18.対話








 私の名前はサミュエル・クワンと言います。二十五年前、グラナート・シティ中央部の市街地に立つ王氏病院で産まれました。父の名前はマリーノ、母の名前はメイです。
 私には、母の記憶が全くありません。母はもともと身体があまり丈夫でない上、体内に数種のウィルスも抱えていました。三人もの子供を産むのは最初から無理だったのかもしれません。しかし、上二人の姉を産んだ時には安産だったということと、男の子が欲しいという願いから三人目の出産を決意したということです。
 母は、私を分娩する際、今までになかった出血を起こし、一時意識不明になりました。それ自体はすぐに治療されたのですが、結局その後体調が快復する事はなく、二年後感染症によって他界しました。私は既に歩いていたはずですが、母の死を覚えていません。
 家族は病院の診断が不充分だったために母の死期が早まったとして慰謝金をもらいましたが、それが何になるでしょうか。勿論、父も姉も私が悪いとは言いませんでした。けれど、何か小さなトラブルがあるごとに、その感情が行動の端々ににじみ出ることに私も気がつかないわけには行きませんでした。
 ある日のことです。父が母の命日の朝、酒に酔って私に言いました。
「俺は別にお前なんか欲しくなかったんだ」
 父は前日の夜から浴びるほど飲んでいました。その日の晩、反省した父は私の身体を抱きしめて泣いて謝りましたが、そんなこともあって私は大層早い時期から、家族というものの中に住むことの出来ない自分を感じていました。
 子供というのは非常に狭い世界の中で生きているもので、家庭に居場所がなかったり、学校で友達の輪から外れてしまったりすると、もう手詰まりになって絶望してしまい、その場に膝を抱えて蹲ってしまうものです。
 原初の集団に馴染むことが出来なかった私は、結局次の集団「学校」に馴染むことも出来ず、仲間を作ることも出来なければ勉強に励むことも出来ず、家に帰ることも出来ない典型的な問題児になってしまいました。
 自分でも、第一次教育が始まる頃には自らの暗い性格が非常に嫌いで、自分に姉や教師といった他人を、笑顔にする力がないことを知ってがっかりしていました――――――。
 そんな私を救ってくれたのは、最初のカウンセラー「シーラ」です。彼女は豊満な体躯を持った中年のおばさんでした。眼鏡をかけて、口紅を引いて、息子が二人いました。
 彼女は私の心に最初からするりと入って来ました。私が夢想する「母」のイメージにぴったり合致していた、最初の五秒から彼女に甘えることが出来ました。そしてそんな彼女が私に言ってくれた一言が、私の人生を楽にしました。


いっしょにいてもしあわせになれない人たちと、
がんばっていっしょにいるひつようはないのよ。
いっしょにいるのがいやなのなら
かぞくをやめてもいいし
がっこうをやめてもいいのよ。


 これ、私にとっては人生の十大ニュースに入るくらいの大事件でした。ええ? そんなのありなの? と思いました。十歳の子供心に。
 最初、それは何かずるのような気がして、やっぱり友達や家族とがんばって仲良くしようと努力しました。けれどやっぱり駄目で、そういう時、私の心は常にシーラとこの言葉の元に戻ってきました。
 今のところが嫌なら、別のところを見つければいい。こういうのは大人の知恵です。私はそれを分けてもらって、結局それで何とか事件も起さず成人するまでやり過ごしたというわけです。
 途中、危ない局面は幾らでもありました。私は家族や友達を殺す子供の、閉塞した気持ちが少し分かってしまう危ない精神の持ち主です。社会と反社会の間をふらふらしていた私を社会の側につなぎとめてくれたのは、明らかにあのシーラを初めとする五人のカウンセラー達です。
 …どうでしょう、トードーさん。
あなたは、今の社会の仕組みを否定的に捉えてらっしゃるようですが、私は、自分の経験から言って、今の形が悪いとは決して思いません。勿論、今が最善だとは思っていませんが、悪い方向へ向かっているとは全く思えないのです。
 私たちは社会で生きる以上ストレスを持ちます。それは他人に聞いてもらって解決するのが一番なのだから、家庭の崩壊が前提の今、その場を社会が意識して用意するのは、福祉の観点から見ても、防犯の観点から見ても妥当なことではないでしょうか。
 …喩え、私のカウンセラー達が見た目や性格で選別されていたとしても、結果はまずまずだったのです。同じ様に私が見た目で判断されてあなたの担当になったとしても、…根に持っていると言うつもりじゃ全然ないんですが、私が最善を尽くせばそれでよいのじゃないでしょうか。
 そういう意味では、社会は今も最善を尽くそうとしているだけだと思うのですが…。