「…ゲオルギウス、母星に連絡を取って統一政府に介入を要請しなさい。あなたには再調整が必要だし、ニンブス・シティには新しい権威と計画が必要です。
 もう分かったでしょう。…あなたは、失敗したんです」
「…………」
「今回の騒ぎで、この街に住む連中も少しは上を疑う事を知ります。ちょっとずつでもましになって、本来の人間の姿に近づいていきます。
 あなたは調整を終えたらまた戻ってくるといい。今回は少し運が悪かっただけです。私はあなたの誠意まで、疑ってはいません」
「…………」
「ゲオルギウス?」
 訝しげに呼ぶヌクテの前で、彼の青年のような両肩が、机の表を掴んで細かく震えていた。思いつめた目はモニターを見たまま動かない。
 ショックでも受けているかのように思われたがそうではなかった。彼はその時、モニターの上にかがみこんで、市民達の怒号を聞いていたのである。
 人々は壊れた5470の内臓のようなパーツをてんでに振り回しながら、こう言っていた。


我々の身体を滅茶苦茶にしたゲオルギウスを出せ!
ゲオルギウスを出せ!
ゲオルギウスを叩き壊せ!


「――――…」
 ゲオルギウスの喉から言葉にならない音が搾り出された。はっとしたヌクテが、動き出した彼に注意を向ける。


機械の手から人間を取り戻せ!
人のための社会を取り戻せ!
ゲオルギウスを追放しろ!


「いいや…」
 その声を背に受けながら、つうっと彼の頬を涙がつたった。それは噛み締められた唇の間に消えていった。一瞬のことだった。
「いいや違う…! 私は間違っていない…!」
「ゲオルギ……」
「断じて狂ってなどいない…!」
 次の瞬間、彼は動いた。キーボードに手を乗せると、人には追いつけないような速度で入力を始める。その意図を半ば勘付いたヌクテが、仰天して叫ぶ。
「何をする気だ?!」
「私や、私を構成する情報に誤りはない。君の言うとおり、単に今回は仕損じただけだ。誤りならば正せばよい。いくらでもやり直せばよい。次には、失敗などしない」
その言葉を聞いて、ヌクテの顔から血の気が引いた。
「…よ、止せ! 今のあんたに正常な判断は出来てないんだ!」
 そして慣れない統治室の中を慌てて見回すが、他に使えそうな端末はなかった。その数秒の間にもゲオルギウスは作業を進めてしまう。
「再調整など必要ない、定期メンテナンスで充分だ。統治は継続する。私は統治代表だ…。狂ってなどいない狂ってなどいない」
クルッテナドイナイ。


「閣下、なんかヘン…」
 呟くエテルを急きたてて部屋を飛び出した。エテルなら、カテドラル中どこの部屋にでも自由に出入りできるということを思い出したからだ。
「エテル、ヌクテのところへ行こう!」
 そう言うと、エテルは駆け出してあっさり統治者ルームの扉を開けた。一緒に走りこむと、統治者用の机の前で、ヌクテとゲオルギウスが必死で揉みあっていた。
「…カナン! こいつを止めろ! こいつ判断名『天使』を消して、人間でないものとして連中をごっそり始末するつもりなんだ!」
「えっ?!」
 いらないものを適切に処理する。より良い社会の為に5470が担っている役割の一つだ。しかし「人間」を殺してはならないという、自らに課せられた人権条項をだましてまで群集を始末しようとするゲオルギウスは、明らかに常軌を逸していた。
 状況に驚き、どうしたらいいのかと一瞬逡巡した後、再び駆け出そうとしたその時だった。
 ゲオルギウスの振り上げられた右手に、小さな槍のようなものが光っているのが目に飛び込んできた。
「がッ――――!!」
 ヌクテの叫びが喉で潰れる。首に一撃を食らって思わず仰け反った彼の体を突き放すと、ゲオルギウスはその無防備になった胸に槍の先端を突き刺し、辺りが一瞬白くなるほどの火花を散らした。
「犬が!」


 どん。
床にヌクテの身体が転がる。人形のようだった。槍は身体にくっついて来たが、その時の衝撃で外れて、彼の隣に落ち、二、三回転した。
 うわあと叫んだような気がしたが、声が出なかった。
自分が走っているという感触もまるでなかった。膝から力が抜け、立ちくらみを起こした時のように耳がわーんと鳴り、前へつんのめるようにして、僕はヌクテの身体にかじりついた。
「ヌクテ! ヌクテ!!」
 彼は白目を剥き、口の端から赤い泡を吹いていた。胸元は焦げ付き、身体はまだびくびくと痙攣している。
「でん…源……」
「え?!」
必死で口元に耳を寄せる。
「…でん…げ…」
 電源? 電源?
どうしろって、僕に一体どうしろって。医者。そうだ医者だ。リンダ。いや、リンダは死…。エテルに、エテルに言って外に行って医者を…。
「ニンブスを作り直す。遺伝子のストックは充分ある。何もかも最初から作り直せばいい。そうだ、リンダのように他人に奉仕することを喜びに…」
 床に両膝を着いた僕の側で、ゲオルギウスはぶつぶつ言いながらキーボードを叩いていた。ともすると途切れそうになる意識を必死に支えながらエテルを探していた僕はその時、
ゲオルギウスの後ろにその小さな姿をやっと見出した。
「エテル……」
槍を振りかぶる天使の姿で。



 ―――――ぐしゃっ。
全身が縮み上がるような不快な音がした。
 ゲオルギウスの動作が止まる。そして、馬鹿のようにのろのろとした動きで振り向く。背後に槍を握って立つ少女の姿を見て、彼は目を見開いた。
「……エテル……」
泣くようにか細い声で彼女の名を呼ぶ。その端正な眉間めがけてエテルは、もう一度思い切り槍を振り下ろした。
 彼女は槍の使い方など知らなかった。ただ手近な棒切れで彼を攻撃したに過ぎない。そのやり方は稚拙で乱暴で、それだけに情け容赦がなかった。
 金属が割れる音の最中に、微かに青年の悲鳴を聞いたように思った。僕は言葉もないままその場に座り込み、少女が執拗なまでに何度も何度もゲオルギウスを打ちのめすのを呆然と眺めていた。
「どうして……エテ…」
 やがて椅子から転げ落ちたゲオルギウスは、ガタガタになった顔面のフレームをぎごちなく動かしながら、かろうじて人語と判別できる声を出した。
「き…みは…てんし……なの…に…」
 砕け散った部品の最中に立ち、ゲオルギウスを見下ろすエテルは泣いていた。目のふちを真っ赤にはらしていつかのように泣いていた。
「閣下のばか…」
と少女は言う。
「なんでヌクテをコロスの?」
 ヌクテの身体は相変わらず僕の側に転がっていた。もう痙攣する事もなかった。
「ヌクテに悪いことする人、みんなエテルの敵だよ。エテルは閣下が好きだったのに…。
 閣下はまえもヌクテをコロシたんでしょう? なんでまたコロすの? ねえ、なんで?」
 頬に涙を散らしながら、エテルは再び振りかぶった。
「閣下もエテルが好きだったのに…。みんなしあわせだったのに…」
 見るに忍びなかった。
目をそらしている間に音が止まり、しなびた視線を戻した時、既にその人型は、ゲオルギウスでなくなっていた。






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