーは君を拒んだ。確かに言うとおり、今回君は見た目で判断された。しかしそれはトードーにじゃない。庁の上官、或いはカウンセラーにだ。トードーはその仕組みを拒否したに過ぎない」 「………」 「拗ねてる暇が無いことが分かったかね。飯を食って、戻ったら緑瑛のデータとトードーの証言に誤差が無いか確認したまえ。データはSA#2のカンバンにある。了解したかね?」 「………」 クワンは、それでもしばらく前かがみになって考え込んでいた。やがて「がーっ」と喚きながら額に親指をぐりぐり押し付けたかと思うと、顔を上げ、隣に座るニカンダを見た。 午後の重い部屋の中に、キータッチの音が細かく響いている。100年経っても続いていそうな、退屈な事務所の風景である。 ディスプレイの前に座った彼は、腕を組んでしばしヌクテ・ロイスダールの顔を眺めていたが、 「…似てるかねェ…」 と顎を仰け反らせ、唸り声を上げた。 昼食から戻り、一時間ほどが経過している。調書との符合を一心に確認していた手をようやく休め、彼は休憩がてらにそれを展開したのだった。 「…大体、本当にそこまでやるものなのか…?」 冷えていかにもまずそうに底にたまったコーヒーの隣で否定的に呟く。しかしそうしながらもその実彼は、自分自身のカウンセラー達の記憶に心を巡らしていた。 グラナート・シティ中央大陸では、第一次教育から大学に至るまで、教育機関には必ず専属のカウンセラーがいて、全生徒がそのサービスを受けている。 2100年代に、あらゆる世代において自我顕示型の犯罪が増大し、その原因として、生活の場に自分自身の本心を認められる機会がないためだと言われた。義務カウンセラー制はその分析の結果犯罪防止策として生まれ、今では学校に教員がいるのと同じくらい当たり前の存在だ。 従ってクワンも五人のカウンセラーを知っていた。全て女性で有能な、彼にとっては同級生よりも親しみを感じる重要な存在だった。 そして彼は今になって、それらの甘い記憶の裏に不思議な類似点を見出したのである。 黒髪。有色人種。そして母親―――――それは、偶然だと言われればそう片付けられる些細なことだ。彼もずっとそう考えてきた。自分はいつも親切なカウンセラーに当たって運がいいと思っていた。 …しかし、そこに意図があったのだろうか。彼女らもまた「用意」されていたのだろうか。孤独な少年に心を開かせる為に、わざわざセッティングされたのだと…? 「…まさか、いくらなんでもそんなことまで……」 彼はカウンセリングを受ける立場だったので、カウンセラーたちがどのように生徒を分担して受け持っていたのか、ルールの詳細を知らなかった。それを知っていれば、ニカンダの言ったことが本当か嘘か測る一つの目安になるのだが…。 「クワンさん。コーヒー棄てときましょうか?」 「え?」 問い掛けられて振り向くと、側にゲルタが立っていた。午前中から厚生局に出かけていたが、今しがた帰って来たらしい。返事がないので、答えを待つ目でクワンを見下ろしたままだ。 「…あの、棄てときましょうか? まだ飲みます?」 「あ、ああ、ありがとう。でもまだ飲むからいいよ」 言ってしまった勢いで、クワンは実はそれほど愛着のなかったコーヒーを、保護でもするように持ち上げた。どうしてそんなことをしたのか、彼自身にも分からなかった。 ゲルタも一瞬おかしな顔をしたが、ディスプレイをちらと見ると、 「あ、ヌクテ・ロイスダールですね」 と矛先を変えた。 「あ、ああ…」 クワンは画面とコーヒーと彼女に振り回されてがたがたする。 「そういえば、午前中の事情聴取どうでした?」 「ああ、あれ――――」 「とってもうまく行ったでしょ?」 クワンの動きが止まる。そしてゆっくりと、ゆっくりと美しく微笑するゲルタの方へ眼が動いた。 「彼を安心させるには色んな点から見てクワンさんが最適なんです。自信を持ってこの後もがんばって下さいね」 「………」 「…やっぱりコーヒーおいしくなさそうですよ、新しいの買ってきましょうか?」 彼女の目は明るく、態度は飽く迄も親切だ。 だがクワンは黙ったまま、静かに数回首を振った。 |
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