眼鏡




 久しぶりに黄惇様と柳士敬様がお見えになりました。お茶を出しに参りますと、お二人とも私の成長ぶりを喜んでくださいます。
 それは勿論、我があるじの賞賛にもつながります。
「既にして将来を感じさせる詩を作るとやら、貴殿の教育の賜物ですな」
「全くあなたは実に、立派な行いをなさっている。一族とは言え縁の薄い子を引き取って、一通り以上の教育を与えておいでなのだから」
 私は懸命に感情を抑えて廊下へと引き下がりました。しかし耳は私への賛辞とあるじへの賛辞でとろけそうになっておりましたし、肚の中では今にも両手を上げてバンザイしかねないほどの喜びがでんぐりがえっておりました。
 ところが、私の退出間際に、あるじは静かに言ったのです。
「いや。一体自分は文継によい教育を授けているのか、あやしいものだと思っております」
 キン。と私の胸が痛み、一瞬にして得意の情は消えました。
 ナニを仰る。貴殿は今、考えうる最上の教育を彼に与えておいでではないか。
 柳士敬様は行き過ぎた謙遜だと思われたらしく、響くような低いお声で仰います。
 柳士敬様も、小さな目をぱちくりなさって
「然り。このまま行けば、文継は間違いなく立派な文人となりましょう。公に仕えるか、あなたのように市井にあるか、たいした差ではございませぬ」
 あるじは答えませんでした。あるじはいつも答えたくないことがある時は、微かに笑って顎を引くのです。鼻梁の上の丸い眼鏡が光を跳ね返し、ますます彼の本心を隠します。
 私は一転冬野に投げ出されたような気分で、ぎこちない間接をごまかしながら奥へと引き上げました。



 二人の馴染みに対して告白されたあるじの言葉が、ここ数箇月の私の疑いに認めの印を押しました。
 あるじは近頃、私が作詩してもあまり喜ばないのです。詩がつまらないのだろうとうんうん唸って次の作品を持っていくと、
「優れている。大変優れているよ」
とお笑いにはなりますが、何故かその眼鏡のレンズの光は、
―― もうやってくれるな
というようでもあります。
 あるじの喜びが私の生活の支えです。ですから私は、疑惑に悩んでおりました。
 あるじは一体何を悩んでいるのか。そしてその原因が私なら、私は一体、どのようにすれば彼を喜ばせられるのでしょう。



 二人のお客様はお酒をたんと召し上がります。それでも年には勝てず昔は夜明けまでぶっ通しで飲んだって酔いつぶれることはなかったがのう、とぼやかれます。
 もつれた舌で噂話、夢の話、過去の思い出話、同僚や上官に対する不平などをお話になり、国の将来を憂いながら夜は過ぎていきました。
 私は先のあるじの言葉が胸に刺さって、呼び出しのあるたびにあるじの顔を見るのがつろうございました。





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