51.Side-N







 その前の晩から、騒ぎは一気に大きくなった。あちこちで人々が集まって気焔を上げたり、酒を飲んで暴れたりしていた。無論僕は部屋の中にいて、音を聞いているだけだったが、時折騒音が波を持ったかと思うと、「ゲオルギウスを出せ! ゲオルギウスを出せ!」と一時合唱しては、また糸が分かれるように乱れていった。
 それが一晩中、何百回と続けられた。僕は面倒くさい顔をして片方の耳を塞ぎ、机の前にじっとしていた。
 夜半過ぎ、予期していた通り、カテドラルから呼び出しが来た。レベル4出頭命令だ。そうなるともう署名も局長クラスではない、ゲオルギウス直々だ。
 さすがにその名を目にした時には本能的に恐怖したものだが、思えばそれがカテドラルに対する忠誠の最後の一片だった。
 僕のように全体への視野が乏しくたって分かる。ニンブスはもう滅茶苦茶になったのだ。ゲオルギウスとカテドラルの正統性は取り返しようのないほど傷つけられている。二日前、ヌクテがリリースした情報のために。
 一睡もしないまま早朝、部屋を出た。通りには人々が座り込んだり眠り込んだり、まだ固まって話し合っているものもいたが、その全てが、妙な白いものを背中にしょっていた。
 それが進化の証だと言われた頃、人々はわざとそれが生えた事を強調するような格好をしていた。女の子は特に背中開きの服を着ていた。とても大人しそうな少女がきちんとした格好をして背中に羽根を閃かせている様は本当に天使のようにかわいらしく、同時に馬鹿な男が餌にするエロティックな妄想の世界そのものでもあった。
 そしてそれがカテドラルに「騙された」証と判明した今、彼らはますますそれを強調する。騒ぐ人間たちの大半は上半身を脱いでいた。そんな格好をしても生きていられるのは、カテドラルの5470たちが温度調整をしているからなのだが、それは彼らの怒りとは関係のない話だろう。
 泣きたい時には泣いていい。怒りたい時には怒ればいい。そう言われ続けて逆らわず生きてきた。それがニンブス・シティという町だ。だから今更、何を言うこともない。これは全員が望んだことなのだ。
 僕はこれ見よがしなほど羽根の舞い散る道路を黙々とカテドラルまで歩いた。その尖塔の前には一層多くの人々が騒ぎ疲れて休んでいた。どの歴史を紐解いても最も高い建物に最も強い権力が宿っている。彼らはそこに住む統治代表者に、責任を取れと言いたいのだ。
我々を不幸にした責任を取れ。
 5470のガードマンが、僕を中に入れてくれた。ロビーに入るとがらんと冷え込んだそこに、ヌクテ・ロイスダールとその懐に抱きついたエテルがいた。
「おはよう、エテル。ご機嫌だね」
 彼女は僕に背中を見せていた。しかし服は着ているし、その下も膨らんではいない。何故かと言うに彼女は抜いてしまうのである。とにかく背中のアレが嫌いなのだ。
「うーん、えへへ〜。すごいしあわせなの〜」
「すごい幸せなの? なんで?」
「ヌクテがね、エテルのこと嫌いじゃないよって」
「そう……」
 ヌクテの顔を見る。無精ひげにまみれ、痩せた頬で彼はいつものように虚無的に笑った。僕も笑い、滲みそうになった涙を心の中空にやっとのことで誤魔化した。
「…随分閑散としているね」
「外で治安維持に努めるように、ゲオルギウスが朝一で命令したからさ。俺が来た時、職員のほとんどが出て行くところだった」
「そう…」
「5470も大分あちこちで壊されているようだな、火も…。ほとんど暴動だ。大したもんだ、さすが進化した連中は違う」
「…予想してた?」
ヌクテは僕に向かって哀しそうな笑みを見せる。
「ひどく悪いが最も有り得る未来としてな。突然奴らが自省に走るなんて、思えないだろ」
 その時、足音が近づいてきて僕らの前で止まった。やってきたのは僕のパートナーだった。
「ゲオルギウスがお呼びよ」
 リンダ・ウェルスの顔面は蒼白だった。しかし疲れているだけで、特にパニックは起こしていないように見えた。寧ろ無感動で、僕らに相対しても「なんてことをしたの」とは言わない。
「…もしかして、徹夜明けか」
 ヌクテの問いにも簡単な肯定の息が返って来ただけだ。僕には彼女が何を考えているのか見抜けず、その沈黙の意味が分からなかった。
 ヌクテも知らなかったような、特別な場所に設置されたエレベーターで上へ向かう。箱の中でみな無言だった。エテルだけは雰囲気が読めないようで、「閣下、昨日からすごいこわいかおしているのー」などと言っていた。
 上に着くと、リンダが指紋を見せて扉を開けた。その奥にはまた扉が二つあり、リンダはヌクテにだけ、右の扉に入るように、と命じた。
「僕らは?」
 僕がやっと彼女に話し掛けると、彼女は
「私の部屋で待つようにと言われているわ。追って、呼び出しがあるでしょうから」
と言い、僕とエテルとを左の扉へさし招いた。
「じゃあまたな」
 振り返ると、ヌクテの背中がそう言って右の扉に入っていくところだった。僕は何か彼に言葉をかけねばならないような迫った思いがしていたのだが、実際には言い出せないまま彼を見送り、左の扉へと進んだ。








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