レヴォリュシオン エリート






[ 1 ] エストの天使




「東(エスト)には、天使がいた。
実際に攻略してみるまで分からなかった。」
(未来)






 鎧の触れ合うガシャガシャという音が近づいてくる。その日、情報屋ミミズクは城の廊下で、上得意の大尉に対し恭しい一礼を捧げた。
「これは大尉殿。お忙しいところをお呼び立てして、どうもすいません」
「ずいぶんわめき立てたようだな、ミミズク」
「はァ。そこの新顔の方がなかなか通してくださいませんので、致し方なく」
 ミミズクは背の低い、くせのある顔立ちをした不恰好な男だった。大尉の後ろに立つ若い騎士を意識しながら、あてつけがましく苦情を申し立てる。
「荷袋の中まで見せたってのに、それでも信じちゃくれないんですからね…。まだ革命時間じゃないでしょ?」
「最近は何かと物騒なのだ」
「そういや、お城の雰囲気もがらっと変わりましたね。度重なる『カテドラル』の襲撃に、お城もだいぶやられておいでとか。人員の確保だけでも、おおごとでしょう?」
 ピン。という音と共に金貨が空を舞い、ミミズクの手の中に落ちた。
「さっさと用件を話せ」
「へへ。すいませんね。もっとも、それとも関係のある上等なお客さんを確保してあるんで――」
「誰だ?」
「【未来】」
「なに」
 二人の騎士の顔色が変わる。
「『カテドラル』の狂犬…」
「本当か。今どこだ」
「クリクシュの酒場です。仲間が見張ってますが、動いてません」
「そんなところでなにを?」
 若い騎士が怪訝な顔で言うと、早耳は憐れむかのような眼差しを彼に向けた。
「獲物を探してんですよ。狙い易そうな関係者を街中で物色し、外に出たところで襲うのが奴のやり口です」
「よく知らせてくれた。
 …ただちに討伐に向かう。アルカン、五騎ばかり連れて来い」
「大尉。革命時間帯が迫っております。この間に城外へ出るのは…」
「案じるな。すぐ済む。それに連中が戦闘を開始するのは深夜だ。事前にあの狂犬をしとめられるならこんなに好都合なことはない。ぐずぐずしている間にまた姿を消すかもしれん。急げ」
「誤報の可能性はないのですか?」
「ミミズクはそんなツラだが情報は確かだ。付き合って二ヶ月になるが、カスをつかまされたことはない」
 醜い情報屋は、首を引っ込めてホーホーと鳴いてみせる。
「――…他の方にも、相談を…」
「くどいぞ、アルカン!
 同胞のかたきをしとめる好機だというのに、むざむざフイにする気か!
 …そんなに凶悪犯と渡り合うのが嫌なら、お前は来なくていい。人形相手に決闘ごっこでもして、ちまちま経験値でも稼いでいろ!」
「……」
 騎士は黒い巻き毛が顔のふちを飾る、南方系の美男子だった。眉根を寄せ、忌々しそうにミミズクを睨んだ後、上司の命に従って城の奥へ消える。
 数分後、鎧をつけ手にえものを持った騎士が六騎、赤く染まり始めた西に向かって城を出て行った。




「かかったよーん」
 城の前の草むらで声が囁いた。ミミズクの声だ。
「準備の甲斐があったや。――数は六。剣三、槍二、術一」
『なめられたもんだ』
 指輪から響く未来の声に、ミミズクは喉をひきつらして笑った。
「次回からはもっと悪いことしたら」
『アウトローの辛さも知らんと』
「マクシム。了解したか?」
『ああ。ロネが抜ければ充分だ。よくやってくれた。すまないが未来、相手を頼む』
『おうよまかしとけ』
『あと数分で日没だ。カウントダウンを開始する』
 ミミズクは草の中で素早く装備の品を取り替えた。いかにも低レベルな庶民服を取り去り、工作員用の戦闘服を身にまとう。
『…三分』
『…あー、この日が来るのを、どんだけ待っていたことか…』
「おいおいアベちゃん。そういうのはまだ早いぜ。俺らの夢ぁ首都奪還だろ?」
『わかってるよ。でもここまでがもう死ぬほど大変だったじゃない』
「荒野でウサギ狩りからな。ククク」
『そう――マクシ…ってか誠は敵より容赦ないし。ホント、めげそうだった…』
『二分』
『警吏どもが近づいてきたぜ…』
「気張れよ未来。死ぬんじゃねえぞ」
『心配するな。運動神経だけが俺の取り得だ』
『…術師チームはそろそろ移動陣の準備。ポイントを読み上げるので、最後にもう一度だけ確認してくれ。X442 Y802と、X461 Y――』
「未来、すっげえきれいだぜ…」
『んー?』
『一…』
「西の空」




 バン。と酒場の扉が開き、武装した三人の騎士が店の中へと踏み込んだ。
 しんとなった酒場に、居丈高な声が響く。
「重犯罪者がいるという通報を受けたため、取り調べる。疑われたくなければ、静粛にするよう」
「――」
 水を打ったような静寂のなかをさまよう騎士達の視線が、やがてカウンターの上へ落ちた。
 大男が一人で酒を飲んでいた。名は隠してある。無骨で重たそうな防具を身につけ、傍らには大斧が立てかけてあった。男達の出現にさしたる反応も見せず、空になったグラスの前で、大あくびなどしている。
 騎士達は顔面のひくつくのを抑えながら、歩み寄った。
「未来というのは、お前か」
「…そういうお前は誰だ」
「エスト城の騎士だ。貴様には我が同胞を多数殺傷したかどで逮捕状が出ている。城へ来てもらおう」
「告別式でもあるのか?」
「貴様のな。――来い」
 肩をつかもうとした手が、ぱしん! と弾き返される。
 大尉は顔をしかめるが、最初から、それが狙いだ。
公共の場における、警吏への先制『攻撃』。
 ペナルティの嵐が巨漢を襲う。瞬く間に全てのスキル効果が解除され、名の隠匿もはがれ落ちた。
 禍々しい赤い文字が、空中に【未来】、そして『カテドラル」という所属クラブをも描き出す。大尉は武器に手を伸ばした。
「確かに未来だな! 覚悟し――」
 言い終わらないうち、斧が空を凪いだ。
扇状の一閃。
「――がっ!」
 跳ね飛ばされた騎士の悲鳴と共に、赤い血が宙を舞う。即座に同じだけの衝撃が未来にも跳ね返って体を揺らした。
「くそ。やってらんねーな」
 ちゃら、と腕が振られ、掌に血まみれのトパァズがこぼれ落ちる。
「――飛ぶぞ!」
 騎士の一人が警告を発すると同時、輝石が光って術が発動した。巨体がかき消える。
「外だ!」
 騎士達は一斉に取って返した。酒場の床がミシミシとしなり、ほこりが舞い上がる。
 居合わせた市民達は恐ろしげに沈黙したまま、彼等を見送った。


 目くらましの短距離移送を終えた未来は、外を固めていた騎士達の間を走り抜け、街の外に向かって一目散に逃げ始めた。
 三人も黙って通しはしない。リーチの長い槍が未来の体に一度、二度と傷をつけ、熱い炎が彼の足を焼いた。
「くっ…!」
 失速する。歯を食いしばり、尚も走る。
「逃がすな! 街中で捕縛しろ!」
 再び召還した馬に飛び乗った時、騎士の一人がはっと顔を強張らせた。
「…っ…。やばいな…」
「どうした」
「――月が出た」





「突入」
 静かなコールと共に、別の場所で待機していた兵団が、開かれた移送ゲートへと飛び込んだ。
 一瞬でエスト城の背後に出ると、眼前の裏門に向かって、突っ込んでいく。
 足の早い弓隊が地面に踏ん張って武器をしならせた。矢倉の上にいた門兵が一瞬にして射殺される。崩れ落ちる彼らの下で、追いついてきた工作兵が大槌を振り上げた。
 どおん。どおおお…ん。という地の底に響くような音はそのまま、守備側への目覚めの一撃となった。
「敵襲だ! 攻防戦が始まったぞ!」
「こんな時間に…?! どこの連中だ?!」
 城壁の上から、慌てた弓兵が掌を透かして敵の隊長印を見届ける。
「――か、『カテドラル』です。
 やはり『カテドラル』のマクシム・ソボルですっ!!」
その声は震えていた。
 エスト城は今まで、五週に渡って彼らの挑戦を退けてきた。だが今日は襲撃の時刻もやり方も、いつもと全く違っている。
 自然とパターンを把握しつつあった城兵達の胸に驚きが走った。混乱と、それを収拾しようとする檄が城内で混ざり合う。
「第三小隊のロネ大尉はどこへ行った?! 人数が足りんぞ!」
「慌てるな! 裏はそう簡単には破れない!
 弓と術師は裏へ、剣とNPCは表へ戻せ! 表門の守護を怠るな!」
「――よいしょっ」
 場違いな掛け声と共に、その表門にぽとんと爆雷が投げ込まれる。
 すさまじい爆音が門と地とを震わした。
「うわっ?!」




 ぽぽぽぽーい。と続きが次々と投げ込まれ、幾たびもの爆発が、途切れずにつながった。門前にはもうもうと煙が上がり、きつい火薬の匂いが辺りを覆う。
「ははーっ。ヤベこれ楽しー♪」
 少しずつ耐久性を失くしていく扉と、その向こうで慌てている敵兵の声を聞いて、ミミズクはうきうきしていた。
 その横には、同じような格好をした新入りが三人、青い顔をしてつっ立っている。
「準備いいかー。もう切れるからね、即座に渡してよー? 空袋受け取ったら下がっててー」
「…あの、ズクさん」
 爆雷でいっぱいのカバンを掲げ持って、彼に引き渡す準備をしつつ、一人が言った。
「んー?」
「お名前がどんどん赤くなっていきます…」
「だっはっはー。そーなんだよねえ、敵対クラブのメンバーじゃないのにこういうことしてるから。
 さしずめ通りすがりの爆弾魔ってとこかー?」
 そう言う間にも投げる投げる。赤字はどんどん濃くなり、その姿は心なしかアナーキーな空気に包まれていった。
「…あの、ズクさん」
「んんー?」
「ひょっとして俺ら、人間ナップザックなんでしょうか」
「さあもう一息だ! どんどんいこかー」
「……」
「こちら恒介ー。アベちゃん、表もう開くぞー。タイミングをコールする」
『ラジャー。こっちはいつでもいいよ』
 どおん…。どおん…。どお…
「よし、行け!」
 表門の扉の耐久度が限界まで下がった直後、ミミズクは号令を発した。間髪入れず、
『ゲート開け!』
 発光する長距離移送ゲートが、怪異現象のようにいくつも門前に出現し、そこから新しい兵士達がどっと湧き出した。戸板も同然となった表門を一瞬で踏み倒して、城内に乱入する。
 その眺めが、城内の兵の目を回した。
「裏は囮だ! ――本隊は表だ! 迎え撃て!」
 城内での戦闘が始まった。




「万事順調らしいな…。さすが誠だ」
 別行動を取ってはいても、仲間達からの報せは逐一入ってくる。未来は星の光る荒野にいて、目に落ちそうになった血を、眉毛と一緒にぐいと拭い、笑った。
「さーどうする…?」
 粘ついた手で、斧の柄を強く握りなおす。
「――残り、一人だぞ」
「…ぐぅっ…!」
 辺りには浅い血だまりがいくつも生じ、踏むたびにぴしゃりと音を立てた。
 そんな地面に騎士の五つの骸が、ものも言わず寝転がっている。
 死んだ五人は、じりじりしながら残りの一人が蘇生してくれるのを待っている様子だ。
 だが槍の武人にそんな余力はない。
未来はまず回復に長けた術師から斬り殺したのだ。それを蘇生しようとする動きから、二番目に錬度の高い人間をも割り出して潰す。反復して、何よりも先に彼らの命綱を断った。
 勿論その間、殺傷力の高い槍や剣の攻撃を甘んじて受けることにはなった。だが、ペナルティを加えた多量のダメージを食らいながらも、彼は的確にアイテムを繰り、その不屈の精神力と集中力でついにここまで闘い抜いたのだ。
 六対一という圧倒的な状況がまさかひっくり返されようとは思わない。騎士達は動揺するうちに、流れを変える機会を幾たびか取り逃がしてしまった。
 そして残り一人となれば、もはや不慣れな蘇生術など使う余裕はない。――成功するとは限らないし、たどたどしい詠唱の間、未来の攻撃に対し無防備になってしまう。
 かといってこのまま独りで戦い続けても、行く末は絶望的だった。手持ちのアイテムも、もはや底をつきかけている。
 倒れた仲間たちは焦って囁きを送ってくるが、意見が分裂していて誰に身をゆだねればいいのか分からなかった。彼は全く進退に窮した――
 目の前に血を浴びて立つ男は、不気味なほど落ち着き払っていた。戦えば戦うほど彼は何か深遠なものに近づいていくようで、一体どれほどの余力が残っているのか、イベントリはどうなのか、外面からうかがい知ることはできない。
 その時。地面に転がっていた大尉の死体が、ふっとかき消えた。
 この場での蘇生は困難と見て、設定された帰還地点に帰る選択をしたのである。
 勿論、彼らの耳にも自分の城が攻撃を受けている様は伝わっている。勝敗はいまだ見えぬとは言え、のん気に死んでいるわけにはいかない状況だった。騎士であるにも関わらず、革命時間帯に城の警備を放り出した身にしてみれば、尚更。
 だがその選択は正しくなかった。それを見た四体が追うようにその場から消えると――、残った騎士は、もはや踏みとどまれなかった。
 振り向いた表情は虫を噛んだようだった。地を蹴る。むざむざ逃す未来ではない。大斧が振り上げられる。
 悪魔の顔のように見えるその鈍色の刃が、遠心力で縦に引き伸ばされ、いやな声を立てて笑った。





 同じ頃、城では奇妙なことが起きていた。表門から侵入してきた敵兵が、最初の一戦を交え終えると、まるで撤退でも始めたかのように退いていくのだ。
「…?!」
 城兵たちは喜び勇んで追うが――勘の鋭い騎士がただ一人、立ち止まって叫んだ。
「深追うな! 戻れ! ――城から外へは出るな!」
 その声を聞いて留まった者は少数だった。叫んだ騎士は、人を動かすには地位が軽すぎたのだ。
 しかも敵の撤退速度は、NPC兵が見切りをつけて戻るほど速くはなかった。
 彼らは人形だ。一旦攻撃されたら引き離されるまで追いかける。人の号令は聞かない。
 襲撃が幾度も続いたこの半月の間に、エスト城は防護のためのNPCを大量に雇い入れていた。情報屋が皮肉って、「雰囲気ががらっと変わっ…――あいつ…!!
 騎士の脳内で、ある理解が稲妻のように駆け抜けた瞬間。妨害にもめげず、槌で叩かれ続けた裏門が、ついに破れた。
 世界が裂けるような音がした。
現れた今ひとつの新しい一軍が、つんのめった城兵達の背面を突く。





 三日月が天頂にさしかかった頃、争奪戦は終わった。
城内では捕虜となった城主が、新城主に対して降伏を宣言し、中央の派遣官吏の立会いの下、権力と鍵の委譲手続きを行う。
 血に濡れた斧を重たげに担いだ闘士が、のしのしと草を踏んで正門へと近づいてきた。
 そこでは勝ったクラブ『カテドラル』のメンバー達が、大急ぎで壊した扉を建て直しているところだった。
 側に立って作業を見守っていたミミズクが、振り向いておっ、と手を上げた。
「お疲れさん。生きてたかー」
「平気だと言ったろ…」
 未来はそう言い終わらぬうち、どっかと城の前に腰を下ろした。こらえ続けた息が、ふーっとこぼれ落ちる。
「だが、さすがにもう半歩で死ぬとこだ…。ペナルティはひどいし、イベントリもすっからかんだ。相手の弱気に救われた」
「見て見てー、俺様も遂に見事レッドネーム。確かにヒドイねー、これ。おかげで城にも入れやしねえ」
「今、俺を倒したらすぐ普通に戻れるぞ」
「あっ。そういや、そうね…」
「…なんだその目は」
「いや、冗談冗談。
 もうすぐ攻防戦が正式に終わるよ。そうしたら、俺もお前も、すぐまともに戻さないとな」
「…ああ。だがさすがにちょっと…」
未来の上体が遂に草の上に倒れる。
「おおおーい、大丈夫ー?」
「腹が…、減った…」
「ははは」
 草の香りのする夜風が、二人のレッドネームの間を川の水のように流れていく。
 見上げると、白い月がちょうど城の塔のてっぺんにひっかかっているみたいに見えた。
 そんなにも高い、聳え立つ一つのこのかたまりが自分達のものになったんだと思うと、さすがに背筋を駆け上るものがある。
たとえそれが、架空の城であっても。
 未来の心中を見透かしたかのように、ミミズクが言った。
「――やったな」
「…ああ、やったな」
 両手で自分の顔を覆うようにした。
「…長かった…」


 その時、ゲーム内全体告知が流れ、東州の支配権がクラブ『カテドラル』の主、マクシム・ソボルへ移ったことが伝えられた。




*




「お見事でした。マクシム殿。
 私はこの塔の上から眺めていたのですけれど、主導権は終始『カテドラル』が握っていましたね。それに素晴らしい部下をたくさんお持ちのようだわ」
 中央からの派遣官吏は女性だった。贅を凝らした、派手ないでたちをしている。
 その絞れば水が滴りそうなお世辞の言葉を、マクシムは誠実そうな笑顔と共に訂正した。
「部下ではありません。仲間です」
「あら、ほんの言葉のアヤです。失礼しました。
 このような英明なる新城主を迎えて、さぞ東州の民達も喜ぶでしょう。今までの城主は少しばかり、お鼻が高くていらっしゃいましたから」
 てめー昨日までそのお鼻の高い城主とつきあってたんじゃねーのかよ。アベじいは胸中で思っていることを表に出さぬよう苦労した。
 マクシムも考えてることは一緒だろう。心なしか、所作が冷ややかだ。
「さて、それではこの後の手続きについて説明を致しますね。
 まずこれより三日の間に、あなたは捕虜の処遇を決定せねばなりません。選択は解放、登用、処刑のいずれかです。
 捕虜と直接話をすることも可能です。大抵、下部の兵については面会せずに処分を決定するものですけれど――これはあなたのような人には、余計な情報でしたかしら?
 ちなみに処刑は『城主の剣』でのみ行えます。それ以外の武器による攻撃は虐待とみなされますからご注意を。
 処刑されたキャラクターは、
・二十四時間アクセス不可
・レベル一〇減退
・手持ちの装備品、アイテムの全消失
というペナルティを受けます。
 『王の剣』ほどの威力はありませんが、恨みという点ではそれほど変わらないという噂ですわね」
ふふ。と官吏は笑った。
「それから――」
 加えて二、三の説明を終えた後、彼女が尋ねてきた。
「今から捕虜の処遇決定を行ないますか?」
「明日にしましょう。環境が整っていませんから」
「環境?」
「私は仲間達と話し合って彼らの処遇を決めたいのです」
「あら、そうですの」
 妙な光がちらりと官吏の目を掠めた。どちらにせよ、あまり友好的な感じは受けない。
「では最後に、これは今すぐにしていただいた方がいいと思いますけれど、シテ城の国王陛下に対して就任挨拶の書簡を送ってください。
 大抵の場合、クラブ間同盟関係の申請もその時になされますわ。勿論、前の城主もそうなさってました。
 是非『カテドラル』も我が『ブルーブラッド』と同盟を結んで、東州の支配体制を強固なものにしてください」
 マクシムは、癖のない栗色の前髪の隙間から、澄んだ瞳で彼女を見つめた。
「書簡は書きましょう。しかし、同盟のお誘いについては、お断りします」
 一瞬、間があった。アベじいは拳固で腹を押されたような気がした。
「――なんですって?」
 派遣官はきつく眉をしかめた。ものすごい変わりようだった。
「あなた、ご自分が何を仰ってるのかお分かりなの? 今この世界で、中央と敵対関係にある城主はいないわ」
「存じております」
あくまで丁寧にマクシムは言う。
「しかし現在の国王や、シテ城の支配クラブと同盟関係になることは御免被ります。どうぞ国王にもそのようにお伝えください。
 …書簡は、直接シテ城へお届けすればよろしいですか?」
「……」
 官吏はひどく意地の悪い顔でマクシムをねめつけた後、返事もせずに出て行った。
「…すごい人がいたなあ」
 ぼそっとアベじいが漏らすと、マクシムは肩をそびやかして笑った。
「あんな変な人の話はいいよ。
 アベちゃん。そろそろ未来が戻ってきてるだろうから――恒介ともども適当に叩き殺して、中に入れてやってくれないか」




*




 その後マクシムは、二日をかけて捕虜全員と顔を合わせ、全ての処遇を決定した。
 総数十八名。うち処刑は前城主を含め四名。登用が六名、残りは解放とした。
 この処置が妥当かどうかはマクシム本人にも分からなかった。だが、立ち会った三人にも分からなかったのだから、もうしょうがない。
 彼らは共犯関係の中で責任を分担した。
この決定で恨まれるならば四人全員が恨まれるのだ。この決定で馬鹿を見るなら、四人全員が馬鹿だったということだ。
 とはいえ議論などはほとんどなかった。基本的に裁定を下すのはマクシムであり、異議がある時は誰かがそっと囁いて判断に割り込んだ。
 ミミズクこと、恒介が口を挟んだ捕虜が一人だけいた。他でもない、若いが賢明な判断をしていたあの美男の騎士である。
 彼は審理の中ごろに広間へ連れて来られた。ややつった猫科の目尻に真新しいあざをこしらえている。殴り合いでもしたのだろうか。
「名は」
「――アルカン」
「僕が新城主となったマクシム・ソボルだ。引き続き東州に身を奉じる気はあるか」
「処刑を望みます」
『ダミ』
 全員がミミズクの顔を見た。というか、にらむ。
『てめーは、ちゃんと喋れ、恒介』
『その人、すごい有能。もったいないよ』
「私の仲間が、君を殺してはならないと言っている」
 アルカンはその言葉にかえって気分を害したらしかった。部屋にいる三人を順に見回して、ミミズクの、醜い空っとぼけた顔に目を止めるや、眉間の皺を一層深くする。
「…貴様…!」
「……」
 ミミズクはこの後変名するか、キャラを作り変える予定だった。今回の作戦行動で買った恨みは大きいだろうからだ。
 二人の悪縁に肩を割り込ませるように、マクシムが口を開く。
「…アルカン。この城は君にとって、そんなに居心地のいい職場だったのか?
 仲間の話によれば君は地位も低かったし、その正しい判断も、無下にされることが多かったらしい」
「……」
「東州も、僕も、人材を必要としている。有能な人材ならば尚のことだ。
 これから前王パトリスを手本にして統治に全力を尽くすつもりだが、何しろ僕には、州を治めた経験がない。君の力を貸してはくれないだろうか? 少なくとも前城主よりは、君の才能を大事にするつもりだ」
 前王パトリスとは、すなわち段原のことだ。一種の口説き文句であるわけだが、その名を聞くや、彼の眼差しはますます冷たくなった。
「またですか…」
「なに?」
「この二月の間に聞きまくった方便だ」
「……」
「ご存じないなら教えてさし上げますが、今や南北西州の主はみなそう主張してるんですよ。自分こそが、本当のパトリスの後継者だとね。その言葉で、高い税率とでたらめな統治を正当化するのです。
 …うんざりですよ。統治者の資質を持たない城主に仕えるのも、彼らの白々しい嘘をいちいち真に受けて振り回されるのもね」
「…僕の言ったことが、詭弁だと言うんだね」
 その問いに、アルカンはぞっとするほど皮肉な笑みを浮かべる。
「違うというのですか?
 パトリスの名を出したくらいで、手柄を立てた気にならないでください。不正義を非難したくらいで正義の側に立てるなんて思わないで下さい。
 レヴォリュシオンの住民達はとっくにそんな純朴さを失っているんですよ。
 パトリス以後の城主は必ずといっていいほど彼の名を利用する。だが、本気で彼を見習う気はない。必要のある時ちょっと拝借して、用が済んだら元の場所へ戻すだけだ。
 見え透いていますよ。今ではあのキングですら、統治にパトリスの名を利用しているのです。『パトリスの夢を継ぐために城を獲ったのだ』と…。
――恥知らずが!」
 アルカンの目に、欺瞞に対する憎悪が走り抜けた。それもちょっとやそっとの憎悪ではない。
 反抗的な捕虜は大勢いたが、こんな強い眼光を向けてきたのは彼一人だった。
 しかも、笑っている。
「…あなた方だって同じ穴のムジナでしょ? ちょっと戦争がうまいだけで、パトリスの作ったこの世界を、名を、その不幸さえも、自分のために利用する、恩知らずのならず者だ。
 …ならず者がならず者をそしった言葉を真に受けて、身を売ったなどと言われるくらいなら、死んだ方がましです」
 ずっと黙っていた未来がふいに上座を向き、言った。
「殺していいか?」
「まあまあ」
 ミミズクが笑って彼の二の腕を叩く。だが心中では「ひょえー」と思っていたし、対面のアベじいも唖然とした様子だ。
 なんだこいつ。――悍馬か。
 マクシムだけは落ち着いていた。他の三人がそんな様子だから、驚かずに済んだのかもしれない。
 彼はしばらく黙って青年の顔を見つめていた。やがて、口を開く。
「――つまり君はもはや本物にしか仕える気はなく、僕は本物ではない。 …そういうことだね」
 アルカンは答えず目を閉じる。マクシムは笑った。
「君の考えは分かった。僕の考えを言おう。
 確かに君が言った通り、僕は本物ではないかもしれない。
 だが、君の態度は門前払いだ。誰だって、試験を受けてから合格か落第かを決められる権利があると思うが」
「――…なに?」
「しばらく仕えて見極めろ。それで僕が落第ならば、去るなり殺すなりするがいい。追いはしない」
『反対』
 マクシムはまぶたを閉じ、未来の囁きに応じた。
『未来。彼は僕らの仲間だ。本能的に不正や欺瞞を憎んでいる。そしてパトリスを慕っている』
『俺は礼節をわきまえない奴は嫌いだ』
『礼儀は教えられる。だが反骨心と正義感は素質だ。植えつけることはできない』
 やり取りは続いた。捕虜の裁定でモメたのは後にも先にもこの時だけだ。
 やがて話は決まった。未来が黙り込むと同時に、合図を受けたミミズクがアルカンの縄を解く。
「一ヵ月後に結果を聞こう。それまでは、側近として僕の補佐を」
「……」
 当の青年も、さすがにこの処置には驚いたらしかった。一応、冷静を装ってはいたが、押さえきれぬ当惑が体からにじみ出ていた。
 赤い縄の痕のついた両手を、だらんとぶら下げて、立つ。
「…仕事をする気などない…」
「構わない」
「…あなたの、寝首を掻くかもしれないですよ」
「したいならするといい。それだけの男だったということだ。悪いが、規則だから一時的にクラブには入ってもらう」
クラブへの参加書が提示される。
「一時的だ。終われば除名する」
「……」
 とうとう、アルカンは奇妙な生き物でも見るような目でマクシムを見た。その首筋に、張り付くような赤みが昇っていた。
 アルカンはクラブ『カテドラル』に加わった。





 これ以後、一月の間、黒髪の青年の姿は約束どおりマクシムの傍にあった。
 さすがに初めは他の三人ともぎくしゃくしていたが、やがて互いに慣れて、ぎくしゃくなりに落ち着いていった。
 一月が過ぎるころになると、世界に幻滅し、疑い深くなっていたアルカンも、マクシムやその仲間達が悪意を持たず、まっすぐな志と能力を備えていることを、疑うことはできなくなった。
 常に四人の協議によって行なわれたその統治は、治安維持に関しても、税率に関しても、またアルカンと同じ捕虜出身者の登用についても、完璧ではないにせよ――、公平を期してちゃんと考え抜かれたものだった。
 さらに中央政府との同盟を断り、はっきりとその敵対関係を表明した勇気ある態度は、全国に散らばった良心的なパトリス派から支持された。
 アルカンはいつかマクシムがそういった評判に相好を崩して、本心をのぞかせるのではないかと待っていたが、――そのまま、待ちぼうけを食った。
 他方、クラブのメンバー達も、アルカンが強い矜持を持った、極めて有能な男であることは早晩認めざるを得なかった。
 彼は状況分析に優れていた。クラブという小さな単位でも、州という大きな単位でも物事を考えることができたし、常にクリアな言葉で意見を述べた。
 カリスマもあった。やはり彼は美しい青年であったし、彼が動くと周囲の空気がごっそり持っていかれるような気がした。
 そしてその鋭い知性と攻撃性に触れた者は、恐れると同時に魅了された。それは、未来とて例外ではなかった。



 約束の日、マクシムは彼を執務室へ呼んで試験の結果を尋ねた。アルカンは僅かに顔をゆがめると、高飛車な口調で彼を責めた。
「やはりあなたには騙されました」
「そうか」
「試験だなんて建前だ。本当は、目に見えて私を重用することで、捕虜上がりの連中が孤立感を持たないようになさったんでしょう。今、一番怖いのは、城内の彼らと前クラブの残党が手を結ぶことだから――。
 …それに、あなた方がシテの騎士――『エリート』だったことを、どうして隠していらしたのですか。それさえあらかじめ聞いていれば、私も…」
 マクシムは笑った。
「判定は?」
「――…」
 アルカンは白旗を上げた。床に片膝を落とすと、深くこうべを垂れる。
「いつぞやは勝手な思い込みから無礼な発言をいたしました。…あなたがどういう方なのかまだ半分も分かってはおりませんが…、差し支えなければ是非このまま、お仕えさせていただきたいと思います」



 【アルカン】というのはピンとこない名だが、本人によれば『アルカンジュ』の略なのだそうだ。
 英語ならアークエンジェル。
 天使である。




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