レヴォリュシオン エリート








[ 3 ] 北を獲る (上)




「――最近城主様は、絶好調ですね」
「…ん?」
「執務も完璧にこなされるし、今日なんか時間が余って、未来さん達と狩りに行かれてるじゃないですか。
 こんな優秀な城主どの州探してもいないですよー。『カテドラル』に入っててよかった。当たりくじでした」
 アルカンはその文官の言葉を半分は聞き半分は棄てた。
 彼の尊敬する城主マクシムは間違いなく優秀だ。それはいい。だが今は元気ではない。寧ろその逆で、ひょっとして絶不調なのではないかと思われる。
 取り巻き三人の行動を見ても明らかだ。今日はレベル向上になるからと、彼を強引にボスキャラの出る遠い山まで連れ出したではないか。
 それを見ていながら、『絶好調』と判断するとは何事だ。――馬鹿め。
 アルカンは胸中でその文官を罵ると、自分に与えられた部屋へ戻って、きれいに整頓された机に着いた。
 机の前の壁にはこの世界の地図が貼ってある。自分たちの領土は緑。他は黄だ。東州はどことも同盟を結んでいない。
 アルカンは美しい黒色の瞳でじっと地図を見つめた後、ひとり呟いた。
 そうだ。いい考えがある。
 北州(ノル)を献上しよう。



*



 この間、俺達は慌てていた。夏以降いつも必死だったけど、そんなもん今に比べれば全然大したことないような気がした。
 誠はあの後、すぐ冷静さを取り戻した。やつに言わせれば、ウチの親父の登場がよかったらしい。
「あれがなければ、何を言っていたか分からないよ」
「……」
 俺は黙るしかなかった。いったい何を言ったのだろう。
 次の夜にゲームで会う時までには、もう誠も普段どおりに戻っていた。迅速に執務をこなしたし、的確なもの言いをしたし、色んな局面で慈悲を見せることも忘れなかった。
 それで俺たちも落ち着こうとしたが、いつまでも靴の中に小石が入ったようで、何かしっくりこないままだった。学校で会ってもそうだ。しまいには誠本人から、
「ちょっと落ち着きなよ?」
と笑われたくらいだ。
 確かに俺らはうろたえ過ぎだったかもしれない。当事者でもないのに。
 彼はあの日、帰宅した父親に向かってはっきり再婚に反対だと言ったらしい。
 誠の親父さんは勿論驚いたが、俺の親父によれば「何かの間違いだと思った」そうだ。
 俺の親父と誠の親父さんは親友だ。この言い草は創作じゃないだろう。
 …誠の親父さんがちょいとヌケてるのか、それとも、誠が普段あんまり行儀よくしすぎてるのか、どっちなんだ?
 『間違い』じゃない。誠はけっこう頑固な男だ。事実それ以来、父親は彼に説明し続けているらしいが、態度には変化が見られない。
 しまいには恒介君からも口を添えてくれないか、なんて言ってくるんだから、確かにあの親父さんちょっと坊ちゃんなのかもしれねえよな。
 俺が何を言うんだよ、あいつに。蒼白で絶句するところなんて見たの、小学校以来だぜ…。
 深刻っちゃあ愛の方も深刻だった。
 さすがにあの反応を目にして、傷つかずにいられるほど彼女も彼女のお母さんも木石じゃない。
 十日後くらいに、駅前で偶然会ったんでモスで話をした。態度は普通に戻ってたけど、表情はさすがにぱっとしない。
「だってさー、まさかあたし達も、誠が何も知らされてなかったなんて思わなかったんだよねー」
「そりゃそうだ…。つか、本当に何も知らされてなかったの?」
「お付き合いしてる人がいるってのは言ってたらしいよ。でもそれがウチのママだとは言ってなかったんだって。
 ただ『すごいいい人だ』って言い方をしてて、それを聞く分には誠も特に反対とか、しなかったらしいんだけど」
「やり方がまずかったよなあ。誠の親父さん」
「そうだよね…。それはあたしも思う。多分誠だったらウチのことも知ってるし、大丈夫だと思ったんだろうけどね。
 なんかなーもう、大人って。切れたりくっついたり、大雑把だよ。周りがめいわく」
「おばさん、平気?」
「うん。まあだいじょーぶ。
 寧ろあたしもだけど、誠にあんまりショック与えちゃったんじゃないかって、そっちの方が心配」
 誠は普段どおりに学校へ行ってるし、特別に変わったところはないよ、と伝えておく。…とは言ったものの、俺自身の胸も不安にもやもやしてたから、一体どれほどの効果があるやら。
 誠は、俺らの中では、いつも一番冷静な人間だったから。普段動くはずのないものが動揺すると、本人よりも周りが慌てるってわけなんだろう。
「…なかなか、うまくいかないねー」
 ハー、とため息をついて、愛はテーブルの上に両肘をついた。写真で見るみたいなきれいな手の皿に、細い顎が乗っけられる。
「ウチのママもさー。実はあんまし頭よくないから、前にはなんか優しくない人と付き合って浮かれたり沈んだりしてたわけ。
 それが誠のお父さんと付き合うようになって、結構元気になって、未来も言ってたけどちょっと若返ったりして、『ああ、いいんじゃないの』って思ってたんだけどなあ」
「……」
 愛は笑って話した。でも奥にぼんやり、大人びた疲れが見える。こんな顔を見るのは初めてだ。
「…あのさ。誠ってやっぱ、お母さんへの気持ち強いのかな」
「んー…。どうなんだろ? 全然会ってないはずだけど。
 …う、でも分かんねえな。会ってても言わないだけかも。あいつ、秘密主義だから」
「今どこにいるんだっけ?」
「舞浜? いや浦安とか言ったかな。どっちにしても千葉のあの辺」
「そっか…」
 コテ。とついに頭が落ちる。髪の飾りが女の子らしくてかわいかった。
 俺がグラスを取り上げてウーロン茶の残りをズルズルやると、横を向いたまま笑う。
「そのクセ直んないね。お行儀わるーい」
「お前だって相変わらずあっちこっちでコテコテ寝やがって」
「ふふ…」
 外はもう暗くて、天気が悪かった。今にも雨が降りそうだった。
 やがて、愛が言う。
「…あのさ。誠ってさあ、多分、あたしのことあんまり好きじゃないんだよ」
 俺は随分考えた後、答える。
「そおかー?」
「うん。…だって前からそんな予感はしてたもん。
 いつも親切で優しくしてくれるけど…。なんか最後の一線は譲ってくれてない感じすんだよね。
 …みんなはさ、恒介もー、太朗ちゃんもー、未来もー、一応心の中まで見せてくれるでしょ?
 でも誠が何考えてるかは、あたし、全然分かんないもん。バカだからだろうけど」
 つーか寧ろ。その三名が分かりやすすぎるんじゃねえ。
 あいつは別格だよ。昔からそうだった。頭がよくて、俺らが思いつくようなことは大抵考えた後で、自分の心も探るし、人の心も探るし、恐ろしく繊細な部品で出来あがった複雑な機械みたいな男だ。
 いつもは俺らと一緒にいるけど、基本のレベルが全然違う。向こうが俺らに合わしてるんだ。
 だからあいつがさっと自分の国へ退いたら、いかに幼馴染でもすぐにかみ合わなくなっちまう。
 毎日顔を合わしてる俺らでもそんななんだから、愛がそう感じて当たり前だ。
 あーもー。
 ていうか、こいつ俺らより年下なんじゃん。こんなに悩まして、かわいそうだろ。
 子供だったら目の前に差し出された頭を撫でたんだけど。さすがにもう手が出ませぬ。仕方ないんでべらべら喋りまくって、何とかその場をごまかして、別れた。
 家に帰ってみると、俺も結構草臥れていた。鏡に映った冴えない顔を見てうわあと思いながら、心のどっかでこんな緊張、長続きしないと思った。
 誰かが爆発するか、降参するのを待ってる感じだ。誠が待ってるのかもしれない。
 悪意じゃないと思う。でもやつが雷雲の中に入って微動だにしないもんだから、周りでみんなが懲らしめられてる。
 みんなだってそういつまでも容赦は出来ないだろう。
 なんか妙な形で変なことが、ドカンと起きなきゃいいけどな…。



 意外なところで、俺の予想してたドカンは起きた。
ゲームだ。
 その日、レヴォリュシオンにINしたら、あの【アルカン】のせいでとんでもない騒ぎが起きていたんだ。



*



「――マクシム・ソボル!」
 バタン! と両開きの扉を派手に破って、東州派遣官吏の【ルナ】が執務室へ飛び込んできた。あの装飾過剰な、大柄の美女だ。
 城主マクシムは机についたばかりで、手に書類を持っていた。傍にいたアベじい共々、きょとんとして彼女を見る。
「なにか?」
「直ちに北に対する嫌がらせ行為をやめさせなさい! 今すぐにです!」
「――は?」
 そんな反応を、彼女は芝居だとでも思ったらしい。地団太を踏んで、耳飾りをじゃらじゃら鳴らした。
「白々しい! てめえが知らないはずないだろうが! お前の副官のアルカンが北州に違反ユーザーを放出してrじぇんだ!!」
 怒りのあまりタイプミス。
 驚いた二人がアルカンを呼び出すと、彼はすたすたやってきた。執務室に入り、いきり立った派遣官吏を目にすると、目を細めていきなり言った。
「ご機嫌うるわしゅう、ネカマ官吏殿」




 どうやらこういうことらしい。
北州と東州の境界地帯は、以前から違反ユーザーの報告の多い辺境だ。特に人目につかない場所で延々と狩りをしたがるBOT(不正ツール使用)ユーザーがさかんに出没していた。
 BOTに対する対処法は二つある。一つは信憑性のある報告書をまとめて運営に提出し、アカウントBAN(停止処分)の申請を行なうこと。
 さらにもう一つは狩りを妨害したり、対象ユーザーをPKしたりすることで、BOT行為をやめざるを得ないように仕向けることだ。
 アルカンは後者を選択し、手勢を率いて国境地帯のBOT達を狩りに狩った。
 そのやり方はきちんとしていた。現場の調査を行い、告発に足るだけの情報を揃えておいてから、しかもBOTに先に攻撃させておいて反撃で殺すのだ。
 こうすれば騎士達はペナルティを受けないし、万一「なにをするんだ」と運営に訴えられても反論可能である。
 そして殺した時には必ず言わせた。
「次に見かけたら即座にBAN申請する」
 これを繰り返されたBOTユーザー達は安穏と狩りを続けられなくなり、やがて国境線の向こうへ目を向けた。
 北州は税率が高い。が、治安レベルがあまりよくなく、違反ユーザーの取締りに手が回っていない。彼らは戸籍を北州に移し変えた後、危険な東州を避け、領内でだけ狩りをするようになった。
 困ったのは北州である。もともと住民達が「もっと取り締まれよ。税金払ってんのに」と思っていた種火に油を注ぐように、BOTの数が突然増えたのだ。不満が一気に倍増し、転出や苦情が相次いだ。
 驚いた城主はようやく調査に乗り出し、やがて原因は東州にあり、と突き止めたわけだ。




「――どこが嫌がらせだ?
 正当な治安維持活動を行なった結果、たまたまそういうことになっただけじゃないか。取り締まり能力のない北州から文句を言われる筋合いはねえよ」
 少し遅れて執務室に現れた重闘士未来は説明を聞くと不満げに言う。一緒に来たフースケはにやにやしながら腰に手を当てた。
「そうさな。本当に、それが『たまたま』ならね」
 そしてその目が、控えているアルカンの上へと流れる。
 美貌の騎士はふっと笑って、顎を引いた。
「勿論『たまたま』ですとも」
「――なんだと…」
 獅子がうなるような声が、未来の口からこぼれる。
「アルカンちゃんさあー」
 フースケ――変名後のミミズクは笑っていたが、うわべだけだった。
「君が単独でしたことでも、相手は州ぐるみの工作だと思い込んでるんだよ? アタマのいい君が、この結果を予想してなかったとは思えない。…なんで相談もなしに勝手な真似したの」
「――待て、フースケ」
 マクシムが手を上げて、議論の一時停止を促す。
 扉が開くと、白い羽帽子を被った伝令NPCが現れ、マクシムへ巻物を手渡して、恭しく一礼すると、去った。
 四人の前でするすると巻紙が広げられる。一通り読み終ると、マクシムはアルカンへ目をやった。
「…運営の調停部から呼び出しだ。BOTの件で北州城主が、暴言の件で派遣官吏が、共に訴えを起こしたとある」
「暴言?」
「『ネカマ官吏』でしょ…。はは…」
 アベちゃんは遠い目で笑う。あの豪華な美女の中身が男だったってのが、なんかそれなりにショックらしい。
 未来が太い眉を上げて言った。
「…マジで男なのか? あの孔雀女」
「ええ、独自に集めてきた証拠があります」
「ネットから?」
 アルカンはフースケを見返す。
「全てを鵜呑みにしているわけではありません。僕なりに取捨選択して残った情報ですし、レベルは高いはずです。
 手前味噌ですが、僕は自分のセンスを信じています」
 へー。と肩をそびやかしたフースケの笑いは、次の瞬間止むことになった。
「たとえば皆さんは、東京都小金井市の都立上水高の生徒じゃないですか?」
「――…」
 未来は眉をしかめ、アベじいは目を見開き、マクシムは下まぶたを持ち上げる。
 充分な手ごたえを得て、アルカンは微笑んだ。
「そういう僕は海浜幕張駅の近くに住む高校一年生です。今度遊びにいらしてください」
「――よろしい」
 マクシムが引きずり込まれた空気を取り戻すかのように、声を発した。
「君が勝手にこういう行動を取ったことは責められるべきだが、今それを言っても始まらない。
 それに向こうが州ぐるみの陰謀だと思っている以上、こちらが『部下が暴走しただけだ』と言っても詭弁と受け取られるだけだろう。
 この一件は君に任せる。全く何の考えもなしにこういった行動を起こすとは思えないからね。
 万一、調停に失敗すれば僕の立場も危なくなるが――、それは城主として部下の管理に失敗したということだ。ペナルティは甘んじて受けよう」
 アルカンは進み出た。城主の机の前で深々と一礼して言う。
「必ずや、城主様の信頼に報いてご覧にいれます。どうぞお任せください」
 どっからその自信が出るんだろう。フースケは嫌味でもなんでもなく、純粋に不思議に思っていたが、続くマクシムの言葉に目をしょぼつかせる。
「ただし調停にはフースケとアベじいを同行させる。彼らの警告には従うように」
 アルカンは二人の顔を順に眺め、もう一度深く礼をした。恭しく
「かしこまりました」
と言ったが、二人はなんだか、生贄にでもされたような気分だった。





 一州を得て初めて知ったことだが、州の統治というのは予想以上に複雑で大変な仕事だった。
 中央へ収める上納税は勿論、違反者の取り締まり実績、州内の治安レベル、人口動向、街の発展度、住民からの苦情件数などの諸要素を組み合わせた評価が一定期間ごとになされ、優秀な成績を収めれば収めるだけ権力が増し、政権が安定する仕組みになっている。
 逆に上手にやらないとどうなるかと言えば、「独善王」だの「愚君」だのといった不名誉な称号を頂戴した上、様々な局面で権力が低下して得られるものも得られなくなるという。
 たとえば先の争奪戦でフースケ=ミミズクはクラブに加わらない立場でありながら城に対して攻撃を行なったが、あれも通常なら不可能なはずの行為だ。
 四人はそれをプログラムのバグだろうと思って利用していたのだが、実はエストの前城主の評価ランクが「お飾り」だったからだそうなのだ。
 実にひどい呼称だが、こういった名をもらうと戦争時「NPCの動きが鈍くなる」とか、それこそ「一定数の傍観者の参戦が可能になる」などの特殊なペナルティを食うらしい。
 それどころか税収などにも影響し、アルカンによれば本来もらえる金額の七割から八割程度しか入ってきていなかった様子だという。
 残りの数割は納税者に戻るでもなく、空中に消えると言うのだから泣ける。増収入のために税率自体を引き上げようものなら、民の不満は増大する。
 つまりうまい州では政権はますます安定し、うまくない州では政権が不安定で革命が起きやすいといった状況になるように出来ているというわけだ。
 だからこそ、アルカンの行為は北州に対する効果的な嫌がらせとなるし、またやられたほうも激昂するのである。
 違反ユーザーが増えたことによって治安レベルが下がり、不満が増し、評価が下がると、北州の城主という立場自体が危なくなるのだ。
 その辺りの機微を、アルカンは実によく心得ていた。それこそ治世者になりたてのマクシム達より、よっぽど上手(うわて)だ。
 『調停部』とは、要は運営チームが設置した裁判所である。ゲーム内の深刻な違反行為を裁いたり、揉め事の調停を行なうために随時開かれる。
 リアルの裁判所と一緒で傍聴席もある。他人のグチャグチャは面白いので傍聴マニアもいるが、大抵のユーザーには縁のない場所だし、フースケ達も初めてだ。
 その場でアルカンは、あくまでも違反ユーザー達の移住は偶然であり、今回の訴訟こそ北州主の陰謀だという論を堂々と主張して見せた。




「そうでもなければ、何故このような訴えを起こされたのか理解に苦しみます。
 我々は、正当な治安維持行為を行なっていただけなのです。 違反者達は、我々東州の騎士が国境を越えた途端、手出しできなくなることに目をつけ、移住をしたことは事実ですが、我々に対処のしようがあったでしょうか?
 寧ろ北州の方々がそこで我々と同様に取り締まり行為をしてくだされば、逃げ場をなくした犯罪達はもうこれまでと覚悟し、違反行為を止めたかもしれません。
 …正直を申しまして、私は少しだけ、それを期待していました。しかし、実際にノルの方々が行なったことは…」
 両手を広げてみせる。
「こんな訴えは自分達の無能の責任転嫁に過ぎない…。私は北州の人々に心からの同情を覚えます」
『…アベちゃん』
『なに?』
『口が開いてるよ』
『うん。塞がらない。スゲーなあ…』
 被告側の控え席にアホ面を並べている二人の耳に、真っ赤になって反論する北州の主の声がきんきんと響いた。
「でたらめばっか言わないで下さい! 信じられない! 大嘘つき!」
『あ。あのコちょっとかわいい』
『…お前なあ…』
 北州の城主は若い――というより、いっそ幼い外見の女の子だった。北州を治めるクラブは『山ノ手』、城主の名は【エナメル】だ。
 彼女は赤い髪をおだんごにして、身につけているものも実にキラキラしていた。随分ちっこくて、原告席からやっと頭が出てる感じだ。
『うん。かわいい。萌える』
『……お前って、俺らの中で意外と一番スケベだよな』
「第一、BOTを駆除するなら、まずは運営側へ訴えるのが普通でしょー! なんでそれをしないでずっと狩りばっかしたんですか。
 それはBOTユーザーが死なないで、北州に流入して悪さをすることを期待してたからでしょ?! 最初からウチに対する嫌がらせが目的だったからでしょー?!」
「そうです! そしてその計画を東州の城主が知らなかったわけはありません!
 『カテドラル』の城主マクシム・ソボルは中央に対して最初から敵対的な態度をとり続けてきました。
 北州の前の城主は我が君【キング】でした。現在も中央とは濃い同盟関係にある州です。その故に、狙われたのです。これは明らかに陰謀です!」
 まるで北州関係者さながらに怒鳴るのは、例の派遣官吏のルナ女史だ。
 いや…、ルナ『殿』なんだっけ? 笑いそうになったフースケは鼻をつまんでその波をこらえた。
「そのことを問い詰めると、この男は私に向かって暴言を…!
 初めからこちらを揶揄するつもりでやったのです。これは悪質なハラスメントです!」
「…被告の意見はどうですか」
「はい。今の二つの問題にお答えしましょう」
 アルカンは悠然と身を反らして、後ろ手を組んだ。女みたいな顔してるのに、こういう嵐のさなかに一人、堂々とあるのが、驚くほどよく似合っている。
「まずは瑣末な一件から。我が東州の派遣官ルナ殿がネカマかどうかですが、ネカマです。ネカマをネカマと言って何が悪いのでしょうか。こちらは首尾一貫して事実を述べているだけです」
「…被告」
 さすがに調停委員が止めようとするが、アルカンは笑って身をかわした。
「証拠は、こちらのURLにあります。どうぞご覧下さい」
 止める間もなかった。アルカンはあるネット上のアドレスを吐いた。
 法廷中の注意が集中する。
 そのページを開けてみると、現れたのはメッセンジャー系ソフトの会話履歴だ。氏名を抹消してあるユーザーがアルカンに対し、オフ会で【ルナ】に会ってみたら『デブ男』でがっかりした。と暴露していた。
『うぐおっ』
 アベじいが何故かまた追加ダメージを受ける。
 この情報が完全に本物で信頼に足るという保証はない。が、当座の爆竹としては、十二分だ。
「次の質問にも答えましょう。なぜ、BOTユーザーを運営に訴えなかったのか。と仰いますが――。
 それは、そこまで大した違反ではないと思ったからです。私は今も、不正ツールを使用した程度のことでユーザーをBANするのは、ちょっとかわいそうなのではないかと思っています」
 これには満座がざわめいた。
 いや、少し前から、その場の空気はアルカンが思うままだ。彼が右手を振れば人は右を見、左手を上げればそっちが的になる。調停委員さえも。
 全て計算づくだ。フースケはそれを理解し、一人腕を組んでオチを待った。
 オチはこうだった。
「何しろ前は、北州の城主殿まで使っていらした様子ですから」
 どお。と空気が紅海みたいに真っ二つに割れた。エナメルが懸命に体躯を伸ばして机を殴る。
「――何言ってんお!」
「こちらを」
 笑うアルカンの唇からまたもURLが吐かれた。
「ネットを伝って流れてきたものです」
 飛びつくように確認すると、それはエナメル本人のものと見られるデスクトップ画面を写した、二枚のSSだった。
 まずゲーム画面のウィンドウ。その左スミのチャットウィンドウには、別のユーザーとの会話が表示されている。
「エナメルたん、今レベルいくつ?」「42だよ」「おおー」「ツールちょー便利。教えてくれてありがとー。チュッ☆」「よかった。運営に気をつけて使ってねー」
 といった、実にあられもない内容だ。
 もう一枚は、ツール配布サイトからアップデート版をダウンロードしている最中のSS――ロマンもへったくれもない!
 おまけに、アベじいが
『こいつも男かよ!!』
と絶叫したのは左の方、デスクトップ上に並んだアイコンのせいだった。
 エロゲーばっかなのだ。しかもなんか直視も難しいくらいのマニアックなタイトルが並んでいて、同性でもゲッとなる。
『い、いや、でも女性かもしれないよ?』
 目をぱちぱちさせながらフースケは変に弁護したが、アベじいは線香にあたった蚊みたいにフラフラと机に落ちていく。
『こんなゲームする女、女じゃねえ…』
『ま、まあねえ…』
 ファイル交換ソフトだな、とフースケは思った。ならこれだけじゃ済まないだろう。もっとゴッソリ抜かれてるはずだ。
「陰謀です! 陰謀です! こんなの! みんな信じないで! ウソばっか!」
 エナメルたんは大騒ぎしていたが、法廷の空気は完全に引いていた。
 もはや裁判がどうという状態ではない。現在の北州の城主が本当に違反ツールの使用者だとすれば、本人の進退どころか、BANにもつながりかねない大問題だ。
 アルカンが彼女に囁きを送る。
『決定的な資料は、手元にたくさんあるんです。
 もしこれ以上、裁判を続けるというのでしたら、それらを全て運営側に提出することになりますよ?』
 周りからすると、エナメルがいきなり三倍増しで騒ぎ出したのでびっくりだ。
 彼女はもうムチャクチャだった。言ってることも言葉遣いも変で、相変わらず小さくてかわいらしかったが、その下からユーザー本人の素顔がのぞきつつあった。
「朝廷委員! こいつをハラスメントでBAN申請します! 違う。こんなnバカじゃねえの。ふざけんな! てめこそカス男」
「みなさん、真に受けないで下さい! 全部でたらめです! こんなのいくらでも捏造できるんです!」
 派遣官吏『殿』も加勢するが、カラスが二羽騒いでるみたいだ。この分では調停委員が審理の一時停止を宣言するのも時間の問題だった。
 しまいにエナメルは泣きながら、悲惨ともいえるような声で愁訴し始めた。
「――こいつらは私恨を晴らしてるんですぅ…! シテで殺された自分たちの恨みを、たまたま手近にいるエナメルをいじめることで、解消してるんだ…!」
 すると被告席のアルカンは、初めて同情的な表情を見せた。眉を八の字にして、困ったように首を傾げる。
「まさかそんな…。誤解ですよ。我々は――」
残り半分は耳元へ囁く。
『北州が欲しいだけです』
 涙に濡れたエナメルの目が見開かれると同時、業を煮やした調停委員が打ち鳴らすガベルの音が響き渡った。



 戦争だな。
 フースケは結論を奥歯で噛みながら、瀕死のアベじいの腕を引いて席を立った。



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