25.カテドラルへ









 今日はいよいよカテドラルに迎えられる日だ。昨日の晩から振り払っては積もり、振り払っては積もる緊張と興奮とを、肩に落ちた髪の毛と一緒に後ろへやって部屋を出た。
 こういう風に気負いすぎるのは私のよくないところだとカリーナは言うけれど、私は未だに成人としての義務を果たせていないのだから、その分がんばって社会の役に立たねばならないのである。
 今年スコラを卒業した同期生の中でカテドラルに入るのは六人。集合場所に行くとほとんどが既に集まっていた。どれも見知った顔だが、なんとなく互いに会話を交わす雰囲気でなく、各自がばらばらに、所在ない気持ちで椅子に腰を下ろしていた。
 真っ白い部屋の中にはほこりすら落ちていないし、どこにも傷一つついていない。その空間の中で身体を動かすと、その弾みで辺りから浮き上がってしまいそうで、必死に息を殺していた。
 もし、自分に今子供があって義務を果たせていれば、少しでも違う気分だっただろうか? そう思うとまた胸が痛くなった。でもそれも―――――、仕方がないことだ。
 と、ばたばたと廊下を蹴り上げる音がしたかと思うと、刻限の一分前に部屋に滑り込んで来た男がいる。言うまでもなく、ヌクテ・ロイスダールだ。
「よお、みんな早いなあ」
 スコラで出していたような大きな声を出すものだから、何もない部屋の天井に跳ね返って、皆はっとしてしまう。
「あなたが遅いのよ。それにもう少し、静かになさい」
と私が言うと、
「え?」
ヌクテは腕に巻いた時計を見て、私の気も知らずに変わらぬボリュームで言う。
「なんだ、おどかすなよ。遅刻なんかしてないじゃないか」
「そうは言ってないわ。でもこういうものは十分前くらい余裕を持って…」
「やあみんなおはよう」
 ヌクテの後ろから、スタッフらしい5470が姿を見せた。背の低い、温厚そうな壮年の男性だ。部屋の中を見回して全員のIDカードを視認すると、惜しみなく笑って両手を後ろへ回した。
「揃っているようだね。僕は人事担当のノクトだ。これから一人ずつ別室で統治代表閣下の歓迎の挨拶を受けてもらって、その後それぞれの部署へ移動となる。スタッフ達も毎年やっている事で心得ているから、特に緊張したりする必要はないよ――――――とは言っても」
と、にこにこを深くする。
「今年に関しては大丈夫かな。毎年緊張しすぎて気分が悪くなったりする子が出るんだがね、今日はみんな元気そうで大変結構」
私はその言葉を聞いた時、耳まで血が上ったような気がした。
「では、まず最初にヌクテ・ロイスダール君」
「はい?」
「君が最初だ。一緒に行こうか」
「はァ…。なんかここ、ざわざわしますねえ」
「ざわざわ?」
「血が騒ぐというか、落ち着かないというか」
「そうかい? ここは君たちの生まれた場所だからねえ。…そういう感じが起ることもあるかもしれないね」
 言いながら、二人は部屋を出て行った。やかましい男が消え、残された我々は少し呆然とした感じで開いたままのドアの方を見る。それが追いすがる絵面に見えることに気付いて、私はつと目を反らした。
 五分ほどだったろうか。ノクトは割とすぐ戻ってきて、次に経済局に入る予定の女の子を連れて行った。次はヌクテと同じ資源局に入る女の子―――――一体どういう順番で呼ばれているんだろう。と私はちょっと思う。ヌクテ始まりでは、ID番号順ではないし、入局先順でもないようだ。スコラの卒業成績の順なら、とっくに自分が呼ばれているはずなのに。
 …まさか。と滑り込んだ瞬間に心臓が撥ねた。
期待度順なのだろうか。
 いや、そんなことはないはずだと何度も打ち消したが、一度思考がそこへ向かってしまうと、自分は義務を果たしていないという事実が闇を広げ、隙のある精神がまた迷い始めた。ノクトがやって来て自分ではない子を連れて行くたび、ほらやっぱりほらやっぱりと血管が軋む。
 しまいに部屋に一人になった時、私は俯いて拳を握った。
悲しい。
どうしてなの。
 私は心から、本当に偽りなく人の役に立ちたいと思っているのに、運悪く結果が出せないがために、その心が理解されないなんて…。



「リンダ? リンダ・ウェルス。どうしたんだね」
 すぐ側でそう呼ばれて、はっと顔を上げる。するといつの間に入ってきたのか、ノクトが心配そうな顔をして私の前に立っていた。
「あ! すみません…!」
慌てて私は立ち上がる。
「待ちくたびれたかな? そんなに時間は掛かっていないと思うんだが、すまなかったね」
「あ、いえ。ただ…」
「君は面接終了後、直接閣下と執務室へ帰ってもらうから、その都合で最後になってしまったんだが。大丈夫かい?」
「あ…はい。そうでしたか…。…はい、大丈夫です」
 私は彼の後ろに着いて廊下を歩んだ。辺りには誰もいなかった。二つほど閉じられたドアをやり過ごすと、廊下の突き当たりに両開きの扉が見えて来る。
 それが開く頃には、私の頭はもう真っ白になっていた。昨晩からいい加減、余計な事を考えすぎて頭が疲労していたのだ。ノクトの言葉に従うまま部屋の中に入ると、小さな部屋の中にはまず我々の為の椅子があり、奥に机が一つ。そこに一人の青年が腰を下ろしていた。
 彼が端末から目を離して私を見たとき、自分が息を止めたのが分かった。その青年―――――ニンブスの統治代表者ゲオルギウスは、性的な意味合いを遥かに離れたレベルで、恐ろしく惹き付けられる男性だった。特に派手な格好をしているわけではないし威圧的でもない、髪の毛も少し長めなだけで、無雑作なほどありきたりなのに、一目でこれが自分たちのボスだと認識させる何かが全身を薄く取り巻いていた。
 私が息を飲んだきり立ちすくんでいると、彼は意外なほど簡単に手を上げて、私に座るようにと促した。子供のような従順さで、私はそれに従う。
「お待たせしたね、リンダ。今年はとりわけ君との再会をとても楽しみにしていたよ」
「え?」
ゲオルギウスは私の表情を誤解なく読み取ってくれた。優しく微笑んで、こう続ける。
「もちろん成人した君と会ったのは今日が初めてだが、私達はもっと前に会っているだろう? 君がまだ一個の細胞だった頃に」
「あ……」
 ――――――ざわざわする。
さっきヌクテが言った台詞が脳裏に蘇る。私は全身に震えが走るのを押さえられなかった。
 どの遺伝子とどの遺伝子を組み合わせて受精卵を生成するかは統治代表者が決定する。
だから、彼は私を知っている。
私の誕生のその瞬間のことを知っている。
 そして今までずっと彼は遠くから私の成長を見守り続け、私がカテドラルに戻って来るこの日のことを、楽しみに笑いながら待っていてくれたのだ…。
 それは血の沸騰するような感触だった。このように深い情けを感じたことは今までなかった。鼻の付け根の辺りが熱くなり、その痛みが喉に詰まった。
「わ、私も再びお会いできて嬉しいです」
「うん。君は優秀な素質を持っているだけに苦労をかけてしまったね。今まで一人でたくさん悩ませてしまったことをすまないと思っているよ」
「………」
「カリーナから君が望むような自然出産をなかなか果たせないでいることを聞いている。これも組み合わせを決定した私の責任だね、申し訳ないことをした。
 どうもトードー・カナン君は、今まで私たちが相手をしてきた人間とは、根本的な意味で種類が違うようだ。メソッドから離れて別個に対応を考えねばならないタイプだったと、今では思っているよ。
 提出義務が遅延しそうだという今の状態は、君の責任ではない。組み合わせを選んだのは私なのだから、ほとんどの咎は私にあるし、残りはカナンを説得できない厚生局のスタッフの責任だ。君が思いつめる必要はないのだからね。そこのところだけは分かっていてくれたまえ」
「…は、はい」
 あなたのせいではない。カリーナにも再三言われたことだ。しかし、カナンがはっきりした理由を話さず、生殖行為を拒み続ける以上、私は女として自分に足りないものがあるのだと思わざるを得なかった。
 でも、今はそう思わない。
荒れた唇に薬を撫ぜられたような気持ちだった。自分を脅かす獣を退治してもらったような気持ちだった。
 この人の言うことに間違いはない。私のせいではないのだ。この人が今日、私と世界をとりなしてくれた…。
 私は立ち上がり、膨れ上がる感情の全てを込めてゲオルギウスにお辞儀をした。
「一生懸命がんばりますので、どうかよろしくお願い致します」
 彼はにっこりわらって頷くと、端末を閉じて立ち上がった。
「こちらこそよろしく。では我々の仕事場へ行こうか。君の前任者のマルゲリータが、今か今かと君の到着を待ちわびているからね」
 私たちは部屋から出ず、壁に目立たぬように設置されているエレベータに乗り込むと、ヒト向けの、緩やかな速度でかなり長い間上昇した。カテドラルは聳え立つ氷柱のような格好をしている。確たる場所は教えてもらっても分からないと思ったので聞かなかったが、もしかするとそのてっぺん辺りまで行くのかもしれない。
 小さな箱の中に、私はゲオルギウスと二人きりで五分ほども一緒にいた。彼の衣服から微かな香りが漂ってくる。それが太陽の香りだと気がついた頃、ふいに彼がこっちをむいてにっこり笑った。自然とそれに微笑み返した時、心の中で私は思った。
 この人が統治者であろうとなかろうと、人間であろうと5470であろうと、男であろうと女であろうと関係ない。私はこんな風に、心から尊敬できる人の元で働けて、本当に本当に幸運だ――――――。
 永遠を思わせたエレベータの上昇も終わった。二枚の扉が開いて、踏み出すと短い廊下がある。その先にある明るい灰色の扉の前に立ち、ゲオルギウスは私の方を振り向いて言った。
「ここにID識別装置がある。我々はIDのコードを自動的に読み取ってもらえるんだが、人間である君はこのパネルに手を出して、指紋を認識させることが必要になる」
「はい。分かりました」
「動作確認のために、今ちょっと手を置いてみるかい? 開かなかったら困るから…」
 その時、開かないはずの扉がさーっと微かな空気音を流して左右に開いた。ゲオルギウスが、ん? という顔をしたと同時に、中から白いものがぽーんと飛び出してきて彼の胴に飛びつく。
「どこ行ってたのー、閣下?! すーごいたいくつだったよー!」
 その声の主を見て私は愕然とした。
こんな統治者用エリアの部屋の中から、まるで動物みたいに勢いよく転がりだしてきたのは、あのヌクテのパートナー、エテル・ファーレだったのである。










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