[ 4 ] 北を獲る (下) 「人の価値は力が強いことだけじゃないよ。 未来。 僕達は、君がそんなに強くなる前から、友達だったじゃないか」 * 「――同盟申請が既に八件…。どれもみな、応援メッセージつきだよ」 マクシムは書状を一枚、未来に渡した。彼がそれを大きな手で広げてみると、 『微力ながら共闘します。かねてから心理的にはかなりシンパシーを感じていましたが、今回の件を耳にし、是非同盟を結びたいと考えるようになりました。北州の嫌がらせに負けないで下さい』 とある。 調停室での審理の様子が伝わって一日。世間は被害妄想の北州城主が、いいがかりの訴訟を起こし、無様に返り討ちにあったと思い込んでいた。 北州が広大で、中央との繋がりが強い州で、城主がその関係の上に胡坐をかいている、ということが一因でもあるだろう。 人はだらしなく巨大なものを嫌う。そしてそれに立ち向かう、けなげな小さいがわを応援しがちだ。 が、小さいほうにしてみれば、自分たちの手がまっさら美しいわけでもないので胸中は複雑だった。 正確に言えば、マクシムや未来は何もしていないが、今回の事態を仕掛けたアルカンは、東州の所属である。 反面で、これらのクラブと同盟を組み、戦力を分かち合うことが出来るならば、それは願ってもないことだった。 城を獲って一月。そろそろ次の『革命』も形を取り始める時期だ。中央と対立し、その庇護を全くあてに出来ないクラブ「カテドラル」には、同盟相手がいくらでも必要だ。 騒動に押されて、その候補が向こうから手を差し伸べてきた。 ――アルカンは野の花を摘むように、城主の望む未来を正確に取り合わて、プレゼントを作り上げていた。 これは駄菓子の袋詰めではない。 未だかつて一人の城主が二州を統治したことはなく、また城を取って二月経たぬうちに他州の城を獲った男もない。 これを果たせば『カテドラル』とマクシム・ソボルの名は、この世界に深く刻まれるだろう。史上初の偉業を成し遂げた、やり手の賢君として。 前方に、魅惑の門が出現していた。 壮麗な装飾を持つ美しい門ではあったが、それは禍々しい手で建てられたもので、不吉な笑みを浮かべながら、こちらの器を試していた。 執務室の中で、仲間達は黙って、長い間、辛抱強くマクシムの決断を待った。彼らには他にすることはないのだ。いつも重大な決断を下すのは、彼なのだから。 やがて、マクシム・ソボルは顔を上げ、仲間達の表情を見て、笑った。 それは思わず愛さずにはいられぬような、かすかな自嘲を含んだ、誠実で慎ましやかな苦笑だった。 「――東州城主代理、アルカン殿」 アルカンは再び調停室に呼ばれていた。だが今日は傍聴席は空で、場は深閑とした雰囲気だ。 ローマ式のドカンとひらけた広間の中央に、衛兵に挟まれて、立つ。はるか前方に四つの椅子が等間隔で並び、聖人のような白いローブをまとった四人の委員が、彼に対面して座っていた。 「――はい」 アルカンが静かに応答すると、中央右側の赤髭の男の声が厳かに響き渡った。 「協議の結果について申し渡す」 『クダイ。いるか』 『お。ミミズ…いや、フースケだったな。しばらくだ。何か用か』 『すまないが調査の中止を依頼したい』 『――へっ。ま、早晩連絡がくるだろうとは思ってたがな』 『昨日のSSは見たか?』 『ああ。すぐ回ってきた。もっとも俺がINしたのは午前二時だが。 本物だと思うぜ。みんな目をつけるところは一緒だが、ナマの情報とってきたのはお前のところのガキ一人だ。 ――初めからそのつもりだったんだろ。 世間はどうもバカな北州城主がてめえの首をしめたと思ってるようだが、俺はそうとは思えねえ。やるじゃねえか、お前んとこの城主』 『アルカンが単独でやったことだ。俺達も、マクシムも一切何も知らなかった』 『へーえ。ほーお』 『本当だって』 『そういうことにしとくさ。ともかく運営の裁定がどう出るかだが…。ま、十中八九、沙汰止みだろうな』 「最初に言っておくべきことがある。北州城主エナメル、および中央政府の派遣官吏ルナによる訴えは、昨夜の三時十二分に、両方とも取り下げられた。 従って、もはや当室がこの件について裁定をくだすことは有り得ない」 アルカンは注意深くにこりともしなかった。神妙な表情で、下を向く。 「しかしながら我が委員会は、貴殿の提出した資料が指し示す違反行為の有無について、近いうちに、過去のデータを調査する予定である。 データと資料の内容が合致すれば当然、ユーザーの処分も有り得るだろう。調査に対する協力についてはとりあえず、謝意を表する」 『委員の連中も、勘のいいのは分かってんだろーな。自分らが利用されただけだって』 『だろうな。だが連中、イカメしいのは見た目だけだからな。厳重注意が関の山さ』 「――しかし、先の審理の席における貴殿の態度には問題があった」 中央左の委員が言う。長いつけ爪の、声の鋭い女性だ。 「蔑称が存在していることは周知のこととは言え、男性ユーザーが女性アバターを使用しようが、またその反対のことが起きようが、それ自体は違反行為ではない。 そのことについてのSS公開はやりすぎであったし、貴殿が他者のプライドを傷つけるような言動を故意に取っていたことは明白である。これについて、何か弁明はあるか」 「申し訳ございません。我が君主が攻撃されているかと思うとつい感情的になりまして…。 二度と同様の行為はせず、官吏との関係修復に努めます」 「…十万オルの補償とする。期日までにルナ官吏当人に対面して支払うよう」 「了解いたしました」 「――一つ、お尋ねしたいのだが、よろしいかの」 終わりかと思われた頃、左端に腰をかけた男が挙手して発言を求めた。白い口ひげを生やした小さな老人だが、目には十やそこらの子どもみたいな、澄んだ光があった。 見たことのない顔だ。アルカンは両手を前で重ねて警戒する。 「なんでしょう」 「この件で貴殿がしたこと…――国境地帯での違反者狩りから始まって、昨日の北州城主の告発に至るまでの一連のことは…。 正義のために行ったことですかな?」 『クダイ、途中までの調査費を払うよ』 『馬鹿言え。モノも渡してないのに取れるか』 『普段は吹っかけるじゃないか』 『商売ってそういうもんだろ。損して得取れって言葉を知らねえのか』 『――じゃあ、こっちの借りとしておこう』 『そういうこった。…しかしよ、フースケ。俺もそろそろ気をつけねえといけねえな』 『アルカンのことか?』 『いやあ、お前も含めたエスト全体さ。 今頃、東州にゃ同盟申請が殺到してるんじゃないかね。だとしたら半分は恐れてるのさ。俺も怖いよ。 中級レベルのままエストは落とす。シテとは組まずに独自路線を歩む。あの巨大な北州とサシで堂々と渡り合う。 他人が渡ろうとしない流れを、平気で渡ろうとする連中の集まりに見えるぜ。 もっとも本物のエリートってのは…、そういう人間のことかもしれないけどな』 アルカンは広い場所に丸腰で立っていた。彼から出口までの距離は遠く、右の、黒い鉄の打たれた扉のほうが近い。 その奥の廊下は、牢獄につながっている。アルカンは自分が、あくまで比喩として、落とし蓋の上へ立っていることを知っていた。 だから疑いようもないような、真正直な眼差しを内臓の間から引きずり出して、答える。 「――我が城主マクシム・ソボルは、何よりも正義を愛し、重んじる男でございます」 老人は黙った。 「よろしいか、シンビ殿」 という赤髭の声に 「……」 頷く。 アルカンは、解放された。 『――で、正直に言えよ。全面戦争だろ?』 『いや…、俺もほんのさっきまでそうかと覚悟してたんだが。今しがた城主マクシムは、こちらからは宣戦布告しないと決定した』 『――何ィ?!』 早耳は素っ頓狂な声を発した。 『んだと? どこまで本気で言ってんだ?』 『あいつは馬鹿正直がとりえの男なんだ、二枚舌なんか使いこなせない。…アルカンの手には、乗らないことに決めたんだろ』 『何笑ってんだよ! 千載一遇の好機だぞ! …これを逃したら、弱小の東州に北を獲るチャンスなんか無い! 北州の評価レベルだって城主交代したら戻っちまう可能性があるぞ。棚からぼた餅のこの絶好の機会をみすみす逃すってのか? 馬鹿城主か?!』 『だからそうだって』 『え、つか、さっきお前が言った、何も知らなかったって、マジか?! ええー?! 嘘だろう?!』 あきれ返った様子のクダイに別れを告げた。 『ともかくありがとう、クダイ。バカ城主が呼んでるからまたな』 『おいおい、戦争してくれよ! …せっかく個人露店から高級武具を買い占めてるのに、どうしてくれるんだ?!』 どうやら気前のよい情報屋の本音はその辺りにあるらしい。 『てめーはよ…。クルップにでも変名したらどうだ?』 『クソッ。大損だ。待てコラ。やっぱり途中までの調査費よこしやが―――』 フースケは笑いながらブツリと、通信を切った。 *
結句その日の終わりまでに、東州城主マクシム・ソボルが明らかにした穏健な指針は以下の通りだった。 ・北州に対する宣戦布告は行なわない ・北州から攻撃があれば撃退する ・以上二つの指針を伝えた上で、それでも変わらず同盟の意志を示す全てのクラブとの間に、同盟関係を結ぶ 告知を市街に張り出し、さらに同盟申請のあったクラブへも送付した。 同時にアルカンを呼び出し、三人の重鎮達の前で叱責。四日間の営倉入り処分とした。 直近の戦争・革命時間帯を含んだ土日の二日間は、まるまる拘束されている計算だ。 「次にこのような勝手な行動をした場合は、クラブから除名処分とする。――分かったね」 城主から直々に厳しく言い渡されると、アルカンはしゅんとうなだれた。 これが昨日バシリカ式の調停室できわどい舌戦を繰り広げたのと同じ人物だろうか。フースケは不思議なくらいだ。 あの場では、清流に放たれた魚のように青光りがしていたのに、今はおとなしい若鹿のよう。前髪に埋もれた大きな瞳は潤んでいるし、全身がしょぼくれて髪の毛まで寝ている。 つーか、鹿というより、いっそサギだ。 「どうかお許しください。…反省しております」 「直ちに営倉へ向かえ」 未来の背に従って出て行く彼の姿を見送ると、アベじいは術師のローブを揺らして、手を腰に当てた。 「終わってみたらこんなものか…。人騒がせな事件だったなあ」 「何も終わりはしないよ、太朗」 緊張を解いた城主は座に片肘をつき、やや憂鬱そうに訂正した。 「未来にも釘を刺したが、既に起きてしまったことの影響は、今から明らかになってくるはずだ」 アベじいがうへえという顔をすると、マクシムは「大丈夫さ」と、笑う。 「みんないるからね」 フースケは思わず眼をしばたいた。あの鍋会の日以来、ようやく眼にした彼のまともな笑顔だ―― 結局、彼らはアルカンの贈り物を、半ばは受け取ったということだ。 * 土曜日、運営の判断で北州城主【エナメル】のキャラクターが一時停止されることになった。 クラブ『山ノ手』は急遽リーダーの交代を行い、副長が困惑した態のまま、その任に就くことになった。 これらの報が伝わると、なんだか北を討つのは天命で、そうしないことは悪いことじゃないかという空気にまでなってきた。 その頃までには、エナメルだけでなく、その周辺の人間達も不正ツール使用者なのではないかという、かねて水面下で囁かれていた噂がおおっぴらに言われるようになり、『山ノ手』はまるでBOTクラブであるかのような認識が広まっていたのだ。 騒動を羞じて抜けたメンバーも多数おり、北州は最悪の状況だった。 こんな問題のあるクラブとのん気に同盟を組み、支援していたということで、シテの『ブルーブラッド』とその主【キング】にまで非難が及ぶ。 逆にエスト城の質素な寄木細工の広間には、レヴォリュシオンに残る良心と正義が集合したような感があった。 この日、革命時間帯に合わせて、布告後も同盟申請を取り下げずに『カテドラル』と組んだ五つのクラブの代表者たちが兵を率いて集まり、互いに親睦を深めるため、簡単な酒宴が設けられていたのである。 「本当にこのまま、北を放置なさるおつもりですの? あれはほとんど腫瘍ですわ。取り除くのが世界のためですのに」 金色のまばゆい髪の毛を複雑に編みこんだ女性【アンリエット】は、菫色の瞳の上に金のまつげがけぶるように見える本式の美女で、身につけた銀の甲冑さえドレスに見えた。 その隣で、変な髪形のいかつい男が、太い顎を振って同意する。 「全くその通りだ。我らにお任せ下されば、今すぐにでも行って、この名剣斬水の切れ味とくとご覧にいれましょうに。ガハハハ」 「【オオタカ】様。飲みすぎですよ…」 連れの胃弱そうなのが押さえる。 「バカ言え、本気のことだ。さぞかし皆さんも同じお気持ちでらっしゃるでしょうが?」 「そーだそーだ。やっちゃえ。 大体、今の城主だって妙な噂あんじゃん。前の城主と変わんない可能性大だよ」 「ていうかあのネカマ、厚生省の職員だって話、聞いた?」 「うわワロスね。あたし達は清く正しく美しく生きていこうねーw」 話しているのは双子という設定のリーダーと副リーダーだ。全く同じロリータな衣服で、見分けがつかない。 「今、北州の評価レベルが最低なのは事実ですね。穴は、たくさんあるようです」 眼鏡の青年【フェリックス】も、控えめながら手持ちの情報を匂わして、笑った。 「ほら御覧なさい、城主殿。戦意は上々、情報も揃っております。号令さえあれば明日にでも我ら、北を落として参りますぞ」 「……」 マクシムは彼らの中心に独りで立っていた。初めての会合だ、首脳陣がつるんでいるという印象を与えてはいけない。 他の三人は壁際に散らばり、敢えて近寄らないようにしていたのだ。 マクシムも友を眼で探すようなことはしなかった。周囲を取り巻く同盟相手達をきちんと見つめ返すと、教え諭すように静かに言った。 「皆様の仰ることはよく分かります。 しかし、先の布告でもお知らせしたとおり、今、北州を討つつもりはないのです。 勿論、いずれは北にも向かうことになるでしょうが、今、『カテドラル』と『山ノ手』は互いに妙な関係に陥りすぎている。 私の希望するのは、城主同士、互いになんの屈託もない状態で堂々と渡り合う戦いです。 確かに北州には問題がある。しかし、ならば在来のクラブが革命を起こし、代わりの城主を立てるべきでしょう。 願わくばその新しいクラブと、事を構えたいものです。 …私のとある友人は、体格も立派で、力も強いのですが、『喧嘩をする時は、自分と同格の者を相手にする』という信条を持っています。 私は――」 反射的に未来の方を見ないよう、彼が気をつけたのが分かった。 「この言葉が好きです」 「ウーン!」 オオタカは天を仰いで、おっさんくさいうなり声を上げた。 「若い! 若いなぁ! 城主殿の仰ることは実に立派で美しい! が、いかんせんお若くていらっしゃる!」 「そーだそーだ。キレイ事ばっかじゃ大きくなれないぞー」 「好き嫌いなく食べなくちゃー。もっと汚いマネする人いくらでもいんじゃん」 「…【リコ】殿、【リタ】殿」 双子は名前までややこしかった。マクシムは小首を傾げて、二人に微笑みかける。 「いかにも存じておりますが、世の中には真似していい行為とそうでない行為があります。 もし今北を獲ったならば私は、パトリスの不在に乗じてシテ城を攻め落とした、あのキングと、同じ人間になってしまう」 静寂の広間に、無数の蝋燭の明かりが揺れた。それはやがて、シテ城を焼いたあの日の炎とも重なり、人々は、思わずまぶたを閉じる。 焼けたのは一部のみだったが、シテの炎上する様は、中央州のみならず全ての民に強い衝撃を与えたものだった。 フースケもまた、眼を伏せる。 ――そうとも。許せなかった。 こちらが弱っている時に攻め込んできて、得意げな顔をして味方を切り殺す連中が、瞬間、憎悪で顔がほてるくらい憎かった。 「お許しください。私には出来ないのです。どうぞ、お笑いください」 双子は、量ったように同じタイミングで互いに顔を見合わせた後、トコトコとマクシムの前まで歩いてきて、言った。 「ごめんね、マクシム?」 「許して、もう言わないよ」 マクシムは微笑む。 「いえ。こちらこそ。このような不甲斐ない同盟主で、皆様にはご苦労をおかけします」 「とんでもないわ。私たちも、少しはしたなかったようだわ。 それにしても…、あなたはお若いけれど、やはり真正の、パトリスの後継者でいらっしゃること…。ここへ来たのは間違いではありませんでした」 彼女のきらめく眼差しに、マクシムは恐縮したように会釈する。 「光栄です。アンリエット殿」 その時、アベじいが進み出て、言った。 「皆様、月が出ました。革命時間帯です。念のため、それぞれの持ち場へお戻りくださるようお願い致します」 「おお。もうか。では参ろう」 「そうだね」 「いこー」 城主たちはグラスを置いて、それぞれの持ち場へと散らばり始める。 本殿の守護を担当する、フェリックスとその副官だけが場に残った。 アベじいは人々の流れに逆行して城主に近寄ると、膝を落として囁く。 「マクシム。『ザイル』のリーダーが来た。所用で遅くなったと」 「そうか。…では、フェリックス殿だけにでも紹介しておこう。通してくれ」 同盟を組む予定のクラブのうち、『ザイル』だけリーダーの到着が遅れていたのだ。 「大変、遅くなりました。申し訳ない」 人の空いた広間に、甲冑を着た二人の重闘士が現れた。申し訳なさそうに謝りながらマクシムへと近づいてくる。 にこやかに差し出されたマクシムの手は空中で相手のそれとすれ違った。その手中にするりと小さなナイフが滑り込むと、銀の刃が、彼の胸を刺した。 がつ。 刃が肋骨に当たる手ごたえがあった。 かなり長い間、何もかもが静止した。 が、静止したままいられるわけはない。 息を吸うために必死で開けた喉の奥が燃えていた。 熱に酩酊して膝が折れる。逆に頭のてっぺんからはざっと冷たいものが降った。 一気に暗転する意識の最後の糸が、 「――ば、馬鹿野郎!!」 と叫ぶ誰かの声を聞いた。 「なにしてやがる!!」 床に倒れたマクシムに、暗殺者は覆いかぶさり、さらに二度、背を刺した。 駆け寄る面々の頬にまで、赤い血が届く。 「――マクシムッ!!」 最も機敏だったのは未来だった。彼は至近にいたフェリックスよりも先に、野獣の如く場に飛び込むと、進路を阻むもう一人の体を弾き返した。 そして足を振り上げると、うずくまるマクシムに取り付いている男の頭を、思い切り蹴り飛ばしたのだ。 ――おぞましい音がした。 見ていて口からうわああとか変な声を漏らさずにはいられないような、嫌な音だ。 男は異様な体つきのまま、城主の向こうへ倒れた。未来は止まらない。立ちすくむアベじいの前で、獰猛な手が男の体を掴み上げ、殴り、殴り、潰す。 弾き飛ばされ倒れていた今一人の男も、フェリックスとその部下が即座に切り殺した。 「――未来! もういい、やめろ! そいつはとっくに死んでるぞ!」 フースケが止めなければ、未来は相手が肉片になるまで続けていたかもしれない。 「それより、マクシムを運ぶんだ!」 「……」 未来は男の体を離した。男は、水の入ったビニル袋のように、べしゃりと床に落ちた。 広間は血まみれになり、遺体が二つ。マクシムは失神したが生きていた。 即座に傷口に薬草があてられ、隣室へ運び込まれる。 手当てをアベじいと未来に任せると、フースケは男たちのほうへ嫌々注意を戻した。 懐を探ると、書簡だけが出てくる。他は何も持っていない。特攻だ。 「――『山ノ手』か…!」 フェリックスに渡すと、彼は表情を歪めて吐き捨てた。その文章にはただの数行。【エナメル】の恨みは忘れない。とあった。 「なんという愚かなやつらだ…!」 全くだ。とフースケも思った。馬鹿め。 馬鹿め。 ――馬鹿野郎どもめ…!! 北州はカスの集まりだ。布告を読まなかったのか?! これから起ることが分かった。アルカンが集めてきた正義の人士がこの暗殺未遂を知れば、もはやその闘志を止めることは出来ないだろう。 戦争になる。誰からもケチはつかない。 止められない。 「城主が刺されたですって?! なんということ!」 「信じられぬ! 北の痴れ者どもめ!」 ドヤドヤと、その足音はもう扉の傍へ近づいていた。 フースケは、二つの遺体を見下ろしながら、本気で北州の連中を呪った。 折角、人から呆れられるほどの良心に従い、マクシムが留まるつもりでいたと言うのに。彼らは最後の一線を、最も馬鹿げた破滅的なやり方で自ら越えたのだ。 そして、マクシムと東州は、アルカンの贈り物の残り半分をも、手にすることになるだろう。 マクシムはすぐ眼を覚ましたが、寝床を取り巻く同盟者達の表情を前に、もはやいかなる言葉も虚しかった。 やむを得ない。として、彼は北州への進軍を決定する。 代行を任された怒れる未来が先頭に立って攻略戦を指揮した結果――日曜の夜半。 ノル城は落ちた。 -eof-
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