[ 5 ] 安倍ちゃんの野望 「守衛」 「は」 「あの光はなんだ」 「北の方角です。ノルの城が、燃えているのでしょう」 「…そうか」 アルカンは営倉の奥の寝床に戻った。靴を履いたまま寝台に上がりこむと、片膝を立てて拳を置く。 「――ふ…」 やがて激しい笑いが口を突いて、外の守衛をぎょっとさせた。 温かみのある笑いではなかった。嘲笑か冷笑の類だった。彼は幸せで笑っているのではないのだ。 「なんだって皆…」 声の後ろにチラリと素の年齢がのぞく。 「なんだって皆…」 アルカンの細い体が毛布の上へ横に倒れた。鼻先を押さえながら、尚も彼は小刻みに全身を震わせる。 「こうも、予想通りに、動く…」 その頃、未来は北城門前で騎馬に乗っていた。女のように腕を回して北城にまとわりつく炎の熱が、彼の頬や額の淵を赤く焼いていた。 *
「…おー! やっぱり安倍じゃん。ちょー久しぶり。元気ィ?」 「あっ。た、高津…。……久しぶり」 「へー。お前、上水高って本当だったんだ。スゲえな」 「い、いや。別に…、普通だよ」 「なにがだよ。俺、落ちたもん。上水行きたかったのに」 「そ、そうなんだ…? 全然知らなかった」 「…で、あれなの? まだ、あいつらと付き合ってんの?」 「――あいつらって?」 「え、えーとホラ恒介とか。あと大森とか、仲良かったじゃん」 「うん。未だに仲良いよ」 「そーなんだ。…曽房とかも?」 「うん。毎日会う」 「そ、そっか。ふーん。いいな。上水めっちゃうらやましい。 ていうか安倍、背ェ伸びたね? 前は俺より低かったのに」 「うん。ヒョロヒョロッと。家系みたい」 「あー俺、チビの家系なんだよね。しかも親父ハゲだし。すげー気鬱だよ」 「ぷっ…。いや、大丈夫だよ…。意外と周りは気にしないものでしょ?」 「だって絶対、髪ある方がモテんじゃん。まー、今は一応いるからいいけど」 「えっ?」 「ちょ、たっくんなにー? なにいきなり人のテーブルに移動しちゃってんのお! 探したじゃん。精算済んだよ」 「…!!」 「悪い悪い。今、小中の友達に偶然会ってさー。 …あ、安倍。これ俺のカノジョ」 「こんにちはぁー」 「ど、どうも、こんにちは…」 「安倍ちゃんはカノジョは?」 「い、――いや…」 「そっか! まー上水じゃ勉強も大変だもんな。じゃ、俺行くわー。男連中によろしくなー」 「あ。ああ…」 「はやく行こー? 座れなくなっちゃうよ」 「大丈夫だって。吉祥寺の映画館なんかそんな混まないよ」 「でも絶対たっくんと観たいんだもー」 「……」 十分後。 「よっ、安倍ちゃん。お待た。今日は珍しく二回くらいしか会ってないねー。誠と未来、もう来るから待ってろってさ。明日、数Uで小テストあるから皆で予習…」 「――やっぱり。それが普通だよな…」 「あん?」 安倍太朗はだしぬけにファミレスのテーブルを拳で殴ると、その上に頭を着けるようにしてうめいた。 「絶対カノジョ作ってやる…!」 *
「なんとまあコリャ馬鹿でっけえ城だこと…」 フースケは天井を仰いで呆れたように嘆息した。その声も反響してホールのようだ。東城のこじんまりして渋い木造建てに比べると、北州の城は威風堂々たる西洋の城だった。 ノイシュヴァンシュタインとか、例のシンデレラ城とか、あわよくばそこらの柱からお姫様がまろび出てきそうな雰囲気だ。 もっとも戦役で焼け落ちた部分もあり、あちこち修復途中でもある。無事だった部屋を執務室に定めて使うが、城の空気はまだどこか煤くさかった。 「――北州は大変に財源豊かな州です」 営倉から出たてのアルカンは、反省の表現だとでもいうのか髪の毛を切っていた。 目元くらいまであった長い前髪も顔の縁までの長さになっていたが、その端がつった目尻と呼応し、ますます端正な印象を与えた。 「広大な所領から吸い上げられる税収がある他、南部にはコランダムの鉱床があります」 「ブルー・サファイア――回復系鉱物の産地か」 フルメタルの未来は輝く白亜の石畳の上で、いっそ彫刻が歩いているみたいだ。 「はい。南州の持つルビー鉱床と並ぶ大規模な産地です。 反面、採掘のための不正ツール使用者が跋扈し、利権をめぐって小競り合いも日常茶飯事の問題地区でもありますが」 「なるほど…」 もやしなアベじいがしゅうっ、とため息を吐く。 「つまりお仕事は山積みってわけだなー」 「はい」 「やっと東州が落ち着いてきたと思ったのに」 「はい。東州の今後は、【オオタカ】殿にお任せしてあります。あれでも優秀な方ですから大丈夫でしょう」 最初の興奮から冷めると、四人の視線は自然と上座へ集まった。そこには城主マクシム・ソボルが片肘を椅子に預け、斜めにもたれるようにして座っていた。 「アルカン」 高い天井に反響して、別物に聞こえる声が青年を呼んだ。 「はい」 「人材の配置プランを明日までに提出するよう」 「僭越ながら、既にご用意致しております、城主様。ご覧になりますか」 「――…」 アルカンはマクシムに近寄ると、静かに書類を渡した。マクシムはしばしそれを見つめ、やがて、頷く。 「承認する。この通りに」 「承知いたしました」 「――まだ痛むの?」 腕を組んだフースケが尋ねると、 「いや…。ただ何か気持ちが悪いんだ」 と、無理をして笑う。 「剣に毒でも塗ってあったんだろう」 衣服の上から傷口に触った。 未来が自分を責める気持ちを隠すように、まぶたを閉じる。 『誠の奴、まだ落ち込んでやがるなあ』 フースケは手勢を率いて南下しながら、城に残っているアベじいと囁きを交わす。 『まあ、いきなりサックリだもん、いくら誠でもショックでしょ…。僕は寧ろ、未来の凶暴ぶりの方がトラウマになったけど』 『あー。アレもすごかったな…。鬼のように強かった頃のこと思い出したよ。 ――こないだ、ムサコの駅前で高津らに会って』 悲鳴みたいな返事が来た。 『ロープレ中にリアルネームはやめー!』 『未来も一緒だったんだけど、未だに怯えてたぜ。態度が妙に卑屈なのな。やっぱお前いじめて未来にボコられたこと忘れられないんだろうなあ。ほら、つぶれた福永家具の駐車場でさあ』 『…だからそういうビンボーくさい地名出すのやめてってば! 恒介は城の第二騎士隊長で、フェリックス達とブルー・サファイア鉱床の制圧に行ってんだろ?! もっとロマンで飾ってよ!』 『…パチンコ屋ダイヤモンド。朝っぱらからおじさん鈴なり』 『やめろっつーの!』 『駅前の長崎屋は一度つぶれかけた』 『さめるー!』 「――フースケ君」 「はい」 フースケは何食わぬ顔で、隣に並ぶフェリックスの呼びかけに応えた。 「何かいいことでも? とてつもなく悪魔的な顔つきでにやにやなさってましたが」 「いやあ、いじりやすいヤツっているんですよねえ。つい嫌がらせをしてしまう」 分からないが、何か悪い事をしてたんだろう。眼鏡の剣士フェリックスは上品に苦笑した。 「そろそろ鉱床ですよ…。私も昔、若い頃に来たことがあります」 「経験値稼ぎになるんですか」 「いや、寧ろ資金集めになるかと期待して。 しかしそう甘くはなかったですね。怖いのはモンスターより人です。レベルの低い人間はよくPKされます。勿論、集めた鉱石狙いで。 鉱脈も当たればいいのですが、なかなか当たりませんし、これは地道にやるべきだと気付いて諦めましたが」 つるはしの音が響いた。 「――じき採鉱場の北の端です」 採鉱場は大いに賑わっていた。場所は辺境で、ろくすっぽ木や草もない、硬い岩ばかりむき出しとなった大地だが、そこに大勢のユーザー達が取りつくように群がり、足元を、また壁面をツルハシで一心不乱に殴りつけている。 肉体系のキャラクターが多い上、目に入るものと言えば台車にランタン。シャベルにツルハシだ。あの優美な城の周縁とはかなり異なる、ワイルドで山師的な雰囲気が辺りに漂っていた。 「ゴールドラッシュのアメリカってこんなだったのかなあ」 「平日夜だというのに結構な数が出ていますね」 「フェリスさん」 「…なんですかその呼び名は」 「いや。フェリックスが長いので」 「しかしそれはやめてください。どっかの女子大みたいじゃないですか」 「素敵じゃーん」 「…どうもあなたは扱いにくい方だ…。どうかしましたか?」 「あの二時の方角にいるユーザー、動きが変ですね」 「…あれは、BOTですね」 「やっぱり? 囁いてみましょうか」 「どうぞ」 なにやら頓珍漢な返答が来た。自動返信機能つきだ。 「…フースケ君。他にもうじゃうじゃいますよ…。 これは思ったより大変なことになりそうだ。北の統治レベルが低かったわけですねえ」 「しかもこいつら、ちょっと叩いたくらいじゃどっか移動したりしないでしょうね」 「その通りです。 …フースケ君は普段からもっと真面目になれば、『カテドラル』の皆さんも助かるんじゃないですか」 「余計なお世話です」 やがて一行は鉱脈の中央に位置するコッレの街に着いた。 街の広場中央に立ち、城主からの布告を読み上げる。本来フースケの役目だが、彼は「絶対あなたの方がそれっぽい」からとフェリックスに押し付けてしまった。 仕方ないのでフェリックスが部下達を従え、ぽつぽつと露店の並ぶ広場の中央に立ち、布告を前に捧げて堂々と号令する。 「――市民らも承知の通り、過日、北州の統治クラブは『カテドラル』に、城主はそのリーダー【マクシム・ソボル】に交代した。ここに新城主からの布告を読み上げるものである。 前統治クラブ『山ノ手』はこの地域のみならず、州全土に渡って違反ユーザーを野放しにしてきた。『カテドラル』はその害悪から北州を解放すべく、積極的に行動を開始するものである」 布告はその後、コッレに騎士詰め所を設置すること、違反ツール使用者には厳重な処罰を行なうこと、適正な通報を奨励することなどと続いた。 フースケは脇に下がって腕を組み、辺りを見ていたが、奇妙な雰囲気だと思った。 半信半疑ながらも期待に目を輝かせて、フェリックスの声を聞いている人間も確かにいる。が、その外縁には冷ややかで小ずるい意識があって、自分たち新しい城主からの使者をぐるりと取り囲んでいるのだ。 その正体はほどなく分かった。割と長い布告が終わると、解散していく人々の隙間から待ちかねたようにフースケ達に近寄って来た者がある。 コッレの街を実質的に牛耳るクラブ連合のメンバー達で、彼らはフースケの目の前で、たっぷりと黄金の入った袋をフェリックスにつかませようとした。 「――いやあ、すごい言い様でしたね。驚いた。BOTはどんな高い税率にも文句を言わない理想的な納税者だと言ってましたよ」 出来たばかりの詰め所の屋上で、彼らは並んで籐椅子に腰掛けていた。傍らのテーブルにはミント水のグラスが二つ並び、そのふちに辺境の熱い太陽が小鳥のように停まっている。 「つまり連中、不正ツール使用者とも手を結んでるわけだ…。…城主が困ったって、奴らにはなんの問題もないっしょうね。寧ろ、好都合かもしれない」 「あー。どうやらここは別世界のようですね。それを我々は、同じ世界に均さねばならないわけだ」 フェリックスは興奮気味の頬を触りながら笑った。 「…にしても、聞きましたか。私が断った時の、彼らの言いぐさ」 「もちろん」 狡猾な眼をした男達は言ったのだ。 なんだよ気取りやがって面倒くせェな。前の役人なら喜んで受け取ったのに。 ノルの争奪戦に際しては、エストの時とは比べ物にならないほど多量の捕虜が出た。『山ノ手』は老舗の大きなクラブだったこともあるし、土壇場で投降する者が大勢出たこともその理由だ。 それこそ不正ツール使用者ではないかと噂されるオリジナルメンバーから、五日前に末端のメンバーから声を掛けられてクラブに入りました、よろしくねという初心者まで一通り揃っていた。 マクシムの体力の問題もあり、今回は全員を面接するなどとても無理だ。上層部はまあ厳罰、末端メンバーはそのまま解放、と、初めから処遇が決定している連中はいい。 問題は中間層だった。アベじいは城に残ってそのデータの収集に明け暮れていた。結局数人で手分けして五、六名ずつ面接し、その書類を、情報と共に上へ提出して取捨選択してもらう他ない。 違反ユーザーの取締に出動している未来や、辺境まで出かけているフースケに比べればまだ楽かもしれないが、これはこれでしんどい仕事だ。 だが三、四人見たところで慣れてきた。思ったより反抗的な態度を見せるユーザーが少なかったのだ。たとえばこないだのアルカンみたいに、ぎらっと憎悪で眼を光らす人間なんか全然いなかった。 もっとも同僚からは悲鳴交じりの相談が時折飛んできたから、めぐり合わせが良かったのだろう。 油断しきった頃。彼は運命の女とめぐり会った。その女の子を一目見た途端、頭の中でスイッチが入ったのが分かった。 アレだ。赤ん坊の頭上に吊るして、オルゴールを鳴らしながらクルクルするやつ。 あれが頭の中で回る。盛大に。 「…!!」 めちゃくちゃ好みの女の子だった。髪の毛はボブ。かわいらしいが、ちょいと気が強そうで、そのくせ顎をひいてこちらを不安そうに睨んでいる。 剣士らしいが、ちっとも強そうじゃなかった。膝上のスカートから伸びた足には、負傷したらしく、包帯が巻いてある。 何故かその膝の白い包帯に、眼が釘付けになった。 「…あたしを、どうするつもり?」 クワンクワンと、声が頭蓋に反響する。意識の奥の奥、端っこの方で、 ――ええ〜? ネット通販でいいのか〜? というちょっとした躊躇が湧いたが、なんかもう、無意味だった。 「…君」 ごくん。何とかつばを飲み下してアベじいは震える書類を持つ。 「氏名、【楼蘭(ろーらん)】…。み、身分は騎士。クラブ『山ノ手』に入って三ヶ月か…。騎士ならば、治安維持活動を、していたのかな?」 楼蘭はいぶかしげに片眉を上げた。多分、おっさんみたいな彼の語尾が変だと思ったのだろう。 「…そうだよ。上のヒトに従って、一緒にやってた」 「お城の仕事は好きだった?」 「…まあね…。まあまあ」 「続けて、奉仕したいって気持ち、ないかな?」 「……」 へどもどしたアベじいの態度を見る楼蘭の眼に、そろそろ女の直感が滑り込みつつあった。 この男は私に、何かを期待している。 本来ならこの状況で強いのは、絶対アベじいのはずだ。彼は楼蘭の命綱を握っているのだから。その証拠に彼女ははじめ、怯えていた。 しかし、何が起きているのか悟った少女が、気後れしつつも笑みを唇に乗せ始めて以後、二人の力関係はゆっくりと、逆転に向かって動き始めた。 「…?」 長椅子に体を伸ばし、書類をめくっていたマクシムの手が止まる。 「なんだこれは…?」 「どうかなさいましたか」 マクシムは医師の診察を受けたばかりで上半身は裸だった。その肩に背後からシャツを掛けながら、アルカンが尋ねる。 マクシムが腕を上げて彼に書類を見せると、そこには赤インクで『絶対採用』と書きなぐってあった。 SSを見る。いかにもアニメ的な外見の、かわいい女の子キャラクターだ。しかし頭はあんまりよさそうじゃない。ダブルピースを構えている。 「……」 困惑する城主の後ろで、アルカンはそっと忍び笑いした。そいつもネカマじゃなきゃあいいがな。 全くこれだけネカマ騒動が起きても、まだネット上で恋愛する奴が後を絶たないんだから…。 一週間後、涙ぐましいまでのアタックを繰り返したアベじいはついに(オンライン上の)カノジョを得た。 その報せを受け取った時、フースケはびゅうびゅう風の吹く岩場で強盗殺人犯とやりあってる最中だったので、バカヤローてめえこっち来て代わりやがれ。という気持ちになった。 -eof-
|
<<戻る | トップ | 次へ>> |