24.漏洩







「議会戦線異常なしだな」
 端末の前でサンドイッチを食べながら、ヘイが小馬鹿にしたように言った。彼はもう選挙になど十年以上行っていないという、自他共に認める政治嫌いだ。
「こいつらの給料、俺たちが払ってんのかと思うと腹が立つよなあ」
「しかし見事な予算論議ねえ。あれだけ人が死んだってのに…」
 彼の向かいでそう呟いたのはクラークだ。彼や彼女はニンブスの市民情報も洗っているから四万という数に実感がある。議論の中にその死が出てこないことに不満を感じているらしかった。
 二人の心中を慮りながら、クワンはそっと口を挟む。
「ニンブスは第一次循環完了前でしたからね。母星に家族も係累もないから、議会じゃ材料にならないでしょう」
「見事な人道主義だよ。子供になんて言ったらいいか分からねえや」
 ぱんぱんと両手を払うと、ヘイはまたキーボードを弾き始めた。
「クワン君、こんな所で何してるの? 午後から厚生局へ行くんじゃなかった?」
「おう、そういやトードーとの話はどうだった。ニカンダ刑事が抜かれた間、あいつと喋ってたんだろ?」
 クワンは掌をぺったりと頬に貼り付けていたが、そのまま強引に下を向いたものだから肉が引っ張られて変な顔になる。
「それがその…」
「何。またトードーにかまされたのか?」
「喜びすぎだって」
「いや、かまされたと言うか…」
 クワンは両腕を組むと、弾みをつけるように大袈裟な嘆息をついた。そしてじろっと睨むようにヘイを一瞥すると、
「ヘイ調査官には、お子さんがいますよね」
と前置きした。彼は目を丸くして頷く。
「で、ものすごく悪い喩えで申し訳ないんですが、そのお子さんが病気になったり、事故になったり、お亡くなりになったりして」
ヘイは嫌な顔をした。
「ものすごく悪い喩えだなあ、オイ」
「自分が悲しんでいる時に、悲しいのは分かるがその感情に価値がないと言われてどんな気持ちになります?」
 突然問われて困惑した彼は、上体を持ち上げるようにして背を反らした。
「トードーがそんなこと言ったのか?」
「似たようなことを…。
 …今はいいですよ、昔の事だから。でもその当時は本当に僕、死ぬほど悩んでたんですよ」
「は?」
「例えば本当に手首に刃物を当てて切っちゃう子がいるでしょ。その傷を前に、言えますか? そんな傷に価値は無い。死ぬのなら勝手に死ね。
 もっと言えば、言えます? 四万人の死にも、本当はひとかけらの価値もないんだって。そうするしかないから諦めろだなんて。
 …それはつまり、四万人の生存にも価値がないと言っているのと同じなんです。誰が生き、誰が死んでも何の意味も無ければ価値も無い。
 …そんなんアリですか? そんな考え方受け入れられます? 大体それは人間の考えることなのか、そんなこと言われて誰が納得できますか?!」
 クワンは熱くなって、つい彼らに噛み付くような言い方をしてしまった。はっと気がついたときには、二人とも仕事の手を止め、呆気にとられて自分を見ていた。
「あ。すいません…。つい興奮して…」
「ああ、大丈夫よ。分かってるから」
「うー」
 こんなに苛つくのはきっと最近寝不足だからだ。クワンはそれも思い出して頭を抱えた。
 調査室で話を聞いていた時にはそれほどでもなかったのに、後から考え直すと彼の言ったことがどうしても受け入れられず、クワンは考え込んでしまったのだった。
 引き出しの中に入っていた箱が次にしまう時にはみ出してしまったのに似ていた。その溢れ出した部分を消化することが出来ず、午後になって二人の被害者が生まれたというわけだ。
 ヘイはよっぽどびっくりしたのか、端末を操作しながらも表情が固まったままだったが、クラークの方は笑いながらフォローしてくれる。子供の癇癪には慣れていると見えた。
「そういうのって何とかって言うのよね。すごい昔の宗教で…。本当のことかもしれないけど、ストイックすぎて私たちにはきっと駄目だわ。
 私たちはそれぞれ社会というメソッドの中で生きていて、少なくともその中では価値があると念じながら、平板な日を美化してやり過ごしている。だから死んだら告別式をするし、誕生日には記念してディナーを食べたくなるでしょう」
困ったような微笑が、クワンの頭の中でヤナのそれと重なった。
「そういうのなしでも生きていける強い人はいるけど、私は駄目。もしあなたもそうならトードーにそう言えばいいのよ、話は分かったけれど自分にはどうも無理だって」
 彼女の言葉に見送られてクワンは事務室を出た。




 眠たい。完全に寝不足だ。
クワンは午後の陽気に当てられて朦朧とする頭を抱えて歩きながら、昼休みに仮眠しなかったことを後悔した。
 今日は早く帰るぞ、早く帰るぞ、と念仏しながら厚生局の廊下を歩く。頭の中がそれで一杯で、朝のトードーとの問答もほとんど忘れかけていた。
 その時。
「サミュエル?」
こういう時に限って知り合いに会うものだ―――――、クワンはほとんど自棄くそな思いで身体を反転させ、呼びかけに無理矢理応じた。
 と、その瞬間、肋骨の中で心臓が一撥ねし、一緒に身体が地面からぴょんと飛び上がったような気がした。
「シャオ…」
「久しぶり」
 そこには、法学部の同期生だったシャオユエが立っていた。以前法廷で会って以来、実に一年ぶりの再会だ。相変わらず趣味のいいスーツを着て背筋をぴんと伸ばしている。疲労気味のクワンは危うく卑屈になりそうになった。
「や、あ…、びっくりした。どうして、厚生局なんかに?」
 ゲスト入館しているらしく、一時発行のIDカードがスーツの胸元にぶら下がっている。彼の問いに彼女は細い顎を反らして微笑むと、
「あなたはどうして?」
逆に質問をぶつけてきた。
「…捜査に関わる資料を取りにさ…」
 クワンは言いながら苦労して集中力をかき集める。シャオユエは決して反権力派ではないが、さりとて公僕ではない。飽く迄も外部の人間だ。情報には注意しなければならなかった。
「相変わらずの役所勤めなのねえ。弁護士になった方が楽なのに」
「そうかな?」
「少なくとも、朝起きる時刻は自分で決められるわよ?」
「いや、これは」
言っている側から欠伸が出そうになり、彼は必死でかみ殺した。
「今が特別忙しいからで、いつもこんな状態じゃないんだ」
「でもお給料は安いでしょ。この間も言ったことだけど、気が向いたらいつでもウチに来なさいよ」
「人には向き不向きがあるんだよ」
「お父様に出来たことよ?」
 クワンは表情を引き締めた。余計な事を言うな、というメッセージを彼女もそこに見て取ったらしい。笑ってきれいに受け流した。
「時間ある? もし良かったらお茶でもどう?」
「いや、悪いけどすぐ庁に戻らないといけないから」
「本当に忙しいんだ」
「うん、悪いね。じゃあ」
 さっさと歩き始めた彼の背中に、動じる事の無い冷静な眼差しをちょっと当てたかと思うと、シャオユエはゆっくり口を開いた。
「生存者の調査?」
 ―――――― 靴音が止まる。
辺りは一瞬にして静まり返り、三十秒が五倍に引き伸ばされた。
 クワンの首が音も無く動き、くっきりとした石のような横顔を彼女に見せる。
「何の話だ?」
 クワンはそのまま歩み去った。廊下に一人残った彼女は、少し皮肉に唇をゆがめて笑う。それから軽やかに身体を反転させ、廊下の先へと歩き始めた。



 漏れている。外に飛び出したクワンはタクシーの中で携帯端末を開けると、重度暗号モードでニカンダの端末に直接メールを打った。場所によっては繋がらない可能性があったが、運良く一発で送信された。
 とりあえず一息ついたが、落ち着くところまでとても行けなかった。窓の外を線を引いて流れていく景色。それがそのまま頭の中に反映されてぐるぐると思考を掻き回している。
 シャオユエはどうして厚生局にいたのだろう? 単なる仕事の関係か、それとも『生存者』の件と絡んでいるのか? そして彼女はどこから『生存者』のことを嗅ぎ付けたのだろう。どこまで情報漏れが進んでいるのだろう? そもそも一体どこから情報が―――――――忘れた頃に。
 端末にメールが返信されてきた。そこには素っ気無いほど冷静な文字列がこう伝えていた。
「漏洩の報は午後三時に庁にも届いた。エア・ネットが午後四時の更新時刻で発表する模様。ローカル・ヴィジョンも既に情報を掴んでおり、今夜にもケーブルに乗るだろう。
 漏洩元は現在不明。既に入り口に勘のいい報道陣が張り付き始めている。貝のように口を閉じて庁まで戻って来い」
 今夜も眠れないかもしれない。
クワンは絶望的な思いで狭いタクシーの天井を仰いだ。








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