64.ゲイト







 先日中央二種裁判所の廊下で知り合いに会った。迷惑をかけるのがいやなので名前は伏せるが、恐らくこのコラムを読むような人間なら一度くらいは名前を聞いたことのある公僕の方である。
(つまりそれはどういうことかというと、事件が事件として扱われるように陽に陰に動き、こちら側へ情報を渡してくれるタイプの人だということだ。)
 てっきり自分と同じ裁判の傍聴で来たのかと思ったがそうではなく、予審に出席しに来たとかいうことだった。
 私たちは互いに顔と名前くらいは知っている程度の知り合いだが、ちょうど時間があったので少し立ち話をした。そこでどうしてニンブス・バッシュについて興味があるのか、と聞かれた。最近、その件で質問されることが実に多いので、返答がてら彼に説明したことを少し書いておく。
 簡単に言うと、この事件の生存者トードー・カナンは「ゲイト」である。この世界とあちらの世界をつなぐゲイトだ。
 彼を透かすと、今まで知ることのなかった別の世界が見えてくる。時たま神の気まぐれで現れる。彼はそういう人間なのだ。
 実際深刻である。われわれはたった一つの時間の流れに生きている。それだのに知る人と知らない人ではまるで世界が違っている。その境界に閉じたり開いたりする門が必要なほど。
 知らない人間は普段、知っている世界があることにすら気づかない。パズルのようで恐縮だが、「知っている世界」の存在を知っていたら、それはすでに「知らない」 側の人間ではない。
 同時に一度知ってしまった人間は、二度と知らない世界へ戻っていくことは出来ない。大人になったら子供に戻れないのと全く同様に。
 そのことを本能的に察知しているからこそ、頭が切れて危険を見抜けるような連中はみな、もう一つの世界のことを全力を込めて否定しようとする。原告の弁護士しかり、マスメディアしかりである。
 この事件は意外と解り易く、その意味で最も危険な種の一つだ。私自身はその内容についてそれほど驚いていないし、今更「トードーは腕だと言ったが調べによると彼が食ったのは足だった」などという裁判的な末節に関心は持っていない。
 そんなことはどうでもいい。どうせ彼は実質的に無罪になる。
 しかし、この事件がどう扱われ、どれくらいのリバウンドが人々から返って来るかには興味がある。私は寧ろトードーとその行為云々よりも、それ以外の全ての人々を観察しに行っているのである。
 その人は私の返答を聞いて怒りだしもせず、ただ静かに笑っていた。苦労人なのである。精神的には明らかにこちら側の人間なのに、公僕であることを止めずに体制の肩書きを背負うのにも訳がある。
 彼の夫人は数年前にテロで亡くなっている。彼や私の人種的ルーツであるガワティの人々が仕掛けた爆弾によって。彼の葛藤の深さは私などには予測もつかない。比べれば私は文章の下手なお調子者である。
 彼と別れた後の裁判では面白い事が一つあった。原告側の弁護士カーター君は相も変らず絶好調だったのだが、今日はトードーにしてやられた。トードーが裁判の最中、ぽつりとこう言ったのである。
「カーターさん、いつも思うことですが、私はあなたの敵ではないですよ。あなたを腐らせあなたを害している敵はもっと、あなたのすぐ近くにいると思いますよ」
 カーターの反応はものすごかった。一瞬ぽかんとした後、手まで真っ赤にして彼を黙らせたのだ。被告側の弁護士は勿論、傍聴も失笑の嵐だった。
 トードー氏は確かに受難の人だが、過剰な同情は無用である。ちなみに次回で判決となる。傍聴券を取るのが大変そうである。


[These Days of TristoC]6月号





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