漂白
「塩素って偉大だよね」 男はそう言った。会社用のシャツから鼻血の跡がすっかり消えたのを確認して、物干しから取り込む。 屈みこんで荷物に詰める彼の鼻からは、まだかさぶたが取れない。私の投げつけた時計の角が当たったのだ。 鼻血がドバーっと噴出して、私達は大喧嘩の最中であったにもかかわらず、おかしくておかしくて腰が抜けた。 へたへたとカーペットの上に座り込んで笑いながら、これでまたうやむやになるかもしれないと思っていた。 そうはならなかった。 「じゃ、失礼します」 男は言って、荷物を持って、出て行く。 「塩素って偉大だよね。 なかったことにしてくれるんだもん。 俺、この殺菌してますーってニオイも大好き」 離婚の少し前に転職してホントよかった。 指輪なんか初日から余裕で外して行ったし、気兼ねなくお誘いもお受けできるもんね。 離婚して三日後、体の大きな、体育会系のノリの男と飲みに行った。 掌大きいな。胸板厚いな。顎出てんな。そして自分の考えだけで押しまくる、暑苦しい、一方的な喋りくち。 いいじゃない。 前はこういうの男くさくて嫌いだったけど、やっとよさが分かってきた。何言ってんのか分からないとこが心地よい。子どもの頃連れて来られた酒場の喧騒みたいだ。 私は11時過ぎに目をこすった。 「眠たくなってきちゃった」 と言った。 体育会系は力自慢だ。すげえよ。片手でひょいひょい私の体の向き変えて、どんどん責めてくる。 これがいわゆるひとつの、おんなをもののように扱うってことか。 おかしくなった。笑わないように苦慮する。 もう帰るの面倒くさいもん。怒られるのもやだもん。ここに泊まりたいもん。 別の男欲しいもん。 二発目の時、私は誰かがその臭いがカルキに似ているという例のものを飲んだ。 脳裏に閃いた元夫の顔を、端から洗い流すように。
きさまが殺菌対象じゃああ |
img by web*citron