レヴォリュシオン エリート







[ 2 ] 愛と誠



 十二月頭に内輪のクリスマス鍋会があった。
毎年五、六家族が土曜の夕方から集まって、もう嫌になるほど飲み食いする恒例行事だ。
 これは俺らがガキの頃から続いてる。会場は未来ン家のバカでっかい和式の広間。
 そこに大きな座卓を二つ置いて、片方は大人用。片方は子供用。それぞれコンロが用意され、鍋の周りを大盛りの野菜やら肉やらがずらりと取り巻く。
 どうでもいいが、この布陣で床の間にクリスマスツリーを飾るのはいかがなものか。しかも未来のお母さん、妙に力の入る人で、今年は庭に派手な電飾まで追加されていた。
「バカだろ。電気代がもったいないっての」
 俺らも小学生くらいだったら喜んだかもしれないが、さすがに高校生となるとちょっと冷静だ。
 しかも未来は俺らの中でも一等、古風で質実剛健なタイプ。母の所業に気の毒なくらいメゲていた。
「いいじゃない。僕、未来のお母さん好きだよ。健康的で無邪気で明るくて」
 誠は笑いながら、遠い台所の方を伺うようにして言った。
「あの笑顔を見るとほっとする」
「だよねえ、毎年たんとお土産もくれるし」
「…お菓子だけどね」
 と、安倍ちゃんは横でイベント情報誌を繰りながら、ラムネ菓子をポリポリやる。
 みんな入ってくるなり未来のお母さんから「はい、プレゼント! これからも未来をよろしくね!」とお菓子の袋を渡されていた。
 サンタのシールのついたカラフルな袋に、子ども会で配られるような駄菓子がめいっぱい詰め込まれている。しかも「食べ盛りだから」という理由で、今年は全体が枕ほどのサイズに成長を遂げていた。
 これも小学校の時は、ホント転げまわるほど嬉しかったもんだけどなー。
「いや。実際助かるけどね。しばらく小腹が空いたらこれ食ってりゃいいんだもん。ウチじゃこの会のお土産、いつも『大森物資』って言ってるぜ」
「だよね。他にもあけなかったワインとか余った食べ物とか、毎年もらってばっかで、申し訳ないよ」
「いいんだよ。金余ってンだから、あの親父は――」
 未来の親父さんは、大人用の席で安倍のおじさんや曽房のおじさんともうどんどん飲み始めている。
 ゴルフ焼けした肌に似合った陽気なドラ声で、どこの地主が新しいビルを建てたとかついに店を潰したとか、お馴染みの話題に没頭していた。
 お母さん連中は準備に追われて台所と広間を往復してるんだからホント、男子どもは気楽だよね。
「そういや恒介の親父さん、まだ来てねえの?」
 と、安倍ちゃん。
「なんか仕事で遅れるってメール来た。そのうち来ると思うよ」
「大変だね、探偵さんって」
「そんないいもんじゃないよ。要は浮気調査で食ってる興信所ですから」
「あんなヌボーっとした親父さんが、よくそんな仕事についたもんだ」
「調べもんの好きなヒトだからねー。でもあやしさがたたって、すごいよく職質されるってよ」
 ああ…。そうかもしれないな…。という曖昧な笑みがみんなの顔に広がる。
 実際そういう男なんです。似てる似てるって言われて心外ですが。
 安倍ちゃんのお母さんが大皿を持って現れた。
「あんた達、話し込んでないでそろそろ始めなさい。 もう自分たちで出来るでしょ?」
「へーい。もう全員揃ってんすか? ウチの親父がまだだけど」
「あとは江尻さんところ。もう着くってメールあったから、すぐ来るわよ」
「あー。愛も来るんだ」
「久しぶりでしょう」
「チカちゃんは?」
 チカちゃんは、安倍ちゃんの三つ下の妹だ。
「あのコ、なんか友達と吉祥寺に遊びに行くって言って、今回はお休みするんですって。
 最近わがままでねえ、もう」
「ああ、まあ…」
 中学生だもんなあ。前は結構楽しそうにしてたけど、電光トナカイを見ながらの子ども会鍋+お菓子袋と、吉祥寺のカラオケボックス+クレープじゃ後者を採っても無理はねえな。
 そんなわけで、みんな鍋ににじり寄って料理を始めた。時刻は六時半で、普段の俺の晩飯の時間からすると随分早いけど、普通の家庭じゃこんなもんかもしれない。
 ちょっと言っとけば、ウチと誠ン家は父子家庭だ。誠のは離婚で、ウチは病死。安倍ちゃんと未来は四人家族。そういや未来の弟君の姿が見えない。また合宿か何かかな。
「――あっ。誠、何やってんだよ。何故いきなり野菜を入れる」
「えっ。…白菜食いたかったんだけど」
「こういう時は肉からでしょうが。非常識だなー。野菜も入れるならもっとどかっと! 毎年やってんでしょ」
 雑誌を離した安倍ちゃんが意外にうるさい。誠は苦笑してはしを引っ込め、手出しをやめた。
 この二人が戦うこと自体が珍しいけど、誠は気を悪くした風もなく、湯気の向こうでにこにこしていた。
 上機嫌だな。と、つけダレを配りながら俺は思った。
 東州は首尾よく落としたし、そのゴタゴタも落ち着いてきた。何より昨夜あの【アルカン】君が正式にクラブ『カテドラル』の一員になった。
 いくら誠でも、俺も結構やるじゃないかって気になろうってものさ。ね。
「あー。すごいおいしそうな匂いがするー」
 その時、遅れていた江尻家の面々が到着した。俺らの一つ下の江尻愛と、そのお母さんと、イヌ。
 愛が畳の上に下ろすと、目玉がギョロっとした黒いチワワがたーっと駆けて来て真っ先に未来にお愛想した。抜け目ないやつ。
「おひさしー。みんな、元気―?」
「おー。愛じゃないか」
 愛は一つ年下の後輩だけど、タメでいいんだ。ガキの頃はホント関係なく一緒に遊んだから。
 ウチの近所あんまり女の子がいなかったんだよね。それで愛は昔っから俺らの乱暴な遊びに加わってた。今は中野の方の別の私立高に通ってる。
 かわいいコだ。高校に入ってからさらに垢抜けて、髪の毛も今風だしピアスは開けてるし、格好もちゃんとして、ウチの学校とかではあまり見ないタイプになった。
 愛想もいいし、変な物怖じもない。ピカピカしてる。やっぱ土地柄がいかんのかねえ。
「よー。お久しぶりー。イヌも元気だった? なんだっけ。名前」
「ん? 小次郎」
 そうだ日向か巌流島か。なんちゅう名だ。
 脱いだコートと鞄を部屋の隅に置くと、愛は鍋の側へやって来て俺の隣に座った。
 たーっと小次郎が来てその膝の上に乗る。当たり前のように。
「やーん。おいしそー。鍋めっちゃ久しぶりー」
「だよね。しないよね。あんまりさ」
 そういや江尻家も母子家庭なんだ。実際離婚組って、増えたよねえ。
「お前の母さん、なんかまた美人になったな」
 未来が目をきょろつかせてそんなことを言う。
「なんだそれ」
 アクをすくいながら安倍ちゃんが笑うと、
「や、だって。見てみろよ。髪の毛のせいか?」
 愛のお母さんは、大人席の方でみんなに挨拶している。前はショートだった髪の毛が、肩くらいまで伸びていた。つややかな黒髪だから、確かに若く見えるし…、若いくせ古式な未来の好みっぽい。
「学校慣れた?」
 誠が穏やかに尋ねると、愛ははしを取りながらにこっとした。
「うん。まあ、さすがにねー」
「なんか雰囲気変わったよな」
 安倍ちゃん。
「そう? 太朗ちゃん…つーかみんなは、あんまり変わんないね」
「一年や二年じゃそう変わらんだろ」
「じゃなくて。小学校の時から、あんま変わんない」
「ええええー?!」
 この発言はさすがに不評だった。でも愛は面白がって、口の中に食べ物を入れたままころころ笑う。
「ちょ、うける。なんでみんなそんなに反応いいの。口の中、あつっ」
 小次郎が難破船に載ったイヌみたいになっていた。
「だってさ、相変わらずのメンツじゃん。四人揃ってると、もう完全に小学校って感じだよ。
 あたしさっきここまで歩いてくる間に、なんか時間旅行してるような気がしたもん」
「過去にさかのぼるってか?」
「そうそう。入り口が十六歳で、一歩で一年ずつ。
 え。でもいいじゃん。ウチの高校なんか当たり前だけど、子どもの頃から知ってるコなんて全然いないよ。
 そういうコがいると心強いでしょ? 地元近いと遊ぶのも楽だしー」
「まあねえ」
と俺が肯定すると、誠が笑いながら言った。
「なら愛もうちの高校に来ればよかったのに」
「――なあにいぃ?」
 愛が妙な反応をした。誠はびっくりして、はるさめのからまったシメジを、口の手前で止める。
「よりによって誠がそれを言うー?」
「え? …なんで? 僕、なんかした?」
 聞き返して、やっと口に入れる。
「もー。みんなあたしがこうやってオトナに対処してあげてるから、忘れてるんでしょ。
 先に中学入ったときさー、みんなであたしのことノケものにして、突然一緒に遊んでくれなくなったじゃん。
 未来なんか、『俺らは中学生で、お前は小学生だから、もう一緒には遊べない』とかワケわかんない理屈堂々と言ってくれちゃってさー。結構傷ついたよ、当時は」
「…そうだっけ?」
 未来、忘れてる。
「したら太朗ちゃん、それに乗っかって漫画雑誌とか急に見せてくれなくなってさ。『お前は小学生だし女だから見せねー』とかって」
「…あ、そう…」
 安倍ちゃんもあやしい。
「あたしが泣いてたら恒介が間に入ってくれて、あたしと恒介と誠で、対策を話し合ったのね」
「そんなことも、あったような…」
 って、俺も忘れてんのかよ! さすがに愛はジト目でこっちを見た。
「でも結局、どうにもなんないってことになってさ、それでしょうがなくあたしは別の友達と遊ぶようになったんでしょー?
 誠は絶対あたしの味方になってくれると思ってたのに、なってくれなくてさーあ。高橋さんの味方も、よっちゃんの味方も、砂原君の味方もしてくれたのに、あたしの味方はしてくれないんだーって。
当時は悲しかったなー?」
 あてつけがましく言われて、誠は口ごもった。
「…そうだっけ…」
 こいつもか?
 ――いや、覚えてんな。目の奥に、ごく僅かな後ろめたさが残ってる。
 言われて、俺も改めて思い出した。昼下がり、誠ン家の居間で、絨毯の上に座り込んで、足が痛かったような記憶がある。
 なんか場所的には、…子どもの頃の最後の記憶って感じだなー。そっから前は別世界で、そっから後は今の日常に続く。
「まーもー別にいいですけどーぉ。あたしはあたしで楽しくやってるしー。
 でも、やられた方は滅多なことじゃ忘れないから、覚えといてねー?」
 オホホホ。と笑う彼女に俺らは何も言えなかった。
 昔いじめた子に成長してから対面するって、実際恐怖体験だよね。やめた方がいいよ、ホント。
「ま、全然成績足りなかったんだけどね。上水高、競争率高いんだもん。エリートさん達にはかないませんわー」
「あれ? なんで…」
 安倍ちゃんが一瞬、ゲームのことを言われたのかと勘違いしてきょとんとした顔をした。
「ばーか、違うだろ」
 未来が目ざとく見つけて突っ込む。
「あ。ああ。そっちか。びっくりした」
「なに?」
「いや、オンラインゲーム。そこに『エリート』って職種があんの。昔、俺らそれだったから」
「へー?」
「凋落したんだ。なりそこないだろ」
「確かにね」
 ヒヒ、と俺が笑うと、誠が静かに付け加えた。
「またすぐなるさ」
 追加の肉を持って未来の母さんがやってきた。
「まー! 愛ちゃん! すごいかわいくなったわねえ! ほらあの…テレビに出てる子みたいよ!」
 未来の母さんは割と太目だ。驚いた小次郎がゥワン! と一回吠える。
「こらー」
「いいのよ。こんにちは、ワンちゃん。ああ、愛ちゃんコレ、さっき渡し損ねたから」
 と、同じ菓子袋がぎゅっと押し付けられる。鼻面を押されたイヌがげっと言った。
 あーあ。
「あ、ど、どうも、ありがとうございま…」
「体重が気になるお年頃でしょうけどね! まあもらっておいて! 本当スリムでうらやましいわー。これからも未来をよろしくねー」
「…相変わらず、元気なお母さんね」
 終始マイペースを通して去っていく大森のおばさんを見つつ、愛が圧倒されたように言う。
「…言うな…」
 げんなりする未来の向こうで、トナカイの赤鼻がぺかぺかと点滅していた。



 じきにお母さん方もみんな席へ着いて、会はどんどん進むというのに、親父はいつまでも来なかった。何やってんだか、あの男は。
 大人席では男親がみんな出来上がって、テーブルの上はビールの空き瓶だらけになっている。子供席の皿もほとんど空になって、もうお菓子と、延々と続くだべりモードへ突入していた。
 アベちゃんが雑誌に触発されたか、今年のクリスマスもさびしく終わるのかー、と嘆いていた。
「敗北者パーティでもする?」
「いらない! そんなもの!」
 八時過ぎに未来の弟君が帰ってきて席に加わる。合宿じゃなくて練習だったんだって。
 中学三年だけど、とてもそうは見えない。未来もそうだったけど、実際柔道やってるとよく食べるし、体大きくなるよね。



 午後九時。明らかに待たれている雰囲気があって、俺はイライラし始めていた。
 親父用にと取り分けた皿の中で、春菊が熱にやられしおしおになっている。
 …一体どこをうろついているんだ。今に始まったことじゃないけど、あいつはここ一番って時に、妙に間を外すんだよな。
 俺の出産にも間に合わなかったらしいし、お袋の臨終にも遅刻した。ぼけっとしている間に、なんかとんでもないことが起きたって知らねえぞ、アホめ。
 とうとう、大人席の方ですっくと誰かが立ち上がった。――誠の親父さんだ。
 何か挨拶があるらしい。子供らはおお? と目を丸くした。
「えー、みなさん。お疲れ様です…。こういう席で、自分の事を話すのは初めてなので、大変恥ずかしいのですが…」
 そうだよねえ。
誠のお父さんは、とても控え目なおとなしい人だ。未来の親父さんじゃあるまいに、一席ぶつなんて珍しいこともあるもんだ。
「でも、ここにいるみなさんは、本当に子供時代からの友人なので…、葉書なんかでお伝えするのは他人行儀だと思いまして、この場をお借りします。…えー」
 親父さん、白い顔が赤かった。手を後ろで組んでしきりに体を揺する。
「わたくしは…、ご存知の通り、現在息子の誠と二人暮しでやっております。…ですがその、近いうちに…お恥ずかしいことながら…、ここにいる江尻さんと、入籍したいと思っております」
 みんなの視線が集中した先で、愛のおふくろさんがそっと頭を下げた。
「はい」
 えええおおお?
という、恥も外聞もない声が広間中に響いた。そのうち一つが自分の喉から漏れたことに、一拍遅れて気付く。
「正式なお知らせは、事が成り次第、また追ってお伝えしたいと思いますが、そういった次第ですので――何卒、今後ともわたくし達のことを、よろしくお願い申し上げます」
 お父さんの一礼と、おふくろさんの会釈が、ごく柔らかくシンクロする。
 追加の声が大人席の方で上がって、盛んな拍手が起きる。子供席も、それにつられたようにやっと手を叩くけど、なんか量が足りないし、――間が抜けてた。
 みんなびっくり仰天していたんだ。とんだサプライズだ。だってそんなこと全く、思いもかけない。
 大人達は多分、曽房のおじさんと江尻のおばさんがある程度の仲だって知っていたに違いない。
 だがこっちは子供だ。年齢じゃない。勘ぐるはずがない。寝耳に水どころじゃなくて、夢か現かって状態だった。
 だが隣からは「恥ずかしいなあもう」という、小さな呟きが聞こえてくる。愛だ。
 そうか。彼女は勿論知ってたはずだ。それに誠も。
 ――あ。誠が今日、格別上機嫌だったのはこのせいか…?
「なんだよ、スゲーびっくりした…!」
 未来がみんなの代わりに、最初の一声を上げる。
「今日の目玉はソレかよ! 誠の親父さんも、あんなツラして結構テロリストだなあ…!」
「…ほんと」
 安倍ちゃんも目をぱちくりさせる。
「にしても、誠も愛もズルいぞ。お前ら知ってて今の今まで――…」
 黙ってたんだろ。
 未来はそう続けようとしたはずだ。だが、遠い父親の顔を見たまま凍りついている誠の表情を目にした途端、先がつぶれてしまった。
 誠はその場に固まっていた。会が始まったときの伸びやかな様子は消えうせ、顔色もおかしかった。
 息も止まってるんじゃないかと思った。一緒にこっちも呼吸を止めながら俺は、自分も、未来も、勘違いしていたことを悟った。
 誠は、何も知らされていなかったんだ。完全な不意打ちだったんだ。
「え、あ…?」
 隣で、愛が戸惑ったような声を漏らした。



 もどかしいことに、一つ離れた島の大人達は何も気付いていなかった。
 それもそうかもしれない。
 誠は、誰の目からしたって理想的な息子だ。
 父親の再婚や他人のお祝い事にヒステリックに反対する姿なんて想像も出来ない。
 ひょっとしたら誠の父親まで同じように思っていたのかもしれない。このやり方で差し支えないと思ったから、そうしたのだろう。
 だが誠は立った。
立ち上がって、青白い顔で父親をにらみつけたのだ。
 はっとした母親達の喉が塞がると同時、ようやく広間の奥の方まで沈黙が走り、父親達の顔にぶち当たって止まった。
 あまりの意外な迫力に、誰も何も言えなかった。誠も何も言わなかった。
 だが、その恐ろしいような静けさの中で、彼が何を言いたいのか、イヌも含めた全員が理解したその時、
「ちわー、遅くなりまして…」
と、頭を掻き掻き、ウチの親父が現れた。
「いやー、すいませんどうも…。色々手間取っちゃって…。まだ肉、残ってますー?」




「……」
 未来の気持ちが少し分かった。畳をかきむしってイグサを口につめこんで奥歯ガタガタいわしてやろうかと思った。





-eof-




<<戻る トップ 次へ>>